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『手と手を繋いで』

 

 咲耶が目覚めた時、まだ日の出前だった。


 太陽の膝の上で寝ていたことに気づいた咲耶は慌てて体を起こし、太陽を見る。


 太陽は腕を組んで、頭を揺らし、眠っていた。


 咲耶は毛布を太陽の膝の上にかけ、椅子からそっと立ち上がる。


 咲耶は、太陽の顔をじっと見て、そしてその頬に手を触れる。


 咲耶は、頬を赤く染め、顔をゆっくり近づけると、頬に口づけをする。


 咲耶は自分の頭に手をやり、髪につけていた桜の髪留めを外し、机の上に置く。


 咲耶がドアをゆっくりと開けようとした時だった。


「行くの? 」


 柔らかい手が彼女の手を引き留める。


 振り向くと、エルピスが彼女を見上げていた。


「エルピスちゃん。どうして? 」


 咲耶は驚くと


「なあに、お主のことはお見通しじゃ 」


 と一緒に現れたヒル子を驚いて咲耶は見る。


「ヒル子様まで……」


「話があるのじゃ。少し外に行こうかの」


 咲耶とヒル子、エルピスはドアを開け、まだ明けきらない明け方の空の下に出る。




「咲耶。お主は女神の生まれ変わりかもしれん」


 ヒル子が真剣な顔で咲耶に告げる。


 突然、言われたその言葉に咲耶は戸惑う。


「女神の生まれ変わり、ですか? 」


「そうじゃ! 」


 見かけは小さな女の子にしか見えないヒル子が自信満々にふふんと言いながら笑みを浮かべる。


「その……何かの間違いですわ」


「我は確信しておる! あの商店街の者らのお主への接し方を見ての」


 咲耶の顔が曇り、


「……あの人たちが、親切なだけですわ。小さいころからお世話になってますし。弟のこともあって、同情してくださって」


「それだけで、あそこまで親切にはならんじゃろう。お主自身、薄々気づいておるのではないか。自分が他の人とは違う、ということを」


 ヒル子の顔から視線を少し外し、咲耶は下を見る。


「我はお主を最初に見た時から、他人とは思えなんだ。お主の中に眠る者のこともあってかもしれぬがの」


 咲耶はうつむくヒル子に


「思い返してみるがよい! お主がこれまで生きてきた中で、好意をもたれたこと、たくさんあるじゃろう。良かれ、悪しかれ、の」


 確かにヒル子様の言う通りだった。


 咲耶は自身の人生を思い返す。


 これまで親切な人だけではなく、邪な人も……。


 けれど、私は周囲の人たちに護られてきた。


「お主に惹かれるものが、良いものだけとは限らぬ。そして今回、最も邪なものに目を付けられてしまった」


 ヒル子のその言葉に、咲耶は肩を震わせる。


「それではやはり、私の父と、弟がいなくなったのも、私の……」


「こりゃ、早合点するでない! 」


 とヒル子は窘めるように咲耶に言う。


「お主を責めておるわけではない。何の因果かは知らぬが、お主はその身に人ならぬ何かを宿して生まれた。これまでお主が苦労して生きてきたであろうことは、我にはようわかる。それでいて、お主は驕ることも、卑屈になることもなかった。お主の心は清らかなままじゃ。じゃが……」


 目の前の少女の背中に浮かぶ紋章が光を放ちだす。瞳が煌めき、全身から威厳のような雰囲気が出てくる。


「今、お主は選ばなければならぬ時が来た。お主は運命に対し、自ら選ぶ余地なく宿ったその力をもって、どうしたいのか? ただ悲観するのか、それとも……」


 ヒル子の真剣な表情に、咲耶は姿勢を正すも、一転しヒル子は破顔する。


「とまあ、脅かしたが、我はそう心配しておらぬ! なぜなら、太陽がおるからの!」


 と言って笑うヒル子に咲耶は呆気にとられる。


「太陽さん? 」


「そうじゃ! 我はお主にああせよ、こうせよ、とは言わぬ。お主が決めることじゃからの。だが、一つだけお主に言えることは、お主が選んだ道は、決して一人で歩む必要はない。何故なら太陽もお主と同じ痛みを知っておるからじゃ。故に、太陽はお主を決して見捨てはせぬ」


