第20話 修羅場
カーテンを開け放した窓から陽が差し、壁にかけた制服をぽっかりと照らす。
部屋は静かだった。
机には読みかけのマンガがいくつも重なり、シングルベッドはきっちり整っている。布団一式は隅に畳まれ、壊れたクローゼットを蓋していた。
置き時計がチチチとさえずる。
僕は正座をしていた。
言われたからではなく、そのほうがいいと自分で判断しての姿勢だ。
隣には汐見さんがぺたん座り。男にとっては坐禅より難易度が高い。
——これは、修羅場というやつだろうか。
目の前には、気になっている女の子。
隣には、気にしている女の子。
ふたりの美少女に挟まれ、普通なら羨ましがられる状況だろう。
実際は、浮気をしていない浮気現場に立たされたような。
凪瀬が地雷系メイクの冷たい目つきで見下ろす。
病み系との違いはよくわからないけど、たぶん今はそっち寄り。この場に殺伐とした空気を生み出している。
静かに、凪瀬が口を開いた。
「それで、どーして汐見さんがお泊まりしてたわけ?」
「ああ。これには深い事情がある。話のわかる凪瀬に、いっぱい伝えたいことがあるんだ」
「顔つくらないで。そういうのいいから」
「……はい」
おためごかしは効かない。
僕は敬虔な態度で、経緯をかいつまんで説明した。
「——かくかくしかじかで」
「——うんぬんかんぬんってわけね」
こちらの弁解をひと通り聞いて、凪瀬はおもむろに腕を組む。
難しい顔、思案顔と表情をころがし、最終的に諦めたようなため息をついた。
「ま、凛人はお人好しだからね」
「……りんと」
汐見さんが小さく呟く。
そちらに反応したいのをこらえて、まずは凪瀬に礼を伝える。
「ありがとう! わかってくれたんだね!」
「うん、よーくわかった」
「な、凪瀬ぇ」
なぜか目元が熱くなる。病み感のあるメイクで惑わされがちだが、意外と常識人で、話せばわかるやつだ。
言い訳の難しい状況をすぐに受け入れてくれた——と思ったら、
「で、汐見さんはなぁんでブラしてないわけ?」
「んんっ」
触れられたくないところを射抜かれる。
腕組みで隠したつもりが、逆に目立った感じもある。どう見ても問いただされる側の態度じゃない。
「寝苦しいから外したの」
「……正直気持ちはわかるけど、にしても不用心すぎん?」
「だって……おばあちゃんも寝る前は着けなかったから」
汐見さんがぽつりと言う。
申し訳ないけれど想像してしまった。あまり知りたくない情報だった。
しかし、活路を見出す。
同じ家で暮らしていれば生活はうつる。祖母は彼女にとって唯一のお手本だ。
「ほら、凪瀬。汐見さんのおばあちゃんがそうしてたなら仕方ないよ」
「は? それが何の言い訳になんの?」
深い事情を知らない凪瀬に祖母補正は通用しない。
汐見さんは勝手に「おばあちゃん……」と感傷的になっていた。
妙な空気が充満する。
形勢はじわりと不利。
「どこにあんの?」
凪瀬に言われ、汐見さんは僕の枕カバーの中から水色のブラジャーを取り出す。
僕は咄嗟に目を泳がせ、泳いだ先で凪瀬のジト目とぶつかる。気まずい。
ていうかそんなとこに入れてたんかい。夢見が変わるぞ。
「……じ、時間もあるし、とりあえず朝食にしない?」
僕の提案で状況を変える。
洗面所で汐見さんが顔を洗う間、トースターに食パンを放り込み、コーヒーをコポコポと淹れる。
香ばしい匂いが広がる頃、彼女がダイニングに顔を出した。女子の身支度は時間がかかるらしいが、汐見さんの場合は僕と大差ない。
円卓に向かい合って座り、「いただきます」と同時に口にする。
サクサクと食パンをかじっていると。
頬杖でこちらを眺めていた凪瀬が、そこで唐突に切り込む。
「おばあちゃんの件は残念だったけどさ。家がない理由はどーしてなん?」
僕が聞きたくて聞けなかったことを、凪瀬はズバッと尋ねる。
「……叔母さんが相続するからって」
「叔母さん?」
「お母さんの、妹。あとその旦那さん」
やはり相続の問題——。
彼女の様子から、深刻なのは薄々勘づいていた。
「でも家は残ってるんでしょ。戻ればいいじゃん。叔母さんのもとに——」
「嫌」
一言。
悲しみを超えて、汐見さんの瞳に刃のような色が混ざる。
長年祖母と二人暮らしをしていたことから推測できる。
両親を失った汐見さんを今まで放置した、近い親族。
あまり良い関係性とは思えない。
凪瀬はその様子をじっと観察し、ひとつ息を吐いた。
「ふぅん。とりま、学校に行こっか。泊まりの件は放課後に持ち越し」
