『赤い蛇』
眩い光を感じ、俺は目を開ける。
「ここは……」
草の上に寝転んでいた俺は体を起こす。
目の前には、黄金に輝く大樹が聳え立っていた。
どうして、こんなところにいるのか。
あの戦い以来、ここは閉ざされていたはずだ。
「おーい、ヒル子!」
立ち上がり左手首のイマジナイトに呼びかけても、ヒル子は現れない。
ここには俺しかいない、そう思った時だった。
「やあ。待っていたよ」
頭上から声が聞こえ、俺は急いで見上げる。
声はすれども、人間の姿は見当たらない。
黄金樹の幹をつたって、赤い何かが降りてくる。
それが何か分かった瞬間、背筋が凍り付く。
しゅーという音と共に降りてきたのは、巨大な蛇だった。
蛇は蛇でもどこか違和感がある。皮膚は真っ赤な色で、頭部には鋭い角が生えている。
理性を超えた畏怖に震える。
人間である以上、決して抗うことができない、根源的恐怖。
邪神の相手にも、恐れを乗り越え戦ってきた俺の手が、小刻みに震える。
俺は蛇の瞳の奥に、底知れない何かが眠っていると感じ取る。
神すら超越する存在、その気配を。
蛇は舌をチロチロと出しながら、俺の方へやってくる。
「八剣太陽」
蛇と会話するなんて、
「お前は誰だ? 」
「僕かい? おっと。怯えさせてしまったようだ。すまない。僕の名前は、そうだねえ、ただの蛇。気軽に蛇とでも呼んでくれていいよ」
「なぜここにいるんだ? この黄金樹の異界はノーデンスが封印したはずだぜ」
「これは夢だ。それに、ここは僕の庭と似ているからね」
やはりここは夢なのか。
「君と話しがしたかったのさ」
舌をしゅーと出し、蛇が面白そうに言う。
鳥肌が立つと共に、体が原始の恐怖を見たからか硬直したままだ。
「君のことはずっと見ていたよ。はじめてあの子に出会った時からね。君は瞬く間にその力を開花していった」
蛇は枝にぶら下がって俺を見下ろす。
「そして、君が力だけを手にした人間ではないことは、あの子が君を信頼している様子を見てわかるよ」
「あの子って、エルピスのことか? 」
「ふむ。そうか。今はエルピスという名前なんだね。」
ひっかかるところがあるが、それ以上に気になることがある。
「お前は、エルピスとどういう関係なんだ? もしもエルピスに危害を加えようってんなら」
俺は勇気を出して、イマジナイトに手を当てると
「おっと。早合点してもらっちゃ困るな。僕にとって、あの子はそうだね……君たち人間でいう、孫、みたいなものかな」
蛇の謎めいた物言いに、太陽は眉を顰めるも、
「八剣太陽君。僕は君に力を貸しに来たのさ」
「力を? 」
俺がいぶかし気に言うと、蛇が喋る。
「ああ。君は力を欲している。違うかい? 」
俺は心を見透かされたような感覚に陥り、無言で蛇を見返す。
「邪神との戦いで、君は勇敢に戦った。先の戦いでは、本体ではないとはいえ、あの千の貌を持つ邪神ニャルラトテップすら打ち破った。途轍もないことだ。神でさえ成しえぬことを、君は成し遂げたんだ。けれど、犠牲が出てしまった。今、君は喪失感に苛まれ、自らを呪っている」
「お前は、邪神とは違うっていうのか!」
怒りに駆られ、俺は叫ぶ。
「それは心外だね。あいつらは僕の庭に現れた害虫みたいなものさ。とっても目障りなね。好き放題されて、いい加減うんざりしてるんだ。」
蛇が困ったように頭を揺らす。
「それを信じろ、と? 」
「ふむ。あまり信用してもらえないみたいだ。悲しいことだが。それじゃあ、僕の言葉に偽りがないことを証明しようか」
赤い蛇は下をちろちろとさせつつ、俺の真上の枝にゆっくりと降りてくる。
「君は既に、実を食べてるみたいだから、別のものをあげようか。太陽君、こちらに来てくれないか?」
俺は警戒する。
「何をする気だ」
「なあに。取って食ったりはしないよ」
俺は内心びびっていたが、怖気を振り払い、蛇の真下に行く。
「左手を上げてくれるかい」
俺は蛇に向けて、左手を上に上げる。
蛇は俺の左手首にあるイマジナイトに触れると、イマジナイトが一瞬ぼおっと光る。
光はすぐに消え、蛇は枝に戻っていく。
「君のその神宝イマジナイトに僕の庭へと繋がる門の鍵を入れておいた」
「鍵? 」
俺は左手首のイマジナイトを見ても、特に変わった点はなかった。
「もしその時がくれば、君にはわかるはずだ。必要なものはそこにある。あと、君にお願いしたいことがあるんだ」
「お願いってなんだ? 」
「あの子の幸せを、守護って欲しい」
蛇の言葉、そして瞳に最初とは全く違う、慈悲の色が見える。
「ああ」
俺は左手首を胸に当てる。
「俺はそのために、女神の守護者になったんだ」
俺が答えると、満足したのか。
すると、どこか遠くから声が聞こえてくる。
「おっと、あの子が君を呼んでいるみたいだ」
そういうと、蛇はするすると黄金樹を伝い、天辺へと昇っていく。
「おい! 待て!」
「また会おう。勇者君」
誰かがそっと肩をゆする。
俺は目を覚ます。
パジャマ姿のエルピスが俺の頭の横で座って、俺をゆすっていた。
「太陽。おはよう」
俺は体を起こす。壁にかかっているカレンダーを見る。
「そっか。今日は日曜日か……」
何か夢を見たような気がする。
思い出そうとするが、うまく思い出せない。
エルピスは俺が起きるのを見ると、立ち上がって、俺の部屋から出ようとする。
「なあ、エルピス」
俺がエルピスを呼ぶと、エルピスは立ち止まって振り向く。
俺は聞こうとしたが、何を聞こうとしたのか思い出せない。
頭を振って思い出そうとするが、思い出せない。
何か夢でも見てたようだが。
「いいや、なんでもない。すぐ行くよ」
エルピスはこくっと頷くと、階段を下りていく。
俺はさっきまで見ていたであろう夢を思い出そうとするも、思い出せない。
「ま、いいか」
秋晴れの空に、雲が揺蕩う。
のどかな休日になりそうだった。




