『chapter end:悲しみがそしてはじまる』
巨大な柱、否、脚がゆっくりと持ち上がる。
そしてそれは、地面に向けて突き刺さり、ビルが倒壊する。
「あれが……外なる神……」
「あれは、怪物ではないのか?! 」
「いいえ。怪物どころか、邪神ですら、あれの足元にも及ばない」
天守閣を中心に巨大な嵐が吹き荒れる。
空全体が変色を繰り返し、世界が塗り替わる。
街を埋め尽くすように、樹の怪物が、異界となった街を闊歩する。
「どうすりゃいいんだ……」
「あれを現実世界から切り離すしかないわ」
城より高い脚をもつ邪神。
外なる神。
あまりにも規格外すぎる。
俺が茫然としていると
「そもそも、何故、街の人々が凍り付いたように動かないのじゃ! 」
「まだ完全に現実世界が侵食されてないからでしょうね」
「どういうことじゃ?!」
バーストが振り向いて
「外なる神は、何度も現実世界との境界線に接触してきた。集合的無意識という名の境界線にね」
「集合的無意識? 」
「ええ。個人を超えた人類全体の心の形。境界線が揺らぐたびに、人々の意識は現実と異界の狭間に落ちやすくなる。夢という狭間の世界に」
教室での男子の会話を思い出す。
「だから、みんな夢を見たなんて言ってたのか」
「ええ。繰り返される衝突により、境界線に罅が入った。ゆえに、外なる神が降りてきた。だけど、侵食が不完全だからこそ、まだ人々は残された現実世界との繋がりで辛うじてこの異界に抵抗している。だから人々はまだ凍り付いてはいるものの、存在し続けている」
バーストが俺を見て
「無論あなたは、神話世界由来のその左手の神宝を身につけていることで、女神の守護者として、異界であっても、己が肉体と魂を何ら損なうことなく、戦える」
「その、僕はどうして動けるのかな? 」
店長が困ったように手を上げると
「あなたというより、この店ね」
「どういう意味だい? 」
「この建物の存在自体が、異界に片足をつっこんでいる」
「えっ?!」
店長はびっくりして目を丸くする。
「エルピスやレグルス、それに私がいることで、この店は霊的な場として機能している。だからあなたはここでなら現実世界と同じように動ける」
バーストが再び前を向く。
「けど、時間の問題よ。外なる神の本体が完全に降臨したら……」
「したら?」
「この街の全てが、異界に呑み込まれる。人々は異界で衰弱しながら、怪物に魂ごと食われるでしょうね」
俺は城を見て、悟る。
「もう一刻の猶予もねえってことか!」
バーストが頷くと、
「そうじゃ! 太陽、予言じゃ!」
ヒル子が俺を見て叫ぶ。
「予言? 」
「ノーデンスが言うたではないか!『勇者と運命の姫君が出会うとき、新たな扉が開かれる』と! 」
ヒル子が指を一本折る。
「まずはエルフの女王、マリヤじゃ! 最初はあんなに見下しておったが、お主の力を認めて仲間となり、我らと共に怪物を一緒に倒したのじゃ! 」
マリヤとの戦い、炎の檻で見つめ合った瞬間。そして共闘を思い出す。
「あいつに認めてもらえたのも、怪物に勝てたのも、まぐれみてえなもんだ」
「そして二人目の咲耶じゃ! 絶望に落ちかけたあの者を女神の力に目覚めさせ、あの者の弟を共に助けたではないか!」
咲耶と手を繋いだこと、そして女神に目覚めた咲耶を思い出す。
「それも咲耶が自分で目覚めただけだ。俺は何もやってねえ」
「そして最後! 邪神の姫である、睡蓮じゃ! お主はあの者の課した謎を解き、あの者の心に、人でしか持ちえぬ希望を持たせたのじゃ!」
睡蓮の冷笑と諦め、残酷な運命に抗うよう叫んだことを思い出す。