もう俎上に載せないでほしい、と心の中で本音が漏れる。
というか、もう学校に行って大丈夫なのだろうか。
僕が尋ねると、凪瀬が目配せをする。汐見さんは小さく頷いた。
「行くって、学校」
「え、平気なの?」
「本人がそう言うんだから、大丈夫でしょ」
心配だ。昨日の今日で無理はさせたくない。
彼女の自暴自棄な行動は完全に治ってはいない。サボった日も、海で危うい仕草を見せていた。
とはいえ、本人の意向を無視して置いていくわけにも。
汐見さんが僕の部屋で着替えている間。
リビングに残った凪瀬が裏の事情を明かした。
「……実は、流美ちゃんに頼まれてんの。あのコのこと、目を配ってやれるかって」
「へ、そうなの?」
衝撃の事実に思わず素っ頓狂な返事をする。
担任の川嶋先生が裏で動いていたらしい。教室での様子に気づいていたのか。
「昨日、こっそり相談を受けてね。ほら、わたしたちちょっと似た境遇じゃん?」
「……うん」
「おばあちゃんが亡くなったってのも、そのとき聞いた。ずっとひとりで看病してたらしいね。頼る相手がいないのって……辛いよね」
凪瀬は遠い目をする。
彼女が父親と二人暮らししている理由も、複雑な経緯があると前々から匂わせていた。
「でもびっくりだな。あの先生、そんな気遣いができる人だっけ」
「それなー。あ、凛人への貸しが百あるって言ってたよ。あと九日で百十になるって」
「タチ悪ぃ……」
トイチのカウントダウンするな。悪徳業者にも程があるぞ。
「というわけで。べつにわたしは怒ってないから」
「そっか。……ありがとな、凪瀬」
「ふふっ。惚れた?」
「いや、惚れ直した」
「はうっ」
凪瀬は胸を押さえる。わざとらしい仕草もいちいち可愛い。
一波越えて落ち着いた空間に、いい雰囲気が流れる。
「あのね、わたしも凛人のそういうとこ、ずっと——」
と、凪瀬が口を開いたタイミングで。
準備を終えた汐見さんがリビングへと戻ってくる。
さっきまでの寝起き姿とはだいぶ見違える。
さらさらのプラチナブロンドは光を帯び、ぱりっとした制服が本来の清楚さを引き立てる。昨晩のうちにアイロンを当てておいてよかった。
「……ちょっと、ふざけないでよ」
凪瀬が呟いて、すくっと立ち上がる。
そのまま化粧ポーチを取り出すと、汐見さんのもとへと向かう。
彼女の目元をメイクでさっと整え、保湿クリームを軽くのせていく。手際がいい。
「はい、これでよし」
凪瀬の手直しが終わり、思わず息を呑む。
残っていたクマの跡は薄れ、素材の良さが素直に立ち上がった。
ナチュラルメイクの汐見さんは、まごうことなき美少女へと戻っていた。
「やっぱり、めっちゃ可愛いじゃん」
凪瀬は満足げ——だけど、どこか悔しそうでもある。
「……凪瀬?」
「頭では理解してる。けど……この苛立ちをどこにぶつければいいか考えてる」
「ま、まぁ。時間も時間だし、そろそろ学校の準備しなきゃね」
凪瀬の複雑な心境は、なんとなく察せる。
本来の美貌が隠れてしまうほど汐見さんは追い込まれていた。
教室の陰湿な空気も、その一端。なんとかして変えてあげたい。
その方法はまだ、見つけられてないけれど。
凪瀬が汐見さんの髪を結う間、僕も身支度をしに自室に戻った。
さっと着替えを済ませて階下へ降りると、
「お待たせ。行こっか」
「待たせすぎ。……あっ、凛人」
「なに?」
「今日も可愛いね」
「それは——」
「鳴海くんは寝顔も可愛かったよ」
「ンン゛ッ」
汐見さん、急にやめてよ。凪瀬がピリッとしたじゃん。
玄関に出る。
外は澄んだ空気に満ちていて、呼吸の仕方を思い出した気分になる。
「……ん? 汐見さん?」
隣を見ると、汐見さんが無言で手を差し出している。
その手をどうしろと——。
「り……鳴海くん、『汐見さんがまたひとりで歩けるまで、この腕はつかんだままでいるよ』って」
「たぶん言ったけど混ざってる!」
「へぇ……」
「あの凪瀬、これには事情が」
「いちいち言い訳しなくていいから」
凪瀬が黙って僕の反対側の手を取る。
「凛人の性格は、よーくわかってるし」
両手に花のまま、学校のほうへと歩き出す。
向かう舞台は仲良しのお遊戯会ではない。
汐見さんを取り巻く環境、苦しみの原因。
教室の雰囲気と嫌な噂のスピーカー、永田山先生の過干渉。それに親戚とのごたごたや、アイドル事務所の不祥事や炎上……どこまで関わって解決できるのか、わからないけれど。
僕はもう見過ごすことはできない。
——彼女の、つつがない人生を守るためにも。




