『保護』
バビロンの発した言葉の意味がわからず、
「保護? 」
と聞き返すと、バビロンが頷く。
「一体、何を言ってんだ……」
「言葉のとおりさ。妾はお主たち人間を保護しにきたのさ」
バビロンは口元に笑みを浮かべ、慈愛のこもった声で語りかけてくる。
「八剣太陽。お主なら知ってるだろう。数多の邪神がこの世界を狙ってることは」
「ああ……」
「お主が戦ったニャルラトテップ。あいつも外なる神だがね。奴以外にも、想像を絶する強大な邪神がこの世界を狙っておる。何故かは妾が言わなくてもわかるだろう」
俺は呟く。
「エルピスがいるからだな」
「エルピス? ああ、宇宙卵のことかい。そうさね。まああれが全ての鍵だからね」
バビロンは首を振ってふうとため息をつく。
「妾は見てられないのさ。お主たちみたいな未熟な種族が、同輩とはいえ、邪神にいいように滅ぼされるのをね」
「そんなこと、俺がさせねえ!」
「威勢がいいのは好感がもてるが、少年よ。妾は心配して言っておるのだ。このままでは遠からず、この世界は滅ぼされる。お主がいようがいまいが、それは変わらぬ」
バビロンは胸に手をやる。
「だからこそ、妾が来たのだ。この世界は、邪神共の餌にするには惜しい」
「てめえが、何で人間なんかに入れ込む! てめえも同じ邪神だろうが!」
「お主は邪神というが、妾は母なる女神でもある。生きとし生けるものは、妾の子じゃ。ならば、それが犠牲になるのを避けたい、と思うのは母たる妾にとって自然なことなのだ」
バビロンは哀しそうに俺を見下ろす。
「何で、そんなことを俺に話すんだ!?」
「それは、妾がお主を気に入っておるからよ」
嬉しそうに笑みを浮かべ、高く声を上げる。
「八剣太陽。生意気なところはあるが、お主は見所がある!お主はニャルラトテップに打ち勝った! 大したものだ!人間の身で、奴の化身を打倒したのだから!
バビロンは両腕で胸を抱き、うきうきと喋る。
「お主の戦いを見させてもらったが、惚れ惚れしたねえ! お主が倒した化身は、血塗られた舌といってのう。ニャルラトテップの中で最も狂暴な化身だ。それを、旧き神々の協力があったとはいえ打ち滅ぼした! それは並大抵の神々ですら、成しえなかったことだ! あいつをあれだけぶちのめしたのも、燃える妖星くらいなもんさ」
バビロンがあまりにもほめそやす。
まるで母に褒められた時のようにくすぐったくなる。
「八剣太陽。お主に頼みがあるのだ」
「頼みって、何だ?」
バビロンが手を伸ばす。
「妾の使徒になるのだ」
聞きなれない言葉に戸惑う。
「使徒……?」
「そうさ。化身じゃあないよ。まあ、妾の子分ってところだね。妾の力を分けてやる。けど、意識は変わらずお主のままさ」
「俺が、使徒になんてなるのに、何の意味がある!」
「そうだね。お主は妾の手下となって、他の邪神と戦うのさ。お主は知らないだろうけど、外なる神や他の邪神も仲良しこよしってわけじゃあないのさ。妾なんて、穏健派の方だよ。妾は人間を保護したいけど、他のやつらなんて、星ごと呑み込もうとしたり、ニャルラトテップなんか、人間が破滅させるのを間近で見たいなんていう、慈悲の欠片もない奴さ」
やれやれとバビロンは肩をすくめる。
「それに、そうだ! お主が選んだ人間は、妾が護ってやる」
どれだけ気前が良いか、と胸を張ってバビロンが話し続ける。
「これでもだいぶ、譲歩してあげてるの、わかるかい? 言っておくけど、妾が本気を出せば、この世界は、丸まるが呑み込めるんだよ。けど、お主が妾の使徒になるってことに免じて、この街の人々、それにお主が選んだ人間は保護してあげるよ」
バビロンの提案。
普通なら邪神の言うことなんて信用できるわけがねえ。
けどバビロンの声や態度から、もしかしたら本心かもしれねえ、と思ってしまう自分がいる。
「それは、エルピスもってことか」
「勿論さ。妾は他の奴ら程、宇宙卵のことは気に留めてないのさ。あれをお主が守りたいってんなら、他の邪神からでも守ってあげるさ」
バビロンの言葉が、心地よく耳に入ってくる。
「どうだい、悪くない提案だと思わないかい?」
「あ、ああ」
暗雲が辺りを覆い、天守閣の天辺から頭上が見えない。
周囲の樹の怪物も、バビロンの言うことに素直に従い大人しくしている。
「仮にもし、あんたの提案に従ったら、この街はどうなる?」
「どうもこうも変わりないさ。多少、変化はあるが、街の人々は夢を見ながら、幸せに生きていくのさ」
バビロンの発した言葉。
何かが気になる。
「夢って……なんだ? 」
「まあ、実物を見てもらった方が早いかもねえ」
「実物?」
「そうさ。妾は人間を保護してると言ったがね、なにもそれはこの世界だけではない。時間も次元も超えた、ありとあらゆる世界の滅びに扮した人間共を保護しているのさ」
バビロンが腕を上げる。
俺は見上げた途端、背筋が凍り付く。
天守閣の天辺に集った暗雲を裂いて、降臨する。
巨大なブドウの房のようなそれは、圧倒的なまでの威圧で、俺の頭上に迫ってくる。
都会のタワーマンションよりも巨大な房には、実のようなものが数えきれないほど付いていて、そこから膿のようなものがぽたぽたと降りてくる。
それは俺の横の地面に落ちると、蒸気を上げ、地面が溶ける。
「これが妾の本体、その一部分さね。この中で、お主たち人間を保護してあげるのさ」
「これのどこで……」
シュブニグラスの本体を見上げながら言いかけた時、俺の眼に何かが映る。
脳が理解を拒む。
悍ましい実の中に、さらに小さい何かが見える。
「あれは……なんなんだ?」
「あれかい。そうだよ。妾の身体の中で保護してきた人間さ」
俺は思わず膝から崩れ落ちる。
「違う……そんなの、人間じゃねえ。人間であるはずがねえ」
バビロンが不思議そうに首を傾げる。
「何言ってるんだい。紛うことなき、人間さ」
あれが何か、漸く分かった時、あまりの理不尽さに絶叫する。
「あれは、脳みそじゃねええかぁああああああああああああ」




