『集結の姫君』
車があちこちに止まっている車道を、巨大なライオンが疾駆する。
エルピスがレグルスの背に乗り、前を指さす。
「急いで、レグルス」
レグルスは目前に立ちふさがる、シュブニグラスの子らを、飛び越える。
構ってる暇はない、とでも言いたげに鼻を鳴らす。
象さん公園にたどり着いたエルピスは、公園の中央でレグルスから降りる。
「ありがとう」
レグルスの鬣を撫で、レグルスがエルピスに返事するように唸る。
エルピスは上を見て、呼ぶ。
「ノーデンス」
エルピスが呼びかけると、寸刻もせず、ノーデンスの姿が
頭上に浮かぶ。
ノーデンスが答える
「エルピス。何故一人で……」
「マリヤを呼んで」
「……何故」
「早く」
エルピスの決意の瞳に、ノーデンスが圧される。
「……よかろう」
ノーデンスの姿が消える。
エルピスはじっと待つ。
一分もしない内に、空が歪み、巨大な鷲が現れる。
エルピスの前に、マントを纏って、マリヤが降りてくる。
マリヤはエルピスを見て、眉をしかめる。
「あんたなの……」
マリヤとエルピスが見合う。
一向に喋りださないエルピスに痺れを切らしたマリヤが口を開く。
「何? ノーデンスから急いで来てっていわれたけど……」
「太陽を助けて」
エルピスの言葉に、不機嫌そうに眉根を寄せる。
「何で、私がそんなことしなくちゃいけないのよ。言っておくけど、私はエルフ族の女王よ。私は自分の国を守らないといけないの」
ルシエは、エルピスを半目で睨みつける。
エルピスも見つめ返す。
「どう考えても、神話世界から邪神を追い払ったのがあんたなんて信じられないわね。こんなに小さくて、何にもできなさそうな子供なのに」
マリヤはエルピスを小馬鹿にしたように
「あんたは気楽そうでいいわね。あの男に護ってもらって、何もしなくていいんだもの」
マリヤの嫌味に対してもエルピスは言い返さない。
「言い返さないのは事実だからでしょ」
「……。どうして、あなたはあの時、涙を流したの?」
エルピスの言葉にルシエの眉が上がる。
「あんた……」
「太陽は……あなたを決して裏切らない」
「あんたに何がわかるって言うのよ!」
公園にマリヤの怒声が響く。
動じることなくマリヤを見上げるエルピスを馬鹿にするように
「あいつが今どこで何してるかなんて知らないけど。いなくなったのは、あんたを置いて逃げたからよ」
マリヤの言葉が放たれた瞬間、空気が変わる。
「……太陽は、逃げたりなんかしない」
「なんで、あんたにそれがわかんのよ! 今、この世界を襲ってきたのは、外なる神よ。あいつが独りで行って勝てるわけない! どうせ適当なこと言って逃げ出したに決まってるじゃない! 」
「だって、太陽は勇者だから」
小さな、だけど心の底から出たその言葉に、マリヤが固まる。
エルピスがマリヤの手を握る。
「何を?!」
繋いだ瞬間、マリヤが茫然とする。
「うそ……でしょ」
マリヤの眼に映ったのは、巨大な城。
外なる神と一対一で渡り合う、太陽の姿だった。
暗雲で覆われた天蓋から、外なる神の本体が天守閣へと降臨していた。
天守閣に降りてきたあまりにも巨大な外なる神へと、白銀の騎士に変身した太陽が、輝く球体を投げつけ、攻撃する。
「信じられない。あいつ……。たった独りで……」
マリヤは信じられなかった。
神々ですら滅ぼされる、超越者たる外なる神。
そんな奴らに対して、人間である太陽が立ち向かっていること。
「あいつ……馬鹿なの!? あんな奴相手に、独りで勝てるわけないじゃない!」
「今の私は、太陽と並んで戦えない。護られるばかりで、太陽の力になれない。けど、あなたなら、太陽の横で戦える」
エルピスは、顔を俯いた顔を上げると、決然とした面持ちでマリヤに言う。
「お願い。太陽を助けて」
「なんで、あいつにそこまで……」
「信じてるから」
その曇りなき眼に、マリヤが言い返そうとするも言い返せない。
「あなたも、太陽を信じて」
マリヤが歯ぎしりをして、
「……いいわよ。そんなに言うなら、見に行ってやろうじゃない! どうせ、やられてるかもしれなけどね! 」
マリヤが言うと、エルピスは
「ありがとう」
と言ってお辞儀をする。
鼻をならしたマリヤは上空から降りてきたフレースヴェルグの背に乗って、城へと向かう。
エルピスはレグルスに乗り、マリヤを追いかける。
咲耶は玄関を何度もたたく音に、慌てて玄関へ向かって開く。
「ヒル子様! そのお身体はどうなさったのですか?! 」
咲耶が驚く。
ヒル子の姿が今にも消えかかっていた。
「何とか消えるまでに間に合ったのじゃ! 時間がないのじゃ! 今、起きていることはわかるな?!」
咲耶は空を見上げ、頷く。
「異界になっているのですね」
「そうじゃ! 街全体が、異界化しておるのだ!」
ヒル子は切羽詰まって言う。
「あれを見よ!」
ヒル子が指さした方向を見た咲耶は
「あちらは……お城の方でしょうか。巨大な暗雲に覆われてますわ」
「あそこにとんでもない邪神が降臨しかけておるからじゃ!そして、太陽が、今あそこで一人で戦っておる! 一人で行ってしもうたのじゃ!」
