『木花咲耶姫神』
咲耶の手から放たれる輝きに、俺は目を奪われる。
「よくやったのじゃ、太陽!」
ヒル子がやってきて、俺の背中を叩く。
「ヒル子? 咲耶に一体何が⁈ 」
「詳しいことは後で説明するのじゃ! 僅かな時でよい! 咲耶のため、時間を稼ぐのじゃ! 」
「何だかわかんねえけど、了解だ! 」
咲耶の輝きに中てられた亡霊の家族の姿が、醜い悪霊へと変貌していく。
『家族の邪魔を……するなぁああアアアアアアア』
「邪魔なのは、てめえの方だぁああああああああ!!」
伸びてくる悪霊の手を、俺は咲耶の前に飛び出て、剣で薙ぎ払う。
咲耶は、自分の手のひらから溢れ出す光に戸惑っていると、ヒル子が傍に来る。
「咲耶よ! 準備はよいか!」
「ヒル子様?! これは、一体……」
咲耶は頭上に来たヒル子に問いかけると
「そなたは依り代であったのじゃ。そして、これまでのそなたの人生を左右してきた力が、今、顕れようとしておる! だが、臆するでない! 運命と向き合った今のお主なら、己が内なる神性に呑み込まれることはない! 」
咲耶はヒル子の言葉で、漸く理解する。
決着の時が来たことを。
「咲耶よ、祈るのだ! 己が願いを解き放つ時は、今じゃ! 」
「はい! ヒル子様!! 」
咲耶は頷くと、目を瞑り、両手を握り、祈る。
これまでの人生の喜び、悲しみ、痛み、そして希望。
その全てが、この時のためにある。
そして、祈る。
これまで何度も聞いてきた、父の言葉を思い出し、声に出す。
「掛けまくも畏き 富士浅間の大神の大御前に、恐み恐みも白さく」
口から自然とついて出た言葉に一瞬戸惑うも、流れのまま歌うように寿ぐ。
段々と心が凪いでゆく。
「此の街の皆が美しく幸せに暮らせます様、禍事・罪・穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと、恐み恐みも白す」
咲耶が顔を上げ、眼を見開く。
咲耶の奏上を聞き遂げたヒル子が叫ぶ。
「常初花たる桜花の女神よ! 我が血に連なる春暁たる女神よ! 我が呼びかけに応えよ! 」
広げたヒル子の両の手から光の糸が編まれていく。
「無始曠劫の旅路の果て、依り代たる乙女は目覚めたり! 」
それは、桜の花を抱いた王冠となる。
「宿因を超え、今一度、大輪の花を咲かせよ!」
ヒル子が、咲耶の頭に桜の花を中心に据えた王冠を乗せ、叫ぶ。
「神威顕現! 木花咲耶姫神!」
ヒル子の叫びと同時に、咲耶の全身が光りに包まれる。
あまりの光に、悪霊が動きを止める。
浮かび行く咲耶を、その場にいる皆が仰ぎ見る。
咲耶を包み込むように、桜の花びらが舞い上がる。
セーラー服の上に纏った桜の花びらが、純白の白衣、巫女の緋袴となってゆく。
そして、咲耶の頭上には、桜の花が埋め込まれた王冠が、燦燦と煌めく。
揺蕩うように浮かんでいる咲耶が、ゆっくりと降りてくる。
「咲耶、なのか……」
俺は咲耶の姿に驚き、呟く。
咲耶の眼は深き森の奥から射す光のごとく輝き、俺はその眼から離せなくなる。
「咲耶? 」
俺がおずおずと呼びかける。
どこか儚げで恍惚とした表情の咲耶、その瞳が俺を見る。
咲耶であって、咲耶ではない。
淡く微笑んだ咲耶は、ゆっくりと悪霊に向かって歩く。
伸びていく悪霊の手が咲耶に迫り、俺は慌てて飛び出そうとすると。
「大丈夫じゃ、太陽! 見ておるのじゃ!」
とヒル子が俺の肩を手で押しとどめる。
咲耶が両手を広げると、王冠から、桜の花びらが溢れ出す。
花びらは渦巻く球体のように咲耶を包み込むと、悪霊の手をはじき返す。
俺はその美しき花びらの竜巻に見惚れる。
悪霊の手から咲耶を護り、その後頭上に舞い上がった花びらは咲耶の背後に漂う。
その時、悪霊の中に囚われていた健太の眼が開く。
「おね、い、ちゃん?」
その声に、咲耶が微笑む。女神のように。
咲耶が右手を前に伸ばす。
溢れんばかりの光が咲耶の王冠から放たれる。
どこまでも清らかな光に照らされ、悪霊が健太から引き剥がされてゆく。
咲耶が近づくにつれ、悪霊が痛苦の叫びをあげる。
悪霊の叫びで窓ガラスが割れ、悪霊が逃げようと窓に近づくも
