『生きる意味』
暗雲から天守閣に向かって、降りてくる巨大な房。
その巨大な実の一つ一つの中に、半透明の膜を通して、数えられない程の脳髄が数珠つなぎで繋がっていた
「ああ。そうだよ。妾の中で保護してあげているのさ」
「それは……まさか……生きてるっていうのかよ?! 」
「ああ。そうさ! 意識もあるよ! 妾が栄養を与えているからね! この子たちは、あたしの中で生きてるのさ!幸せな夢をみてね!」
絶句する俺に向かってバビロンは
「言っただろう。保護してあげてるってね。それは、何も他の邪神からだけってことじゃない。あらゆる痛み、苦しみ、悲しみ、全てから解放してあげたんだよ」
脳髄が繋がったシュブニグラスの本体の下で、バビロンが言う。
「夢を見てるのさ。幸せな夢だけを見てね! 自分の理想、この現実世界では叶えられないものってのがたくさんあるだろう。誰もが皆、夢をかなえられるわけじゃあない。それどころか、悲惨な悪夢のような地獄に陥る者だっている。そんなの哀しすぎるじゃないか」
心底辛そうにバビロンは自分の胸を抱く。
「妾は空間や次元を超え、いろんな次元を旅してる。あんたは知らないだろうがね! 人間の想像を超えた残虐な邪神がたくさんいるのさ! 想像できるかい! 生きながら餌のように食われるさまを! 邪神の餌として!正気を失い人間から怪物へと変身していく様を!
バビロンが必死に言う言葉に、俺は反論できない。
怪物によって、犠牲になった人々を知っているから。
「妾がこうでもしないと、この子たちは死ぬよりも惨い目にあってただろうよ!言っておくが、この世界はもう手遅れさ! 万魔殿の奥で寝むる魔王、そのメッセンジャーたるニャルラトテップに目をつけられた以上、そう遠くない内にこの星も、必ず滅びの道を辿ることになる。旧き支配者、外なる神なのか、いずれにしたってねえ!
バビロンが両手を広げ、叫ぶ。
「八剣太陽! 妾の使徒となるのだ! お主が使徒となれば、ニャルラトテップにも対抗できよう!お主が守りたいものは、みな永劫の幸福の中で、生き続けることができる!それがどれだけかけがえのないものかは、お主が一番わかっておろうが!」
バビロンの言葉に抗えない。
俺自身の経験、大切な誰かを失うなんて経験、誰にも味わって欲しくねえ。
「人の身では味わえない、究極の喜びを味わわせてあげようぞ」
俺がこいつの使徒になれば、みんなが救われるっていうのなら……。
それはどれだけ幸福なことか。
「母たる妾の元に還ろうぞ。妾の愛を、受け入れるのだ」
俺が剣を下ろしかけたその時、
『あなたの夢を、教えて』
夕焼けの砂浜。
莉々朱さんとの最後のデート。
『あなたがその夢を抱き続けて、そしてその夢を追いかけ続ければ……いつかきっと、夢があなたを抱きしめるわ』
風景が黄金樹へ移り変わる。
神の炎に焼かれながら、己自信の理想の姿を思い浮かべる。
『負けないで』
半透明になった莉々朱さんが、俺の頭上に浮かび、飛び込んできて……。
俺たちは抱きしめ合う……
再び、夕焼けの砂浜に戻る。
ヒル子が俺の頭をはたく。
『一人でかっこつけるでないわ! それに、言うたであろう。お主は一人ではない! 我らが一緒じゃ!』
エルピスが俺の手を握りしめる。
『一緒』
俺を見上げたエルピスが、微笑んで……。
「さあ、どうだい? 妾と共に、幸せな世界を」
「……お断りだ」
バビロンの表情は変わらず惚けたように。
「ん? 聞こえなかったぞ。妾にもう一度言ってみよ」
「お断りだって言ったんだよ!」
俺の叫びと同時に。
何かがぶつっと切れ、樹の怪物が騒ぎ出す。
「ほお。それは、どういう了見だい。妾の中にいれば、全ての苦しみから解放されるのだぞ。最高の人生ではないか!」
俺はバビロンの頭上、シュブニグラスの本体に繋がった脳髄を指さす。
「そんなもの、生きてるだなんて言えねえ……。死んでるのと一緒だ!」
「何を言うておるのだ? これこそ、究極の幸せではないか?」
俺は、自分の心臓に手を当て、叫ぶ。
「喜びだけじゃねえ。痛みも、苦しみも、哀しみも。その全てが今の俺なんだ!それを無かったことになんて、できやしねえ!それを無くしたら、俺が俺じゃなくなってしまう!そんなこと、させるものかよ!」
バビロンが叫ぶ。
「ならば! お主は人類が悲惨な目に会ってもよいというのか!