「謎は母ちゃんが言った言葉がきっかけでたまたま答えが出ただけだ。それに、睡蓮は仲間になるとは決まったわけじゃねえ! 」
というと、ヒル子が俺の目の前に来る。
「認めよ、太陽! お主の意志が、あの者たちの心の扉を開けたのじゃ! あの者たちこそ、お主の運命の姫君じゃ! 姫君とお主が共に戦えば、どんな運命だって乗り越えられるはずじゃ! 」
ヒル子がそう言うと、後ろを向いて、エルピス達を指さす。
「無論! 我らも一緒じゃ! 我らが一致団結すれば、必ずやどんな邪神だろうと倒せるのじゃ! 」
ヒル子の自信満々な笑みに、俺の心が熱くなる。
ヒル子の言う通りかもしれねえ。
俺を見つめるエルピス、レグルス、バースト、店長。ヒル子。
俺には仲間がいる。
そして……。
エルフの女王、マリヤ。
桜の女神、咲耶。
邪神の姫、睡蓮。
彼女たちの顔が思い浮かぶ。
もしかしたら彼女たちも仲間になって、俺に力を貸してくれる。
そしたら、どんな運命だって……。
「そうだな。俺は……」
ヒル子に向かって、口を開きかけたその時。
『忘れたのか? 』
突如、脳内に声が響く。
『君の罪を』
視界が急激に反転する。
『負、けないで……』
莉々朱さんが俺の腕の中で笑みを浮かべて……。
砕け散る。
「あ、あああ……」
俺は顔を押さえる。
目を閉じても、光景が蘇る。
何度も、何度も。
莉々朱さんの死が、繰り返される。
「ああ、ああああああ……あああ……」
「ど、どうしたのじゃ! 太陽! 」
ヒル子が慌てて俺を呼ぶ。
「もう、やめろ……」
三人の女性が俺の前に並んで立っている。
睡蓮が目を細めて、くすくすと笑う。
咲耶が花のようににっこりと笑う。
マリヤが不機嫌ながらも、仕方なさそうに最後に微笑む。
彼女たちが俺の目の前で……
血の塊となってはじけ飛ぶ。
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「太陽! しっかりするのじゃ! 」
俺は跪いて、頭を抱える。
「もうやめてくれぇえええええええええええええええええ」
ばたばたと倒れる音がする。
俺は目を開ける。
ぼろぼろになったゲームショップEDENの前に立っていた。
ドアを開けて、俺は息を呑む。
乱雑なごみ屋敷のような店内で。
黒猫が干乾びて、絶命している。
店長が血だまりに倒れ、手足が色々な方向に曲がっている。
レグルスの胴体には、首がなく、血が噴き出す。
ヒル子の四肢が切断され、テーブルの上でバラバラになっている。
「エルピス、エルピス!? 」
俺は二階に駆け上がり、廊下を抜け、扉を開ける。
一人の少女が背中を向けて、俯いている。
「エルピス……」
俺は神にも縋る気持ちで近づくと、
俯いた頭と首が、ブチブチとちぎれていき……
ボトリ、と、頭が落ちる。
転がった頭が俺を向く。
片目が抉られ、光の無い、虚ろな眼で俺を見返す。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫した俺は目を開く。
俺は爪で顔をかきむしる。
「太陽君、しっかりするんだ!」
「どうなっとるのじゃ! バースト!」
「わからない。考えられるとしたら、邪神が直接太陽の精神に攻撃を仕掛けている」
「何故じゃ!」
「気づいたからよ。唯一、己の敵となる存在を! 」
俺は地面に頭を何度も打ち付ける。
脳が砕けて、何も見えなくなるように。
「太陽! 太陽! 」
細い声の主が俺の身体にすがる。
跪く俺の頭を必死に誰かが抱きしめる。
脳内の映像にノイズが混じり、ようやく俺は何とか立ち上がる。
視界全体が血に染まる。
