『コスモス』
「エル姉ちゃん! エル姉ちゃんも一緒に行こ!!」
日曜日の朝から、陽芽が叫んでいた。
いつも日曜日は、陽芽はエルピスと一緒に遊んでいるのだが、今日はお友達の誕生日会に行く予定らしい。
「こら、陽芽! お友達のところにもう行く時間よ! エルピスちゃんを困らせないの! 」
と母ちゃんが陽芽を叱る。
「ごめんなさいね、エルピスちゃん」
「ううん。楽しんで」
エルピスが陽芽に言う。
「太陽。エルピスちゃんとあんたの分もご飯作っておいたからね! 」
「りょーかい」
陽芽は、エルピスと一緒に行くと最後の最後まで駄々をこねていたが、母ちゃんに引きずられ、親父の車に乗って家から出る。
店長も、エルピスを迎えに来るのは、七時を過ぎる。
今日は留守番になりそうだな。
昼ごはんを食べた後、二階の俺の部屋でエルピスはレグルスを抱きながら、花の図鑑をめくっていた。
夏休みから俺の家で、陽芽と一緒に過ごすようになってから、日本語を勉強しだしたエルピスは、読み書きができるようになっていた。
俺は机に小論文のテキストを並べるも、椅子の背もたれによりかかり、携帯ゲームで遊んでいた。
「って、暇なのじゃーーーーー!!」
押し入れの中で寝転がっていたヒル子が飛び出てくる。
「んだよ、ヒル子。マンガ貸しただろ」
「もう読んだわい!」
とヒル子がマンガを投げてくるのを避ける。
「せっかくエルピスがおるというのに! ほら、外を見るのじゃ! とってもいい天気ではないか! 」
エルピスを見ると、ヒル子の指さした外を見ている。
普段、あまり外に出ることのないエルピス。
口に出さないけど、もしかしたら外に出たいのかもしれねえ。
今日は俺も傍にいるから、何があっても守護れるか。
「そうだな。せっかくだから、どっか外にでも行くか!」
エルピスに言うと
「うん」
と答え、図鑑を本棚にしまう。
ヒル子がおー!と叫び、レグルスも吠える。
さあ。問題はどこに行くか。
昼も過ぎて、店長の迎えの時間もあるから、あんまり遠出はできない。
と、俺はエルピスの読んでいた図鑑を見て、ぴったりの場所を思いつく。
上から真っ赤な長そでシャツを羽織る。
玄関から外に出て、空を見上げる。
薄雲が空に浮かび、心地よい秋風が吹く。
外を歩くのに、ようやくちょうどいい気候になった。
「出発なのじゃー!」
ヒル子は叫ぶ。
「わかったから、目的地につくまで戻ってろ」
と言うと、ヒル子はぶつくさ言って、イマジナイトの中に戻る。
家を出て、近くの国道に向かう。
国道沿いのスーパーや工場といった建物を通り過ぎて、歩き続ける。
「で、どこに行くのじゃ?」
ヒル子が現れるも
「内緒だ」
と答えると
「なんじゃと! 答えんか! 」
と俺の背中をヒル子が引っ張る。
エルピスも俺の裾を引っ張り
「どこ行くの?」
エルピスも気になったのか、尋ねてくる。
「もうちょっとだ! 着けばわかるさ! 」
と言うと、エルピスは首を傾げる。
俺は視線を前に戻す。
小学校近くの交差点で止まる。
信号が青になるのを待って、俺はエルピス、レグルスを連れ、向かい側へ渡る。
「そろそろ見えてくるぞ」
少し歩くと、段々と見えてくる。
「おおおおお!」
ヒル子が大きく叫ぶ。
エルピスも立ち止まり、目をぱちくりさせる。
目の前に広がるのは、コスモス畑だった。
白やピンク、紫に濃赤といったカラフルなコスモスが、満開だった。
「この辺りはもともとは使われてなかった田んぼだったんだけどよ。つい二、三年前からかな。コスモスの花を植えたみたいで、この時期になると満開になるんだよ」
レグルスがエルピスの服を引っ張り、一緒に行こうと誘う。
エルピスが指さす。
「これが、コスモス? 」
「ああ。そうだぜ」
「……すごい」
「だろ!」
俺が笑うと、エルピスも頷く。
「たしかに凄いのう! エルピス! もっと近くで見るのじゃ! 」
そういうと、ヒルコはエルピスの手を引っ張りすーっと飛んでいった。
コスモス畑に通じる道を下りると、そこからの景色は、何度も訪れた俺にとっても圧巻だった。
道を歩きながら、左右を見渡す。
辺り一面に咲き乱れるコスモスの花。
先を行くエルピスは左右両方のコスモスの間を行ったり来たりしながら、しゃがんだりしてコスモスに見入っている
レグルスはエルピスの周りを飛んだり、跳ねたりして、花に近づく蜂と格闘していた。
俺は少し離れたところで、見守っていると。ヒル子が気づけば戻ってきていた。
「太陽」
「ヒルコか」
俺の真横に浮かんだヒルコが笑う。
「夢中になっておるのお」
「ああ、そうだな」
澄み渡る空の下で、コスモスの花を愛で、日の光を浴びて輝く黄金の髪をもつエルピスは、まるで西洋絵画の登場人物のようだった。
私は、花の近くに顔を寄せる。
コスモス。
図鑑にあった花が、今目の前にある。
こんなに色とりどりの花を見たことのない私は、目に映る全ての花が眩しく映る。
「ねえ」
私は花に呼びかける。
「どうしてあなたたちは、生まれてきたの?」
花は答えない。
