第10話 通話
我が家に着く。
一人暮らしには持て余す二階建ての一軒家は、この日から新たな住人を迎える。
それがどれほど続くかは、誰にもわからない。
海辺を歩き回り、買い物もして、今日一日でだいぶ汗をかいた。……まあ、半分は冷や汗だけど。
夕飯の前に、まず潮気を流したほうがいい。
昨晩の要領でお湯を張り、汐見さんに先を譲った。
「決して覗いてはいけません。……絶対に、絶対だよ?」
「そんな丁寧に振られても、決して覗くつもりはないからね」
「あ、そう……」
彼女は不服そうに頷き、洗面所の扉を少し強めに閉めた。
昨日とはまるで違う反応。慣れてくると、案外ぐっと距離を縮めてくるタイプっぽい。
蒼一も、そういう部分で勘違いしちゃったのかも。情状酌量の余地ありまくりだな。
「さーて、と」
夕飯の準備を……と思った矢先、スマホの通知が目に入った。
メッセージアプリの未読数がすごいことになっている。おまけに、着信履歴も列をなして待っていた。
一日で溜まる量じゃない。なんだか胸騒ぎがする。
まず頭をよぎったのは、都筑蒼一の消失。
突如タイムリープで姿を消した親友。
一日経った今、その所在が大問題になっていてもおかしくない。
もし失踪事件として警察が動き出していたら、学校をサボった僕たちに疑いが向く可能性だってある。
あいつに何かしたわけじゃないが、関与してないとも言い切れない。
クラスメイトを助けるために別の世界線へ飛んで過去からやり直しています、ってどう説明すりゃいいんだよ。最後の行き先は光の中なんだけど。
「蒼一、置き土産が多すぎるぞ……」
そしてもう一件。
通知の大半を占め、着信を埋め尽くす同じ名前。
『凪瀬彩伽』
「……そろそろ無視はできないよな。ってか、したいわけじゃないし」
昨夜と同様にバスタイムを楽しむなら、汐見さんはまだしばらく湯船に浸かっているだろう。
今なら直接、話す時間もとれる。
履歴のひとつをタップして、スピーカーに切り替えながら、どう言い訳しようか考——すぐ出た。
『鳴海凛人を無事に返せ!』
「なんで誘拐された前提で出るんだよ」
『ずっと連絡が途絶えてたんだもん。……てか、おっそい! もー! ホッとしたー!』
電話口から安堵の吐息が聞こえる。
その耳慣れた声を聞いて、僕も落ち着いた気持ちになる。
『どうして返信なかったん? 病気? 風邪なの? え、もっと深刻な病魔……? 今すぐ看病に向かうべき!?』
「凪瀬、落ち着いて」
『べ、べつにアンタの寝汗なんて、全身くまなく拭いてあげても構わないんだからねっ!』
「ツンが下手すぎてただのデレじゃん」
情緒は不安定で言葉は不器用だけれど、心配は痛いほど伝わる。
凪瀬彩伽。
去年に市外からきた転校生であり、当初はふてぶてしい態度や個性的なファッションとメイクで教室でも浮き気味——だったクラスメイト。
今は僕にとって気の置けない関係の女の子でもある。
「ちょっと諸事情で行けなくて。明日はちゃんと登校するから」
『ならいーけど……今朝寄らなかったの、死ぬほど後悔したんだから。あ、そうそう! てかちょっと聞いてくれん?』
そこから、凪瀬の怒涛の愚痴がはじまった。僕が休んだことで学校が如何につまらなかったとか、クラスの雰囲気がクソだとか。好きなマンガがアニメ化するとか、でも制作会社が知らなくて不安だとか。……しかし懸念していた話題は一向に出てこない。
とうとう、こちらから切り出すことにした。
「ところでさ、……蒼一のことなんだけど」
『あ、忘れてた! 今朝それ聞いて、ほんとびっくり』
やはり、すでに情報は出回ってきたらしい。
行方不明の失踪扱いか、あるいはすでに事件化が疑われているのか。
『家庭の都合で留学なんだってね。急すぎない。あいさつくらいしろし。ていうか、なんで教えなかったの! もちろん知ってたんでしょ?』
「えっ……ああ、ごめん。僕も直前になって知ったんだよ」
いや、知らん。
留学? そんな話は聞いてない。時間旅行は海外扱いなのか?
だが、彼の不在にもクラスは通常運転だったらしい。蒼一が消えても齟齬なく進行している。……まるで、あいつ自身がこの状況をあらかじめ想定していたかのように。
『てか普通にすごくない? チベット高原の僧院で精神修行するらしいやん』
「へ、へぇ……まあ、あいつ実はスピってるとこあるしなぁ」
なにその設定のディティール。準備してたなら相談しろよ。もっと真面目に考えてやるから。
口には出さず親友に物申したタイミングで、
「——あ」
洗面所からドライヤーの音が聞こえた。
え、もう出たのか汐見さん。
『——どしたん?』
その動揺がスマホ越しにも伝わったらしい。凪瀬が過敏に反応する。
『やっぱり、様子おかしくない……? 決めた。明日は家まで迎えに行くから!』
「いや、それは——」
直後、呼び声が届く。
『……ん? 今、女の声がしなかった?』
「気のせい! ただのオカルト現象だから!」
『え、こわ……』
「じゃあ、また明日!」
慌てて通話を切る。ふぅー。平静を装って、逆に怪しかっただろうな。
通話時間を見ると、あっという間に一時間近くが経っていた。
凪瀬との会話はいつもこんな感じ。体感時間が役に立たない。
——それは、彼女だから特別なんだろうけど。
洗面所に行くと、扉の向こうでドライヤーの音が途絶えた。
念のため、扉の手前から声をかける。
「汐見さん、もう出たの?」
「出たよ。まだ温かいし……次、入ったら?」
「……開けたら下着姿だったりしない?」
「しない。もう着替えたし」
「何かに誓える? 信仰によって対象は違うと思うけど、とにかく信じてるもの」
「じゃあ、鳴海くんに誓う」
意を決して扉を開けると、そこには誓いどおりに着替えを済ませた汐見さんが立っていた。
頬は上気しており、風呂上がりの余熱を感じさせる。
下は今日選んだグレーのショートパンツ。白い素足がその下からすらりと伸びている。
上は昨夜同様、僕の渡した大きめの白無地ティーシャツ。
やはりオシャレに着こなし——いや待て。
「ちょっ、汐見さん! なんでしてないの!」
僕は目を逸らしつつ、主張のある胸元を指差した。
「え? いつも寝る前は着けないよ」
「着けてよ!」
「昨日もしてなかったよ? 締めつけがしんどいから」
「女子の事情は知らないけど! 同級生男子の家に居る自覚を持ってくれ」
「でも、鳴海くんが言ったよね。『自分の家だと思って過ごしていい』って」
「うっ……」
昨晩に言ったセリフをそっくりそのまま返される。
この子、天然なようでちゃっかりしている。
「あと『男に二言はない』って、言ったよね?」
「それは言ってない。勝手に捏造するな」
「それに『据え膳食わぬは男の恥』とも」
「言ってねぇ!」
せめて寝る直前まで下着を付ける、という最低限の妥協を引き出す。
下心が睨みつけてくる気配を感じつつ、家主としてのプライドを優先してやった。
もはや精神的勝利と言っていい。
……何か、大事な言葉を伝え忘れているような。