俺を見上げるエルピス。心配そうに見る店長、バースト。そしてヒル子。
ああ。そうだ。
来るべき時が来たってことか。
漸く決意が固まった俺は、言う。
「……。俺は独りで行く」
ヒル子がポカンと口を開ける。
「は? 何を言っとるんじゃ……」
「聞えなかったのか」
俺は、街の中心部。
嵐に呑み込まれた天守閣を指さす。
「あの外なる神は……俺独りで倒す」
ヒル子が激昂する。
「ふざけたこと言うでない! お主一人でなど倒せるわけが!」
「うるせぇええええええええええええ! 」
俺が叫ぶと、ヒル子、店長が目を見ひらく。
俺は息を吐き、俯いて、拳を握りしめる。
これ以上、言うことはない。
みんなに背を向けて、歩きだす。
「太陽」
俺の手をエルピスがつかむ。
エルピスの顔を見ずに、その手を俺は、振り払う。
「……」
エルピスの感情が痛いほど伝わる視線を無視する。
「レグルス。エルピスを頼む」
成体のレグルスは、エルピスの隣で俺を唸りながら睨む。
屋上のドアを開け、降りる。
「何を意固地になっておるのじゃ!」
ヒル子の声が後ろから聞こえるのを、俺は無視して降りる。
二階、一階に下り、店のドアを開ける。
立てかけていた自転車に乗り、漕ぎだす。
背中から、ヒル子の叫びが聞こえる
「太陽! 待つのじゃ! このっ! あほーーーーー!」
街の中心部に近づくにつれ、風が段々と強くなる。
人々が固まり、動かなくなった商店街を抜ける。
莉々朱さんとデートした、ひろめ市場を通り過ぎ、城の正面門までたどり着く。
天まで伸びる柱のような、邪神の脚を避けながら。
吹き荒れる風の中、自転車から降りて、仰ぎ見る。
暗雲の中に、雷が走る。
巨大な影が映り込む。
その下に、天守閣が聳え立っていた。
全身の震えが止まらない。
けれど、俺は門に向かって、独り歩く。
「死なせねえ……」
門を抜ける。
「これ以上、誰も……死なせるもんかよぉお!」
俺は天守閣に向けて、階段を駆け上がる。
ゲームショップEDENの前。
「太陽め! 独りで行くなど死にに行くようなものじゃ! 」
ヒル子が憤り、エルピスが俯く。
「ヒル子。あなた薄くなってるわ」
バーストの指摘で自分の手を見てぎゃっと叫ぶ。
「彼の手にある依り代。イマジナイトに戻れないの?」
ヒル子が狼狽し
「わからぬ! さきほど太陽の錯乱した後から、依り代に戻れないのじゃ! あやつから切り離されてしまったみたいじゃ! 」
慌てふためくヒル子をよそに、エルピスは俯いた顔を、ゆっくりと上げる。
その翡翠の瞳が、輝きを放つ。
「レグルス。私をあの公園に連れていって」
レグルスが心配そうにエルピスを見る。
「エルピス! どこに行くのじゃ?!」
ヒルコの問いに、エルピスは
「話をしないといけない人がいる。だから……」
諦めたかのように、レグルスは小さく唸る。
エルピスの傍で屈むと、エルピスが乗る。
「うむ。そういうことなら、我も話せばならぬ相手がおるのじゃ! 」
とヒル子が叫ぶと同時に、空を駆けていく。
「エルピスちゃん、気を付けて」
店長がレグルスの背に乗るエルピスに言う。
エルピスは頷くと、レグルスが駆ける。
店長はバーストの方を向いて、
「バースト様。お願いしたことがあります」
「何かしら」
店長は一度店に入り、リュックを持って出てくる。
「これを太陽君に持って行ってください。必ずや彼の力になるはずです」
「……わかったわ」
黒豹はリュックを背負い、一気に駆け抜ける。
店長は見送りながら、呟く。
「『炎が黄金を試すように、苦難が勇者を試す』」
店長の眼鏡の奥の瞳、瞳孔が細くなる。
「証明せよ、勇者の魂を」