「そのようなこと、させると思うてか! 」
ヒル子が手を伸ばした先から、注連縄が伸び、悪霊を取り囲む。
悪霊は動きが取れなくなって、追いつめられる。
「健太! 」
咲耶が伸ばした両腕に、悪霊から引き剥がされた健太の魂が飛び込んでいく。
「今じゃ、太陽! 」
俺は全力で剣を握りしめ、刀身が真っ赤に染まってゆく。
「後は、任せな! 」
俺は悪霊めがけて、飛び込んでいく。
「はぁあああああああああああああああああああああ」
赤く振動する剣を、悪霊の中心に突き刺す。
悪霊は叫び声をあげて、四散していく。
異界が解け、元の教室に戻る。
窓からは朝日が射す。
咲耶の手の中に光の玉が浮かんでいる。
「これは……健太の……」
「そうじゃ! 」
光る玉は咲耶の手の中から浮かぶと、教室、そして廊下の窓から空へと飛んでいく。
「咲耶、家に帰るのじゃ! 健太は直、目覚めるぞ!」
咲耶の顔に漸く笑顔が戻る。
「私に乗りなさい」
と黒豹の姿のバーストが咲耶の傍に来る。
「バースト様、お願いしますわ! 」
咲耶は頷き、黒豹に乗る。
「すぐに俺達も行く。先に行ってな!」
「はい! 」
と言って、咲耶とバーストは健太の魂を追って、学校から飛び出す。
俺とヒル子は顔を見合わせ頷くと、俺は窓から飛び降りる。
階段を駆け上り、鳥居をくぐる。
神社にたどり着き、俺は社務所の扉を開け、目的の部屋に向かう。
「健太、健太、健太!! 」
襖を開けた先、ベッドの上で身体を起こし、目覚めた男の子を咲耶が強く抱きしめている。
「お姉ちゃん? どうしたの? 」
喜びの涙を流し、弟を抱きしめる咲耶を見て、
「ほんっとうによかったのじゃ」
とヒル子も涙ぐむ。
その心震わす光景を見て、安堵した俺は咲耶に声をかけることなく部屋をそっと出る。
境内に出ると、ヒル子が聞いてくる。
「太陽、よいのか? 」
浮かびながらついてくるヒル子に
「何が? 」
「とぼけるでない! 予言のことじゃ」
俺は、答えず歩き続ける
「咲耶のあの力は、ノーデンスの示す予言に謳われし運命の姫君といってもおかしくないじゃろう」
「そうかもな」
「そうじゃ! じゃからこそ」
俺はずっと考えてたことを言う。
「俺は……。独りで戦う」
ヒル子が驚き、俺の目の前で止まる。
「何を……言っておるのじゃ! 」
「予言なんてものを理由にして、関係ない彼女たちを巻き込むわけにはいかねえ」
「よいのか⁈ お主は朔耶の弟を救ったのじゃ! 今なら咲耶はお主の頼みも聞いてくれるはずじゃ」
「そんなことのために、俺は咲耶を救ったんじゃねえ! それに俺が守護るのは、エルピスだけじゃねえ。俺は咲耶や健太……あの子たちが幸せに暮らせる世界を護るために、戦ってんだ。だから……」
鳥居の真下まで来た俺は止まり、鳥居を見上げる。
躊躇いを消すかのように、ズボンのポケットの中で拳を握り込む。
「戦うのは、俺一人で十分だ」
俺は振り向くことなく、鳥居を抜け、神社から去る。
「太陽さん! 」
太陽さんが鳥居をくぐる直前で、私は呼びかけました。
けれど太陽さんは、左手だけ上げて、振り返ることなく去っていきました。
これまでの人生のことを思い出す。
私は、男の人が苦手でした。父や祖父、家族を除いて。
男の人の視線から、どうしても拭い難いものを感じて生きてきました。
あの人は違いました。
夏休みの雨の日、私を引き上げてくれた手。
あの夜、涙を流す私を、そっと包み込むように抱きしめてくれたあの暖かさ。
他の男の人とは違う、何かを感じました。
あの人の背中は、何かを背負っている背中でした。
あの人が抱えているものは何なのだろうか。
あの人に向かって伸ばそうとしたその腕を、私はそっと胸に抱きしめる。
もっと近づきたい。
あの人の心に触れてみたい。
ほんの少しでも、あの人の力になりたい。
あの人の重荷を、ほんの少しでも支えてあげたい。
あの人の優しい笑顔を、もっと傍で見たい。
あの人の姿が見えなくなった時、漸く私は気づきました。
これこそが、私の運命なのだと。
いつか夢で見た、心の景色を思い出す。
桜の樹の下で、既に私とあの人は出会っていたことを。




