『その花の名は』
俺は再び、夜の海へとやってくる。
砂浜を歩き、前回来た場所あたりまで歩くと、空間が歪み、門が現れる。
「よし、行くのじゃ!」
ヒル子の掛け声と共に、俺達は異界へと再び脚を踏み入れる。
紅い月の下、黒い大岩の上で、銀髪の美女が海を眺めていた。
その幻想的な光景に俺は声をかけるのも躊躇う。
「……早かったわね。謎は解けたのかしら? 」
血よりも紅い両眼が俺を見下ろす。
「……いいや、まだだ」
そういうと、銀髪の美女の眼が険しくなり、ルビーの眼が怪しく光り始める。
「それじゃ、あなたは何をしに来たのかしら?」
「話をしに来たんだ。ヒントでももらえねえかと思ってな」
と俺は内心ビビりながらも率直に言う。
「……図々しいわね、あなた」
と苦笑する。
緊張感が一瞬解けた隙を狙って、俺は質問する。
「とりあえずさ、呼び名でもいいから教えてくれよ」
「なんでかしら?」
「不便じゃねえか。何もねえと、おい、あんたなんて呼びたくねえからな」
「そうね……なら、あなたが決めて」
「は?」
彼女はクスクスと笑う。
「そうだな」
試すかのように、彼女は俺を見定める。
ここが正念場だと、直感が告げる。
「えーと……」
あやか、きょうこ、さき、まり、かおる。
色々と女の子の名前が頭に浮かぶが、どれもピンと来ない
「太陽! 大丈夫なんじゃろうな?! 」
「うっせえ! 今集中してんだ」
月の下で、ほくそ笑む彼女の姿を見る。
翼、蛸、紅い眼、星のように輝く髪。
そうだ、花で何かぴったりの名前がないか、と頭をよぎった刹那。
「睡蓮」
俺は自然と無意識にそれを口に出す。
「……響きは悪くないわ。何の名前かしら? 」
彼女が興味深そうに聞いてくる。
「花の名前だ。水の上に浮かんで咲く、綺麗な花だ」
表情は変わらないものの、悪くない感触みたいだ。
「いいわよ。これからは、睡蓮と呼びなさい」
俺は胸をなで下ろす。
「それじゃあ、この前の謎々のヒントだけど」
と言うも
「それはまた別の話よ」
さも当然と睡蓮は言う。
「まあ、そりゃあそうだけどよ……」
「それに……」
睡蓮はふと黙り込み、
「どうしたんだ?」
海を見て、何かを呟くも。
「何でもないわ。せいぜい頑張りなさい。後、今度は何か私を満足させるもの、もってきてちょうだい。ここにずっといるのは、退屈だもの」
「満足させるものって?」
「ええ、そうよ。さもないと……」
睡蓮の眼が赤く光る。
「また人間がいなくなってしまうかも」
睡蓮が鎖を巻かれた腕を上げると、異界全体が歪み始める。
「おい! ちょっと待て」
異界が消え、気づけば元いた砂浜に尻餅をついていた
「っちぇ。ワンチャンなんか教えてくれると思ったんだけどよ」
と砂浜から立ち上がると、
「それどころじゃないのじゃ! あやつめに何か用意して渡さねば」
「ああ。人間を襲わせるわけにはいかねえ」
謎々に加えて、睡蓮を満足させる何か。
問題が山積みだ。
「まあ。じゃが。次に会う機会をつくれたと考えたら、及第点はもらえたみたいじゃの」
と、ヒル子がにやにやと俺を見ている。
「んだよ、ヒル子」
「いいや。感心しておるのじゃ。お主にも粋なところがあるのじゃなあ、と思っただけじゃ」
ヒル子は笑いながら、イマジナイトの中へと戻る。
俺は自転車をかっ飛ばし、何とか夕食の時間に間に合うよう家に着く。
夕ご飯の食卓で両親に、睡蓮から聞いた謎々を尋ねる。
「何だか聞いたことないわ。あなた、知ってる?」
親父は首を振る。
「そんなことより太陽。あんた推薦受験の対策はどうなってるの? ちゃんと行ってる?」
「あ、ああ! もちろんだぜ! 」
俺の返事に対し母ちゃんは訝し気に
「本当かしら?」
「本当だぜ! 」
と何とか誤魔化す。
俺の隣で陽芽がごはんを零しながら、横にいるエルピスに笑って話しかける。
週末で家に来ていたエルピスがうんうんと頷きながら、陽芽のほっぺのごはんを取る。
「ほら、陽芽。こぼさないの! エルピスちゃんに迷惑かけちゃダメでしょ!」
「いいんだもん! エルお姉ちゃん、ありがとう!」
陽芽の満開の笑顔に、エルピスも微笑む。
週末が終わり月曜日になる。
高校三年生の秋ともなると、午前中は一日模試をやり、午後は採点や自習となっていた。
模試中も俺は睡蓮の謎について考えるも、全くわからない。
放課後のチャイムが鳴り、慌ただしくクラスメイトが出ていく。
「っくそ。帰るか」
と俺が帰り支度をしていると
「へーい、太陽。何悩んでんだよ」
肩に勢いよく腕が回される。
「暑いんだよ」
と言いながら、俺は腕を振り払う。
「おいおい、穏やかじゃないですなあ」