妾の中に還れば、遍く人類皆が幸せにできるのだ! 全ての苦しみから解放された、究極の幸せを!」
「人間であることの意味を、てめえら邪神が語ってんじゃねえええええええええええええええええええええ!!」
雄たけびをあげ、俺は剣で邪神を指さす!。
「俺達の世界はてめえらの遊び場じゃねえ!! てめえらの好き勝手にさせるものかよ!」
シュブニグラス本体が胎動する。
「妾の愛を受け入れることができないのなら、お主はここで、子供たちの餌になるがよい!」
シュブニグラスが俺を指さし、周囲の樹の怪物、シュブニグラスの子が動き出そうとした時だった、
「よく言ったわ。八剣太陽。流石、女神の守護者ね」
俺の背後に迫る怪物が吹き飛び、黒豹が俺の元に来る。
「バースト!」
「お届け物よ」
と背中を見せる。
バーストは背中にリュックが背負っていた。
俺は受け取り、リュックから俺は鞄の中から、それを取り出す。
それは、左手にしっかり収まる。
黄色の革のハンドボールだった。
「これは……」
「店長が、きっとあなたの役に立つって」
俺はハンドボールを見て、バーストに向かって礼を言う。
「ありがとう」
「片腹痛いわ! そんなおもちゃ一つで何ができるというのだ!」
俺はバビロンを無視して、手にしたハンドボールを見つめる。
何度も何度も使い込んだそれは、松ヤニの後、石で表皮が傷つき、すり切れていた。
けれど、それは確かに、俺の魂だった。
俺はそれを手に、念じる。
応えてくれ。あいつらを倒すための武器に!
「目覚めろぉおおおおおおおおおおお!」
戦女神ヌトセの言葉を思い出す。
『イマジナイトは、お主の最も誇るべき才をも、武器とすることができる』
「な、なんだ?!」
手のひらの上、ハンドボールが輝きを放ち始める。
それは何重もの模様が刻まれた光の球体となる。
俺は後ろに数歩下がり、そして前へ向けて駆け出す。
一歩、二歩、三歩!
地面を砕き、俺は飛び上がる。
天守閣の上、バビロンの真上まで。
バビロンが俺を見上げ、驚愕する。
「シューーーーーーートーーーーーーーーーーーー!!!」
左腕を全力で振り下ろし、天から輝く球を投げる。
ボールはバビロンに直撃する寸前、本体から伸びた脚が盾となる。
「はっ。この程度! 」
交差する脚の前でボールが回転し続ける。
「砕けろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
脚に罅が入った刹那、脚がバラバラに吹き飛び、バビロンの頬をかする。
俺は地面に着地する。
跳ね返ったボールが俺の手に戻ってくる。
バビロンが頬に手をやり、血を流れるのを見て
「どうだ? 母親気どりの、糞ババアがっ!」
「……もうやめじゃ」
バビロンの眼が憎悪で燃えあがる。
「妾自ら、お主を餌として喰うてやろうぞ!」




