第16話 敵に回さないほうがいいよ
五時間目のチャイムが鳴り終えると、蒼一がいかにも寝起きの顔でやってきた。
「凛人、フリスク持ってないか?」
まぶたが重そうなので、お望みどおりに二、三錠を手のひらに転がしてやる。
「さんきゅ。あとノートも貸してくれ。さっきの授業、寝ててまったく写してないんだわ」
「だと思った。授業中、一度も顔を上げなかったからな」
「寝るまでの記憶がない。ほぼ気絶してた」
「そら、あれだけドカ食いしたら……」
呆れつつバックパックから数学のノートを取り出す。
蒼一は「あざっす」と大袈裟に頭を下げ、ついでに教室を見渡した。
「彩伽はいないのか」
「さっき保健室に行ったよ。低気圧のせいで頭が痛いらしい」
「あー、そういう体質だったか。じゃあ雨が降るかもな」
「こんなに晴れてるのに?」
梅雨入りしたとはいえ、窓の外はカンカン照り。このまま夕映えしそうな天気だった。
「そうだ。宿題の範囲だから、それ今日中に返せる?」
「余裕。写し終わったら凛人の机に入れとく」
「はいよ。ちゃんとオマケもつけとけよ」
「……なら、パラパラ漫画でも描いとこうか?」
「えぇー……いいけど、ちゃんと笑えるやつにしろよ」
「ああ、任せとけ」
一瞬だけ、蒼一の目つきが真剣さを帯びる。
けれど、すぐに手をひらひら振って席へ戻っていった。
いや、冗談。まさか本当に描いてきたりしないよな?
***
一日の授業をこなして、ようやく放課後。
凪瀬は相変わらず保健室で休んでいる。
いつもなら帰り支度を済ませて迎えに行くところだが——今日は違う。
川嶋先生からの頼まれごとを思い出し、汐見澪の姿を探す。
しかし席はもぬけの殻。すでに教室を出てしまったらしい。
となると、今できることは——
人口の減りつつある教室で、笑い声を響かせている女子四人組に視線を向ける。
昼休みに噂を振り撒いていた、例のグループ。
彼女たちがクラスの空気を支配している。
狙うはここだ。
スピーカーを止めて、噂の広がりを抑える作戦。
関わってないから知らないだけで、意外と話せばわかるタイプかもしれない。
平和的解決を目指し、クラスカースト上位層のもとへとアプローチを試みる。
具体的な策は、まだ思いついてないけれど。
「あれー、鳴海くん」
「凪瀬のダンナじゃん」
「どしたー?」
「キャハハ、珍しー」
四人組が軽いノリで絡んでくる。
正直、この界隈の女子は苦手だ。陽気なときと不機嫌なときのギャップが少しこわい。
「ヒマならウチらと遊びいくー?」
「ねー。都筑も誘って」
「それマストだから!」
「キャハハ、いいじゃんそれ」
……あの、僕まだ近づいただけですけど。
一言も発していないのに会話が勝手に進んでいく。
グイグイくる距離感は気になるけど、どうやらそんなに悪い子たちでもなさそう。
これならすんなり目的を果たせるかも。
まずは相手の懐に入り、敵じゃないと示す。
取り入るなら裏ボスだけど……たぶん、タレ目のボブヘアが本丸。マンガで培った直感力がそう囁いている。
「あ、でもぉ。あのコが嫉妬しちゃうかー」
「いつもべったりだしね」
「ウチらと喋ったら、これもう浮気じゃん?」
「キャハハ」
「——ふぅん、おもしろそーな話してんね」
ざわつく空気に、すらっとした影が差す。
ツインテールを揺らし、地雷系メイクの女の子がにっこりと目を細めた。
「あ……凪瀬、さん」
四人組のテンションが一気に下がる。
このタイミングでのご本人登場は誰も予期していなかったらしい。
それは僕もそう。まさかもう戻ってくるとは。
「やだ、怒ってんのー?」
「ちょっと喋っただけでその感じは重くなーい?」
「キャハハ」
「……言っとくけど、わたしを敵に回さないほうがいいよ」
「へぇー?」
「痛い格好をしてるだけのあんたに、何ができるわけ?」
「量産型地雷のくせにさぁ」
あ、修羅場っぽい。
教室の空気がきしむ。この場面が今まで訪れなかったのが不思議なくらいだ。
もともと凪瀬は愛想のいいほうじゃない。そのうえ、性質の交わらないグループ同士。ぶつかってしまえばこうなるのは必然だった。
繰り出される煽りを、凪瀬は澄ました顔で「……ふぅん?」と受け止める。
スマホを取り出すと、数回スワイプして、おもむろに読み上げた。
「『アコのおなら、マジで臭くて草。クソ食ってもああはならんて草草の草』」
「えっ」
「『ユウリ、フラれてガン泣きしてたけど、脈ないどころか血管すら通ってなくて笑う。焚きつけたコッチも悪いけどw』」
「ああっ……」
彼女たちの表情がみるみるうちに青ざめていく。
一方の凪瀬は追撃の手を緩めない。
「『タマキと触れるたび静電気。スタンガンかよ。彼氏にもろたって自慢してたブレスレット、あれ静電気除去グッズやん笑』」
「え、そうなの……」
「……ぷぷっ。『てか、笑ってるだけで仲間ヅラしてるヤツおるなー?』」
「キャハ……」
「『さっきアコとすれ違ったらおならの風圧が襲いかかってきて草。ガス兵器じゃん草草』」
「なんでウチだけ二回も……っ」
四人組は顔を引きつらせ、互いに責めるような視線を交わす。
そこにさっきまでの嘲笑はもうない。
凪瀬はわざとらしく首をかしげ、唇をゆっくりと吊り上げた。
「どしたん? 遠慮なく草生やしなよ。あ、もっと笑えるやつ読んであげよっか?」
ぞっとする沈黙。ターゲットにされまいと、急いで視線をそらす四人。
その様子をニヤニヤと眺めながら、凪瀬は頬をとんとんと指で叩く。
「わたし、裏アカ見つけるの得意なんだよねぇ」
なるほど、これSNSの裏アカウントか。仲良しに見えて、お互いの知らないところで陰口を綴ってたわけだ。
というか意外と面白い投稿してるじゃん。普通にフォローしてちゃんと読みたい。
「実はこのログ、ぜーんぶスクショ済み。クラウドにも保存してあるから——消しても無駄だよ?」
一切の隙を見せず、凪瀬は攻勢を続ける。
スマホを器用にくるりと回し、勝ち誇った笑みで告げた。
「エッグいのも残ってるけど、どーするぅ?」
それがトドメとなり、四人はおずおずと席を立つと、バラバラに退散していった。
同盟が終わるときってこんな感じなのかな。
「はい解散。おつかれ〜」
手を振る凪瀬の隣で、僕も彼女たちの小さな背中を見送る。
ちょっと可哀想な顛末だけど、凪瀬にケンカを売ったのが運の尽きだった。
予想と違う展開になったが、徒党を崩したおかげで噂の拡声器は失われた。
教室の空気も少しは変わるだろう。
汐見澪への風当たりも、これで和らぐといいな。
これにて、ミッションコンプリート。
……まあ、僕は一言も発してないんだけども。




