『魔犬』
獰猛な唸り声をあげ、獣はこちらを見ている。
本当に動物といっていいのか……。
犬であろう、ということは見て取れるも、そのケモノの大きさは馬や熊並みに大きい。
「魔犬……といったところかしら」
バーストが呟く。
吐き気を催した俺は、思わず嘔吐しかける。
魔犬が、こちらに向かって猛然と駆けてくる。
吐いてる場合なんかじゃねえ!
「くっそ! 咲耶、下がってろ! 」
俺は咲耶の前に飛び出て、左手首を顔の前にかざす。
「イマジナシオン!」
俺は変身する猟犬が飛びかかってくる寸前に変身する。
召喚した剣を前に構え、魔犬の突撃を防ぐ。
「ぐっぅう」
想像を超えた衝撃に、僅かに後ずさりしてしまう。
「太陽さん! 」
咲耶が叫ぶ。
「先に行け! 俺はこいつを食い止める!」
「でも! 」
「咲耶! 太陽なら大丈夫じゃ! 早く逃げるのじゃ!」
ヒル子の言葉に、
「っはい、わかりました! 太陽さんも早く! 」
咲耶が階段を下りるのを確認し、再び前を向く。
魔犬が壁を駆けて、俺の後ろの朔耶を狙おうとする。
「太陽! 行かせてはならぬ!」
「ああ! させっかよ! 」
俺は飛び上がり、魔犬めがけて、剣を振り下ろす。
剣と魔犬がぶつかり、魔犬が後ろへ吹っ飛ぶ。
「ここから先、一歩も行かせると思うなよ! 」
と言った時、立ち上がった魔犬が大きく口を開き舌を出す。
唸るように、嗤った。
「はっ?」
何故笑うのかと思った瞬間
「きゃぁああああああ」
一階から、咲耶の叫び声が聞こえる。
「咲耶?! まさか」
こいつの他にも、魔犬がいるってことか。
「いかん! 早く朔耶を追うのじゃ! 」
俺が踵を返し、階段に向かおうとするおれの前方に、煙が集まりもう一体の魔犬が現れる。
「てめえら……」
俺は怒り剣を伸ばす。
刀身が赤く変化していく。
「舐めるんじゃねえぞ! 」
俺は目の前から飛び込んでくる獣を、一刀両断する。
「後ろの魔犬に構うでない! 早く朔耶を助けに行くのじゃ!」
「わかってんよ!」
階段まで行き、一階へ降りる。
昇降口、下駄箱へと通じる通路で、しゃがみこんだ咲耶の前に、魔犬が近づいていく。
「咲耶! 」
と俺が向かおうとすると、黒い小さな影が疾走する。
「失せなさい、下郎」
咲耶を背にしたバーストが、威嚇の鳴き声を上げる。
魔犬がせせら笑うように舌を出したその時、黒猫の姿が大きくなっていく。
「あれは……バーストなのか?!」
今や黒豹となったバーストが魔犬に突撃すると、稲妻が走り、魔犬は後ろに飛びのく。
「その汚い脚を引っ込めることね」
俺は咲耶の傍に行き、
「咲耶、大丈夫か?! 」
と声をかけると、
「は、はい! バースト様に助けられました」
震える咲耶に手を貸し、立ち上がる。
「無事でよかったのじゃ!」
ヒル子もほっとしたように言う。
「あなた達。早くここから出なさい! 」
バーストが叫ぶ。
「バーストはどうすんだ! 」
「こいつらは私がここで食い止める」
「バースト様?! 」
心配そうに黒豹に近寄る咲耶の手を尻尾で巻き付けて、黒豹は微笑む。
「優しい子ね、大丈夫よ。また会いましょう」
「不味いのじゃ! 見よ! 」
ヒル子が叫ぶ。
気づけば、何体もの魔犬が周囲に現れ、群れなしていた。
「今は撤退しかなかろう!」
「くそっ。強行突破するしかねえ。咲耶、すまん!」
俺は、咲耶を両手で膝から抱える格好、お姫様だっこする。
「太陽さん!」
「バースト! EDENで待っておるのじゃ! 必ず帰ってくるのじゃ!」
ヒル子の声にバースト一瞬振り向き尻尾を振って答え、突撃してきた魔犬と戦い始める。
俺は朔耶を抱えたまま、玄関出口に向けて駆けだす。
寄ってきた魔犬を思いっきり蹴飛ばすと、下駄箱にぶつかり、煙のように消える。
どこかしこからやってくる魔犬をいちいち相手してられねえ。
魔犬を振り切って、俺達は玄関から飛び出る。
外に出ると、いつの間にか夜の帳が降りていた。
俺は振り向いて追ってが来てないか確かめるも、魔犬は玄関から動こうとせず、俺達を睨みつけていた。
「何でかわからぬが、追ってこんようじゃの」
ヒル子が息を吐く。
「太陽さん、大丈夫ですか?」
咲耶が心配そうに俺を見る。
「俺は大丈夫だぜ。でも、あんなに怪物がいるってことは……」
「ああ、収穫はあったみたいじゃのう」
俺たちは暗闇に染まった小学校を見上げる。
「ここに、健太の魂が囚われている、ということなのですね」
「間違いねえな」
俺は咲耶を抱えたまま、
「咲耶。今日、家で独りでいたら危ない。このまま俺達のアジトに向かう。いいか? 」
「はい。わかりましたわ」
咲耶は学校を心配そうに見ながら、頷く。
「なあに、バーストなら大丈夫じゃ! あやつも神様なのじゃ! あんな怪物程度にやられる奴ではないわ! 」
ヒル子が言うも、咲耶の顔は晴れない。
