第22話 ごめんなさい
黙っていても目立つふたりと、並んで廊下を渡る。
右に汐見さん、左に凪瀬。美少女に挟まれている現実は、いまさら自覚するまでもない。
ただ、教室が目前に迫っているのに、誰も繋いだ手を離そうとしない。
「……あの、この手はどうする?」
「このままでよくない?」
「いや、席も離れてるし、いずれは——」
「じゃあギリギリまで繋ご」
凪瀬は平然としている。
普段から距離感が近いので、恥じらいも躊躇もないらしい。困った。
今度は視線を反対側に向ける。
「あの、汐見さん」
「このままでよくない?」
「……でも、大丈夫? いろいろ誤解を——」
「いいよ、誤解されても」
汐見さんまで当然のように言う。反対の手の握力がぎゅっと強まる。……ますます困った。
好奇の目にさらされつつ、教室へ入る。
途端に、あちこちのざわめきが、小さな地震を感知したみたいにすっと収まった。
視線が入り口に集中する。——つまり、僕たちへ。
「うそ、あれなに」
「え、ウケんだけど」
最初に声を上げたのは、四人で固まる女子グループ。
クラスの目立つ派閥が、一斉に嘲笑の矢印を向ける。
「あはは、鳴海くん保護者じゃん!」
「いや、むしろ連行でしょ」
「痴漢で捕まった人みたーい」
「キャハハ!」
教室中がにわかにざわつく。もう話題にしていいと、合図が出たみたいに。
僕も外野なら笑ったかもしれないが、当事者の身にはずっしりと重い。
教室のムードは良くも悪くも彼女たちが支配している。
だからこそ、汐見さんが穏やかに過ごすには、ここを落とさなければならない。
勇気を出して、一歩を踏み出す。
あまり関わってなかっただけで、意外と話せばわかるタイプかもしれない。
「え、鳴海くんどした」
「もしかして怒っちゃった?」
「ごめんて、冗談じゃーん」
「キャハハ、そうそう〜」
正直、この界隈の女子は苦手だ。本人たちは冗談のつもりでも、言われた側や周りにとっては違う。
ノリの延長で、つい悪意の種をまき散らしてしまう。
「いやぁ、それで来てたらフツーに笑うっしょ」
「あと心配かもー。だって、片方はアイドルだもんね」
「そうそう。ほら、隣で凪瀬さんがすっごいコワい目してるよ?」
左側から剣呑な気配が立ちのぼる。
朝から肩すかしばかりで、彼女はもう我慢の限界を迎えている。
凪瀬は僕の手をやさしく振りほどき、目を細めて薄く笑う。
「発散するのに、ちょーどいい相手がいたわ」
——これは戦闘態勢。
「やだ、怒ってんの〜?」
「旦那とられてムキになってんじゃん」
「痛い格好してるだけのあんたに、何ができるわけ?」
「量産型地雷のくせにさぁ」
あ、もう止められない。
空気がきしむ。朝の陽気に満ちていたはずの教室が、一線の戦場に変わる。
もともと凪瀬は愛想のいいほうじゃない。
汐見さんの件で腹に据えるものもある。そこへ直接矛先を向けられれば、こうなるのも必然だ。
凪瀬は澄ました顔で「……ふぅん?」とだけ言い、スマホを取り出す。
スクロールした画面を見ながら、淡々と読み上げた。
「『隠れてアイドルとかマンガかよw……正直うらやま』」
「……えっ」
「『オーディション二次で落ちた。自分でもガチで凹んでて。。。草』」
「や、やめ——」
「鍵、ちゃんとかけなきゃじゃん? サブ垢、制服とか爪の写真で、すーぐ気づいちゃった」
彼女たちの表情がみるみるうちに青ざめていく。
凪瀬はすかさず追い打ちをかけた。
「結局、ただの嫉妬でしょ?」
短い言葉が教室に突き刺さる。
四人組は顔を引きつらせ、互いに伺うような視線を交わした。
さっきまでの嘲笑は、もうない。
「で、これはあんたのツイート。……『最近のミオちゃん、露骨にやる気なさすぎ。キラキラ頑張ってた姿はなんだったん? 応援してたファンへの裏切りじゃん』」
「っ、それは……」
「実は、めちゃくちゃ推してたんじゃないの?」
「うっ……」
沈黙。
非の打ち所のない論破に誰も口を開けない。
良からぬ噂を広めた理由が、自分たちのつまらない嫉妬によるものだったと公に明かされてしまった。
けれど、このままでは一軍グループと凪瀬の関係も悪化してしまう。
——僕も何か言わないと、そう思って顔を上げる。
と、そこで。
黙っていた汐見さんが、僕の手を離し、ゆっくり前へと進み出る。
その瞬間、教室が水を打ったように静まった。
まるで、アイドルの告白を待つ舞台のように。