衝撃でうめき声が漏れる。
「そんな……おひとりで……」
「頼むのじゃ! 咲耶! あやつを、太陽を助けてくれぬか! 」
咲耶は頷きかけたが、固まる。
「どうしたのじゃ、咲耶!」
と言ってると、後ろからとたとたとスリッパの音がして
「お姉ちゃん?」
「健太……」
小さな男の子が、咲耶の後ろからのぞき込む。
「おお! 健太ではないか! 元気そうじゃ!」
ヒル子の顔を見て、不思議そうに健太が首を傾げる。
そんな健太、そして唇を噛んで俯く咲耶を見て、ヒル子が漸く悟る。
咲耶は太陽を助けに行きたい。
だけど、弟を健太を置いていくわけにはいかない。
ヒル子が声をかけるべきか逡巡した時だった。
「行ってあげなさい。咲耶」
玄関の奥から、おじいさんが歩いてくる。
「おじいちゃん!」
「お主が何度も話しておった、健太を助けた太陽君のことじゃろう?」
おじいさんはヒル子を見て、
「あなた様がヒル子様ですかな? 咲耶から何度も話を聞いております。太陽君と一緒に、咲耶と健太を助けてくれたそうで」
と拝むおじいさんに
「ま、まあ。そうなのじゃ」
とヒル子が照れる。
健太が姉である咲耶を見上げる。
「お姉ちゃん、行って!」
「健太、あなたまで……n」
「僕はもう大丈夫だよ! お姉ちゃんも助けに行きたいんでしょ!」
強い決意を込めた瞳で、健太が咲耶を見上げる。
「僕を助けた勇者を、助けて!」
咲耶が強く頷く。
「行きましょう! ヒル子様!」
「ほ、本当に、よいのか?! 」
ヒル子が驚くも
「はい! 」
と言って、城の方を見て、両手で祈るように重ねる。
「今度は私が、あの方をお助けいたします!」
「どういう風の吹き回しかしら」
鮮血の満月の下、海辺で黄昏る睡蓮の前に、黒マントの男が現れる。
「おやおや、気づかれてしまいましたか」
「隠れるつもりもなかったでしょうに。それで、何の用?」
「姫君に、今の状況を教えてさしあげようと思いましてね」
「必要ないわ。私も知っているから」
ニャルラトテップに向けて、睡蓮は答える。
「彼を助けに行かないのですかな?」
睡蓮が訝し気に目を細め、ニャルラトテップを見る。
「私を唆してどういうつもりかしら? 」
「なに、私は彼にはまだまだ活躍してほしいのですよ。姫君だって、彼に負けて欲しいわけではないでしょう? 」
彼が負ける。
運命に抗うといった、あの彼が。
心の奥で、何かがズキっと痛む。
「彼には【神殺しの器】になり得る可能性がある。それは姫君、あなたがよくご存じのはず」
目の前のニャルラトテップの言う通り、彼が万が一外なる神にすら届きうるのだとしたら
「それは……父への明確な反逆よ」
「ええ。ですから、私がその理由を作って差し上げたいと思いましてね」
ニャルラトテップがにんまりと笑みを浮かべる。
「あなたの忠実な配下には、こう言いましょう。我らが魔王陛下の代弁者たるこのニャルラトテップの命により、無理やり行かされた、と。兄君たちに関してはまだ母星でしょうから、問題ないはずです。
「……そこまでして、あなたに何のメリットがあるというのかしら」
「そうですね……」
ニャルラトテップが
「彼に死なれて、勝ち逃げされたままでいられるのは、癪に障るのでね」
「本当にそれだけかしらね」
「これは嘘偽らざる気持ちですよ」
睡蓮はどこまでも暗闇の続く海を見てたが、ニャルラトテップに向き直る。
「いいわ。あなたの口車に乗ってあげる」
睡蓮が、その翼を広げ、高く飛び上がる。
「八剣太陽。私がしてあげることはここまでです。今はまだ、死ぬべきときではない」
ニャルラトテップの周囲に闇が漂う。
「今はまだ、ね」
そういうと、闇の中にニャルラトテップが沈んでいく。
灼熱の炎が、シュブニグラスの子を火だるまになるなか、
「あんた、本当に馬鹿ね! 外なる神をあんた独りで倒せるわけないじゃない!」
怒り心頭の表情のマリヤが仁王立ちで俺を睨みつけていた。
「マリヤ……」
つかつかと、マリヤが俺の前までやってくる。
片手を腰に当て、もう片方の手が俺の鼻先に指さす。
「いい! 言っておくけど、私はあんたの女神じゃないし、女神になんてなりたくないの! だから、助けて欲しかったら、素直に言いなさい! 」
マリヤの剣幕に押され、俺は黙って何度も頷く。
「素直じゃないのは、あなたも同様だと思うけど」
俺の右側にいた睡蓮が笑うと、マリヤがぎろっと睨む。
「あんた、まさか……。こいつのことは、あとで聞かせてもらうわよ、太陽! 」
「そんなこと言ってる場合かしらね」
睨み合うマリヤと睡蓮のぴりついた雰囲気の中
「ふふ。何だか賑やかですわね」
朔耶が俺の腕の下から見上げる。
咲耶が笑みを浮かべながらも、どことなく棘があるように感じたのは気のせいか。
「あ。ああ。ところで何で来てくれたんだ? 」
マリヤ、咲耶、睡蓮に聞くと
「あんたが馬鹿な真似しようとしてるから、助けてって、そいつに頼まれたからよ」
マリアが俺の後ろを指さす。
俺は振り向く。
「太陽」
レグルスの背に乗ったエルピスが、俺を見ていた。