だけど、私は気づく。
それが答えだということに。
「なあ、エルピス」
俺はしゃがんでコスモスを見るエルピスに声をかける。
「どれか一本とるか? 」
「ううん」
エルピスは花に触れるか触れないかくらい、手を伸ばす。
「このままがいい」
「ああ。そうだな」
エルピスの言うとおりだ。
花は手折らず、このまま咲いている姿が一番、美しい。
エルピスは俺を見上げ、ゆっくりと微笑む。
優しげに咲く、コスモスの花のように。
暮れなずむ空の下、エルピスはずっとコスモスの傍にいた。
空を見上げると、茜雲が風に吹かれて、ゆっくりと動く。
「太陽」
戻ってきたヒルコが、はしゃぐエルピスとレグルスを目を細めて見つつ嬉しそうに言う。
「お主の住むこの町、小さいながらも良い町ではないか。これだけ美しい花を咲かせておる」
「そう、かもな」
自分では田舎だと思ってて、コスモス畑も何か咲いてんなあ、くらいにしか思ってなかった。
だけど、こうして誰かと一緒に見てみると、同じ景色でも違った風に見える。
「それに気づいたじゃろ、太陽。エルピス、自然と笑うようになったのじゃ」
「ああ」
「我らの手で守護らねばのう。エルピスも、そしてこの町も」
俺はヒルコの言葉に、強く頷く。
ヒル子と話していると、エルピスがとことこと歩いてくる。
「お、どうした?」
エルピスは俺の手を掴む。
「帰ろう」
「ああ。帰るか!」
俺が笑うと、エルピスも微笑む。
宵が過ぎ、夜の帳が降りる頃。
「たっだいまーーーーー!!」
お友達の誕生日会に行っていた陽芽が帰ってくる。
「おう、おかえり」
「エル姉ちゃん! 来て来て! 」
リビングで、エルピスが陽芽に呼ばれる。
陽芽は後ろ手に何かを隠して、にこにこと笑う。
エルピスが陽芽の傍まで近づくと
「はい! 」
と言って陽芽が白い箱を渡す。
「これは?」
「開けてみて!」
エルピスがテーブルの上で箱を開けると
「エル姉ちゃんの大好きなイチゴのショートケーキだよーーー!」
エルピスが目を瞬かせる。
「えっへへ。友達の誕生日会でケーキ食べたんだけど、すっごい大きかったの!」
こんくらい!と陽芽が両手を広げる。
「それでね。余ったから、エル姉ちゃんのためにもらったの!」
エルピスが屈んで、陽芽の頭を撫でる。
「ありがとう」
「いいよー!」
と陽芽がエルピスに抱き着く。
キッチンからいい匂いが漂ってくる。
「今日はカレーか!」
「そうよ。今日は出かけて忙しくなりそうだから、作っておいたのよ」
エルピスがカレー皿にご飯をよそって、テーブルに並べる。
「太陽! エルピスちゃんばっかり手伝わして、あんたもしなさい!」
「はい! すんません!」
と俺も食器棚から皿を取り出す。
テーブルに、親父、母ちゃん、陽芽、俺、そしてエルピスの分のカレーライスが並び、俺達は席に着く。
レグルスもテーブルの下でキャットフードを前に、待ちきれないのか食べたそうに低く唸る。
「みんな、お皿は行きわたったわね?」
「うん! 食べよう! エル姉ちゃん!」
スプーンを持った陽芽がエルピスに声をかけ、エルピスも優しく頷く。
『うう。我も食べたいのじゃ』
とヒル子がぶつぶつ言っている。
カチカチと、壁にかけられた時計の針が音を立てる。
「それじゃあ」
俺は両手を合わせる。
「「いただきまーす!!」」
俺はカレーを掬おうと、手にしたスプーンを伸ばす。
玉座に座るマリヤの耳がぴくっと動く。
マリヤは玉座から立ち上がり、宙を見上げる。
「陛下?」
巻物をもってきた、おとなしそうな金髪のエルフの侍女が尋ねる。
「まさか……」
玉座に通じる扉が勢いよく開かれる。
「陛下! 」
鎧を着た白髪の武人がかけこんで、跪く。
「奴らが動いたのね」
マリヤの言葉に武人が頷く。
「結界の強度を最大限に! 戦闘態勢!」
マリヤは掛け声を上げ、指示をすると、大勢のエルフが動き出す。
神社の社務所兼自宅に灯がともる。
「お姉ちゃん! お腹空いたー!」
男の子が言うと
「もうご飯できるからね」
と咲耶が答える。
台所でお玉でお味噌汁を味見する。
「うん、ばっちり」
と言って、火を止める。
「健太、おじいちゃんを呼んできて」
「わかったー!」
と言ってばたばたと男の子が廊下を走る。
咲耶は手際よく食卓にお味噌汁とよそったごはんを並べる。
魚焼き器を見て、焼けたサンマを取り出し、並べる。
エプロンを外し、椅子に掛けようとした時、背筋に悪寒が走る。
「風邪かしら? 」
額に手を当てるも、熱はない。
何だか嫌な予感がした咲耶は、戸締りを確認しに行く。
真紅の月が、暗闇の海を照らす。
大岩の上で、銀髪の美女が呟く。
「来たわね……」
睡蓮。否、邪神の一族であるクティーラが大岩の上で立ちあがる。
「運命が降りてくる……」
背中の禍々しい翼が広がる。
「八剣太陽。見せて頂戴。あなたが運命さえも変えることのできる、真の勇者であることを」
俺がカレーをスプーンで掬い、口に運んだその時だった。
時計の針が止まる。
世界が砕ける。