「……応援してくれたのに、期待に応えられなくてごめんなさい」
汐見さんは、ボブヘアの子の目を見て続ける。
「本当に、ごめんなさい。活動のことも言わずに支えてくれてたよね。……でも、私はアイドルになりたかったわけじゃないの」
彼女は真摯に言葉を紡ぐ。
小さい頃から歌をうたうのが好きだったこと。
歌手を夢見て、芸能事務所に入ったこと。
しかしアイドルとしてデビューしたのは事務所の勝手な意向だったこと。
それもすべて、亡くなった祖母に捧げたくて始めたこと。
「歌が好きで、歌手を夢見てた。テレビの前で歌いたかった。病室のおばあちゃんに、元気になってもらいたくて……」
彼女が芸能活動に足を踏み入れた経緯。
想像とは違う活躍の形を与えられ、道のりが変わり、その事務所も不祥事の発覚で窮地に立たされている。
汐見さんには、更なる追い打ちとなった出来事だ。
「望んでアイドルになってない。……だけど、たくさんの応援をもらって、みんなのためにも頑張ろうと思った」
声に涙が混じる。
「でも……もう、続ける理由がないっ。いちばん届けたい人は、もういない……ううっ」
言い終えると、汐見さんは膝から崩れ、声を殺して泣きはじめた。
教室中から集まっていた視線は、いたたまれずに次々と逸れていく。
誰しも、身をつまされる思いがあるのだろう。気づいていながら、他人事として見過ごしていた。
その気持ちはわかる。わかってしまうから責められない。
汐見さんについて、僕はよく知らなかった。
でも、一緒に過ごすうちに、だんだんと人となりがわかってきた。
彼女は目立ちたがり屋じゃない。
天然なところもあれば、意外とちゃっかりしている面もある。
両親を失った代わりに、大切な祖母と二人で歩き、お互いに支え合っていた。
やさしい気持ちを持った、ただの——普通の女の子だ。
「……汐見、さん」
「ミオちゃん……」
俯く汐見さんのもとへ、女子四人組はにじり寄り、口々に反省を告げる。
「汐見さん……ごめん、ごめんね」
「オーディションに落ちた悔しさを八つ当たりしてた……」
「ウチら、汐見さんの事情も知らないのに……」
「ミオちゃ……汐見さんのこと、もっと信じてあげたらよかった。本当に——ごめんなさい」
その言葉を聞いて。
汐見さんは顔を上げると、絞りだすような笑顔を見せた。
「……ううん。もうアイドルには戻れないけど、今まで応援してくれてありがとう。嬉しかった」
その姿は、苦しみを乗り越えて前を向くアイドルそのもので。
彼女を取り巻く環境、苦しみの原因。
そのひとつが、いま、きれいに浄化された気がした。
教室中を巻き込んだいざこざは、今後の学校生活に遺恨を残さない、円満なムードで終わりを迎える。
僕の背後に回っていた凪瀬が、ぼそっと呟く。
「……正直、ほかにも方法はあったんだけど」
「うん、なんとなく気づいたよ」
「わたしは、まだちょっとモヤモヤしてる」
「でも、汐見さんの立場を優先したんだよね。そこが凪瀬の素敵なところ」
「惚れ直した?」
「もっと惚れた」
「……凛人にそう言ってもらえたから、チャラでいっか」
噂話のスピーカーを止める。
汐見さんに目を配ってくれ——川嶋先生が凪瀬に頼んだ、その任務。
これにて、まとめてミッションコンプリート。
……まあ、僕は一言も発してないのだけれど。
ただ、あまりに役立てていないので、こっそり反省の気持ちを反芻していると。
——コン、コン。
教室の扉がノックされ、そこで担任の川嶋流美に気づく。とっくに始業時間は過ぎていたらしい。
「一時間目の現代文は自習だ。各自、涙と鼻水を拭いておくように」
各々が席に戻り、準備をはじめる。
教室は静かだ。しかし、以前までの陰湿な空気は、もう残っていない。
目の前で起きた出来事を、ひとりひとりが振り返っているのかもしれない。
川嶋は全体を見渡し、ゆっくりと立ち上がる汐見さんのもとまで来て、耳打ちした。
繋いだ指先が、わずかに震える。
その言葉は、彼女の手をとった僕にもはっきりと聞こえた。
「——叔母夫婦が、面会を求めて学校に来る」
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次回は【9/20 12:00】更新予定です。
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