とクラスメイトの鏑木健司が、坊主頭でにやにや笑いながら両手をあげる。
「これは、あれだな? 好きな人でもできたんだな?」
とふざけていう健司を俺は無視しようとしたが、ふと思い直す。
「まあな」
と言うと、健司はびっくりして
「まじかよ! 聞かせてくれよー、ダチだろ 」
と俺の机の前の椅子に健司がこっち向きで座る。
「誰だ、誰だ? 太陽が前行ってた女子バスケ部のあの子か? それとも」
邪神の眷属なんて言うわけにもいかず
「いや。まあ、ここの学校じゃねえというか」
「まさかの別の学校か?! 聖心女学院とか?! 」
「いや、たまたま行ったカフェの店員」
と誤魔化す。
「まっじですか! 年上のお姉さんってやつ?! 」
「多分、社会人だな」
「な、なるほど、そりゃ難しいかもしんねえな。相手が大学生ならまだしも、年上の社会人ってなると、俺達高校生が背伸びして行けるかどうか」
健司が悩まし気に首を振る。
「そのお姉さんの趣味とかは?」
「知らねえ」
「好きなものは?」
「わかんねえ」
というと、健司が俺の肩にポンと手を置き。
「そりゃ無理だ。諦めようぜ相棒」
首を振る健司に
「いや、諦めるわけにはいかねえんだ!」
というと、健司が目を丸くして
「太陽がそんなに惚れるなんてな。で、一応、喋ったことはあんだよな? ストーカーは不味いですよ」
「ちげえっつうの。話したことは何度かあるけど、まだそこまで仲良くなれないっていうか。だから、どうすれば仲良くなれるかな、と思ってよ」
「お姉さんの気を惹きてえってことっしょ。なら、プレゼントとかはどうよ?」
「なるほど、プレゼントか!」
「そのお姉さんが何が欲しいかにもよるけどねー」
睡蓮の欲しいもの、っと言っても何も思い浮かばねえ。
そもそも、睡蓮は人間のものを喜ぶのか?
「まあ気軽に渡せるものがいいな。花とかは論外だぞ。」
「えっ。まじ?」
俺はぎくっとなる。
「重すぎるっつうの。ったく太陽、お前意外とロマンチストなんだよな」
にやにや笑う健司の頭をはたく。
「まあまあ。そうだな、まあ気軽にスイーツとか?」
「スイーツ?」
「ああ。原始的だけどよ、やっぱ女の子は美味しいもの食べるのが好きだろ。ほら、雑誌でもテレビでもしょっちゅうスイーツ特集とかしてるじゃねえか」
「確かになあ」
「まあ、俺が思いつくのはそんなとこかねえ」
と時計を見た健司が
「悪い太陽、予備校に遅れちまう!」
手を振って教室を出て行く健司に俺は手をあげる。
「ふむ。なるほど。食べ物とはいい考えじゃと思うぞ」
ヒル子が現れる。
「それに、あやつは邪神じゃろ? 空腹だからといって、これ以上人間を襲わせるわけにもいかんじゃろ」
ヒル子のいうとおりだ。
人間ではないあの女が何を食べるのか。さっぱりわからねえ。
「とはいえ、あ奴の出した謎を解かねば、そもそも仲間にならんじゃろ」
「って言ってもよお」
と駐輪場で俺が自転車を取り出した時、不意に閃く。
「そうだ! あいつに聞いてみよう!」
俺は携帯をポケットから取り出し、電話をかける。
「おお! 夕夜! 待ってたぜ! 」
俺は街の中心にあるアーケードのハンバーガー屋の前で、学ランをきっちりと上までボタンを留め、髪を七三分けにした、不機嫌そうな顔をしながらやってきた男に手を振る。
幼馴染の月弓夕夜は、はあ、とため息をつく。
「一時間だけだ」
「サンクス!」
俺と夕夜は店内に入り、注文して席につく。
夕夜が鋭く俺を睨みつける、
「女がらみだな」
俺はぎくっと固まる。
「何で分かんだ?! 」
「貴様のことなどお見通しだ」
俺は頭をかいて
「いやー。大正解っすわ」
「前の声優の女性とやらは、どうなったんだ? 」
俺は一瞬言葉につまるも、何事もなかったかのように
「いやー普通に振られたわ」
と俺は笑いながら答える。
「で、早くも新しい女か。全く。お前のそういうところは見習うべきかもしれんな」
「だろ?」
「褒めてない。皮肉だ。で、今度はどんな女なんだ?」
俺は邪神に関する内容等は省いて、睡蓮との出会いを説明すると夕夜は頭を抑えながら
「銀髪で、胸が大きい、紅い眼の美女……。日本人じゃありえないな。全く貴様はどこでそんな女と出会うんだ。というより本当に存在するのか? アニメのキャラとの恋愛相談ならお断りだ。理解できないからな」
「まじなんだって! 」
「……まあいい。あまり深追いするなよ。どう聞いても、まともな女とは思えないからな」
俺は睡蓮から聞いた謎々を夕夜に話す。
「『先に出でしものが後となり、後より来たるものが先となる。』だと? 」
「なんだ? 知ってんのか、夕夜!」
俺がテーブルに前のめりになり尋ねる。
「……マタイによる福音書」