「ヒル子様……」


 ヒル子の言葉を継いで、エルピスが咲耶の手を握り、言う。


「太陽を……信じて」


 その声の小さい、けれど確信がある響きを感じ、朔耶はエルピスのその瞳に揺らぎそうになる。


 その瞳に込められた意思、そして彼への信頼に。


「ありがとう。それだけ、あの人に伝えてね」


 エルピスはその言葉を聞くと、朔耶の手をそれ以上握ることなく、離す。



 咲耶は、胸に手を当てて、思う。


 嬉しかった。

 最初に助けてくれた手を。

 初めて繋いだ手を何度だって思い出す。


 それでも……この運命に対し、私は私自身で決着を付けなければならない。


 向き合わなければならない。


 だから、


「私、行きますわ」


「うむ! それがお主の決めたことであるのなら」


 にこっと笑うと、ヒル子はふわふわと浮かんでどこかへ行く。


 歩いていく咲耶を、エルピスが見送る。









 俺は手の中にある桜の髪留めを見て、彼女の心、そして意思を感じる。


「咲耶は……一人で行ったんだな? 」


 傍にやってきたヒル子は頷く。


「そうじゃ。あの者は自らの運命と向き合い、決着をつけるべく、日が昇らぬうちに一人で向かったのじゃ……」


 エルピスも俺の傍に来る。


「だが……まだ、間に合うはずじゃ」


 桜の髪留めをポケットにしまう。


「太陽。お主も決めたのじゃな」


「ああ」


 俺は頷き、エルピスを見る。


「エルピス、俺は……」


 と言うと、エルピスが頷く。


「太陽は、勇者……だから」


 エルピスの微笑みが、俺の最後の迷いを吹き飛ばす。


「ありがとな」


 俺が頭を撫でると、エルピスが眼をつむる。


 レグルスが俺に向かって、唸る。


「ああ。わかってる」


 レグルスに返事をすると、


「準備はよいか! 覚悟はよいか!」


ヒル子の問いかけに、俺は


「ああ! 必ず朔耶を連れて帰る! 」






 早朝、街や人が起きだす頃、俺は再び学校の門にたどり着く。


 門をくぐった瞬間、世界がぐにゃりと歪む。


 辺り一面に漂う霧が魔犬の群れとなり、俺達を取り囲む。


「上等だ!」


 天に向かって、左手を掲げる。


「イマジナシオン!」


 朝日の下で俺は変身し、迫ってくる獣を剣で叩き伏せ、咲耶の元へ向かう。


 昇降口から階段を駆け上り、二階の廊下にたどりつくと、獣が何体も倒れ、そしてボロボロのバーストが最後の獣、その喉笛を食いちぎる。


「バースト、無事じゃったか?! 」


 ヒル子が叫ぶ。


「当たり前でしょ。こんなやつらにやられる程、零落してないわよ」


 と言って、俺を見る。


「勇者、八剣太陽。今、あの子が血を分けた幼子を救い出すため、命を懸けている」


 バーストが頭を振って、教室を指す。


「あなたが勇者であるということ……証明してみなさい! 」


「おう! 」


 2-3組。


 咲耶の弟の教室のドアを開ける。





 そこでは、教室全体を巨大な影が覆いつくしていた。


 教室の隅の一際濃い影が、小さな男の子を後ろから取り込んでいた。


 そして、咲耶が弟を助けようと、近づいて手を伸ばすも、影によって拘束されていた。


「咲耶! 」


「太陽さん!」


 咲耶が振り向く。


 俺は咲耶を掴む影の手を、剣で切り裂くと、影が戦慄く。


 俺は次いで健太を助けようと、剣を構えて駆け出すも


「太陽! 行ってはならぬ!」


ヒル子の制止に足を止める。


「っつ、なんでだよ!」


「あの影は、咲耶の弟の魂と一体化しておる。あの影を倒せば、健太の魂も道連れになってしまう! 」


 俺は愕然とする。


「ただ、見てるだけしかねえってことかよ! 」


 ヒル子は動じることなく、咲耶を見つめている。




 顔面蒼白な咲耶が震えながらも、何とか立ち続ける。


『健太……私が一生傍にいてあげるからね』


 影がゆっくりと人の姿になっていく。 


 咲耶とそっくりの胡桃色の髪を伸ばした、優しい笑みを浮かべた女性が健太の魂を抱きしめる。


「お母様! 」


 咲耶の叫びに応えるように、母が咲耶を見つめる。


 そして、スーツを着た、穏やかな表情をした細身の男が隣に現れる。


『咲耶。おいで』


 その姿を見て、咲耶の顔が顔面蒼白になる。


「お、父、様……」


 震え、今にも泣き出しそうな声で咲耶は呟く。


 その絞り出すような声に、俺の心臓も抉られるくらい、痛みを感じる。


 最悪の想像が現実となってしまった。


 咲耶のお父さんは、もう逝ってしまったのだ。



『咲耶。あなたも一緒に来て。家族みんなで、一緒になりましょう』


 亡霊達の放つ冷気が、襲い来る。




 隣で今にも崩れ落ちそうになる咲耶を見て、俺は無力感に襲われる。


 俺には、何もできないのか。


 こんなに苦しんでいる女の子がいるのに……。


 怪物と戦う力があっても、俺は咲耶の苦しみを取り除くことはできない。


 俺にできることは何もないのか……


 咲耶に何か声をかけたい。


 でも、言うべき言葉は見つからない。


 どんな励ましも、今の咲耶に届くはずがない。


 と俺自身も絶望に呑み込まれそうになったその時だった。


『太陽は、勇者……だから』


 エルピスの言葉を思い出す。


 勇者。


 勇気を持つ者。


 今の俺にできること。


 俺がすべきこと、それは……。





 俺は咲耶の隣に立つ。


 そして彼女の震える右手を、左手で握る。


「太陽、さん……」


 俺は優しく、そして強く握り、咲耶の眼を見る。


 言葉なんて、今、必要ない。


 言葉より尚、強い想いをぶつけるように、俺は咲耶の瞳を見続ける。


「私……、は……」


 俺は、ただ頷く。


 咲耶が絞り出すように、声を上げる。


 咲耶の痛みが、俺にも同じように伝わってくる。


 咲耶の瞳が、想いと同じように揺れる。




 在りし日の想いでに心が引き摺られる。


 もう取り戻せないあの頃。


 全ては戻ってこないかもしれない。


 それでも……。


 まだ、取り戻せるものがあるのなら


 俺達は、前に進まなければならない。


 勇気をもって、前へ。




 咲耶の瞳が、煌めく。


「私。もう……諦めたくありません! 」


 咲耶の瞳に光が宿ったことを見て取った俺は手を離す。


 俺はポケットから取り出した桜の髪飾りを咲耶に手渡す。


「忘れ物だ」


 咲耶は手にした、桜の髪飾りを胸に、俺を見上げ微笑む。


 咲耶が前を向き、亡霊へ向かって、歩む。


 咲耶が大きく息を吸い込む。


「私の愛する弟の魂……絶対に渡したりはしません! 」


 咲耶の心からの願いが迸った刹那、咲耶の手の中から、光が溢れ出す。


「健太を、返して!! 」

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