「そう、ですよね」
俺は変身したまま、夜の闇に隠れるように、住宅の屋根から屋根を飛んで、EDENへと向かう。
「太陽君、いらっしゃい! おや、君は?」
出迎えた店長が朔耶を見る。
「咲耶じゃ!」
「美夜図咲耶と申します」
「これはご丁寧にって、言ってる場合じゃなさそうだね。とにかく早く中へ」
俺達は急いで、店の中に入る。
奥の部屋から、パジャマを着たエルピスがレグルスを抱いて、やってくる。
「あの、この子は? 」
「エルピスっていう名前で、ああと、店長の親戚なんだ」
エルピスの事情について、どこまで話すか迷ったが、今咲耶に伝える必要はないと思って、親戚という風に伝える。
エルピスは咲耶を見上げる。
「エルピスちゃんですね。よろしくお願いしますわ」
と咲耶がお辞儀をすると、エルピスもぺこっと頭を下げて、とことこと去って行く。
「嫌われたのでしょうか?」
「いいや、そうじゃねえと思う」
とエルピスが、お盆にお菓子を載せて持ってくる。
「ほら、な」
「まあ! ありがとうございます」
咲耶の笑みにエルピスも頷く。
店長がホワイトボードを引っ張ってくる。
「それじゃ、話を聞かせてくれるかい? 」
俺はバーストの話、学校に行った経緯、そして襲ってきた怪物について話す。
「煙のように現れた犬、か……」
「あれを犬とは呼べないのじゃ! 熊といっても、過言ではないくらい、でかすぎるのじゃ!」
ヒル子が両腕をこーんなにと伸ばすと、エルピスが目を少し大きくなり、レグルスがふんふん唸る。
「最初に気づいたのは、咲耶じゃったの! 」
「はい」
「何でわかったんだ?」
俺が聞くと、咲耶は眉を寄せて
「わかりません……はじめ、匂いがしたんです。今まで嗅いだことのない程の……まるで生き物が腐ったような」
咲耶は両手で胸をかかえて
「良くないものが来るって感じたんです」
エルピスが傍にいって、咲耶n手を握る。
「ありがとう、エルピスさん」
2人を見てると、最初にエルピスと出会ったときのことを思い出す。
異界から公園に戻った時も、エルピスも怪物の存在に気づいた。
エルピスと咲耶、二人とも女神に関わる存在であれば、悪しき何かに対する直感が強いのかもしれない。
「そっか。それで君たちが逃げるために……」
「ああ。バーストが体を張って、俺達を逃がしてくれたんだ」
重い沈黙が漂う。
「学校の教室前でその魔犬は現れたってことは、何かを護ってるとみてもいい。つまり、健太君の魂は、そこにあるということで間違いないはず」
俺とヒル子は頷く。
咲耶はどこか憔悴したように俯いている。
そんな咲耶の様子を見て俺は
「店長、今日は俺達、ここに泊まっていいっすか。今、咲耶を一人にさせるわけにはいかないんで」
「あ、ああ。もちろん! それなら、咲耶さんはエルピスちゃんと一緒の部屋でも構わないかな?」
「はい。エルピスちゃんさえ良ければ」
と咲耶は返事し、エルピスはうん、と頷く。
「よし! それじゃあ。君たちもお腹が空いただろう。外に行って、何かごはんでも買ってくるよ!」
店長はにっこりとその場の雰囲気を明るくするように言うと
「いいんすか?」
「なあに! 僕が行っても狙われることはないから、大丈夫! 任せてくれたまえ!」
そういうと、店長は急いで出ていった。
店長が買ってきたスーパーの総菜を並べた簡単な食事が終わった後、店長は店の事務をしてくると言って、奥の部屋に戻った。
「我はもう眠いのじゃぁ。何かあれば、起こすのじゃ」
と言って、ヒル子の姿が消える。
エルピスもうとうとして、レグルスは寝息を立てていた。
「ほら、部屋に戻りな」
というと、エルピスは頷いて、レグルスを抱きかかえて奥に行く。
「咲耶も……」
と咲耶の方を見ると、咲耶が俺の傍に来る。
「ごめんなさい。もう少しだけ……ここにいてもいいでしょうか?」
俺はどぎまぎしながらも、流石に不謹慎だと思い、真面目な顔で
「あ、ああ。勿論だぜ!」
と言う。
俺の左隣の椅子に座った咲耶はうつむき、細い肩が震えている。
ああ。俺はバカ野郎だ。
「咲耶」
俺が言うと、咲耶が俺を見る。
「怖かったな。もう、大丈夫だから」
俺を見上げる咲耶の瞳に、涙が溜まる。
俺は咲耶の肩を抱く。
咲耶は俺の胸に顔を埋め、声をあげずに、泣き出す。
俺は何も言わず、咲耶を抱きしめ続ける。
咲耶の涙が、最後の一滴となるまで。
窓から微かな光が射してくるのを感じた、俺は目を開ける。
気づいたら、椅子に座ったままうとうとして寝てたみたいだ。
誰かがかけてくれたのか、毛布が膝にかかっていた。
と、隣にいたはずの咲耶の姿が見えない。
「おーい、咲耶? 」
俺は立ち上がり、テーブルを見ると、何かが置いてあった。
「咲耶……」
それは桜の髪飾り。
咲耶が身に着けていた、髪飾りだった。




