『毋望之人』
俺は振り向くと、そこにはよれよれのスーツを着て、眼鏡をかけた、担任の小暮先生がいた。
「先生! 」
「君、受験は……そうか、スポーツ推薦だったか」
先生はちらっと俺の隣にいる咲耶を見て、咲耶はぺこっと頭を下げる。
「これは、先生ですかな。この子たちの。ちょうどいい、学校に通報しようとしたところなんですよ」
背の低い四角い顔をした支部長と名札をつけた男が小暮先生に言う。
小暮先生は俺と咲耶を見て、そして目の前の集団を見る。
「ちょうど午前中、わが校の生徒会の関係で二人に仕事をお願いしていたところでして」
突然の話に一瞬、頭が追いつかなくなるも、意図を悟った俺と咲耶は何度も頷く。
「休日に来てもらったので、お昼を御馳走しようと思いましてね。私の行きつけの喫茶店がこの近くにあるものですから」
「ほう。それでわざわざこんなところに」
訝しむように支部長が、小暮先生に詰め寄る。
「先に二人を車から下ろしたところ、二人がこちらの催しものに立ち寄ったみたいで。それでは君たち。あまり迷惑をかけてもいかない。失礼させてもらいますよ」
と言って、先生は踵を返し、俺と咲耶は先生について歩く。
後ろから、粘ついた視線をずっと感じながら、俺達は何とか敷地から出る。
「先生、ありがとうございます! でも、どうしてこんなところにいたんすか? 」
と俺が聞くと
「言ったとおりです。私の行きつけの喫茶店に向かう途中で、君を見かけたものですから」
先生は後ろをちらっと振り返り、
「何の用があったかは尋ねませんが、あそこは少しきな臭い話も聞きます。学生である君たちは関わらない方がいいでしょう。それでは」
と言った小暮先生はそのまま歩いて、通り沿いにある喫茶店に入る。
俺は咲耶と顔を見合わせる。
「何とか逃げ出せたな」
「はい。太陽さん……ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
頭を下げようとする咲耶に
「気にすんなって! 」
「そうじゃ、そうじゃ! お主はどーんと我らに頼ればよいのじゃ! 」
ヒル子が胸に手を置き、鼻高々になる。
「お前は何もしてねえだろ! 」
「何じゃと! 」
とヒル子と言い合ってると、
「あなたたち、探したわよ」
と言ってバーストが合流すると、咲耶がきょとんとする。
「あの……この猫さんは?」
「へえ。あなたが咲耶ね」
咲耶に向けて、バーストが話しかけると、咲耶が目を丸くする。
「太陽さん! この猫さん、喋りましたわ! 」
咲耶が目を丸くして、俺を見る。
「こいつはバーストっていう、猫の神様なんだ」
「まあ! そうなのですね。大変失礼致しました」
とぺこっとお辞儀をする。
「気にしなくていいわよ。それにあなたの話はこの子から聞いてるわ」
と言うと、バーストの後ろから現れた子猫がにゃあと鳴く。
「私の眷属を助けたあなたのこと、気に入ったわ。咲耶、あなたの力になってあげる」
俺とヒル子、そしてバーストは、咲耶と一緒に美夜図神社を訪れる。
境内から自宅に入ると、バーストが朔耶を見上げ
「あなたの弟は? 」
「あ、はい! こちらの部屋です」
と言って咲耶は案内する。
襖を開け、ベッドの上で眠る健太を見る。
「やっぱり健太はまだ」
俺が聞くと、咲耶は首を振る。
バーストはベッドに登ると、眠り続ける健太を微動だにせず見つめる。
「バーストや、何かわか」
るか、とヒル子が言い切る前に
「邪魔しないでちょうだい」
ばしっとバーストに言われ
「な、なんじゃとう! こやつあいかわらず、むかつくのじゃ!」
とヒル子がキレる。
バーストが見続けるのを俺と咲耶は固唾を飲んで見つめる。
「ふう。なるほど」
バーストが顔を上げて、俺達を見る。
「あまり芳しくない状態ね」
バーストの言葉に
「どういう意味だ?! 」
「「何かわかったのですか?!」
俺と咲耶は同時に尋ねる。
「この子の魂は、肉体から抜き取られている。早く取り戻さないと、戻ってこれなくなるわ」
神殿のような柱が並び、奇妙な円錐形のドームのある建物。
ハピネスセンター。
薄暗いその建物の地下、僅かな蝋燭だけが灯る部屋から、話声が聞こえる
「やあ、元気だったかい?」
足元まで伸びたコートを羽織った浅黒い肌の長髪の男、ニャルラトテップが目の前で膝まづく男に話しかける。
「はい! 貴方様の光輝たる姿を拝謁する栄誉を賜ることができ、誠に感謝いたします」
男は床に頭をつけたまま、咽び泣く。
「もっと気楽にいこうじゃないか」
「失礼いたしました」
「さあ、支部長。君も彼に会ったんだろう。意見を聞かせてくれ」
ニャルラトホテプに声をかけられた男は平伏したまま
「意見よろしいでしょうか? 」
「ああ、顔を上げてくれ」
支部長と呼ばれた丸刈りの四角い顔をした男は顔を上げる。
「お話を伺った内容と併せまして、彼の者、確かに我々の計画の妨げになるかもしれませぬ。しかし……」
一度もったいぶったように黙ると
「所詮は、高校生のガキ。多少力を持っているでしょうが、未熟な子供に過ぎませぬ。で、あるならば手はあります」
「聞かせてもらおうか」
ニャルラトテップは興味深そうに顎に手をやる。
「古典的な手ではありますが、彼の家族を攫いましょう。彼はまだ子供。家族を人質に取られてなお戦い続けるほどの覚悟はないでしょう」
「確かに一理あるね。しかし、そう簡単にはいかないものさ」
「と、言いますと」
ニャルラトテップが僅かに眉を寄せる。
「先日の女のことは覚えているだろ」
「はい。あなた様の命で浚った女ですね」
「ああ。あれ以降、何らかの手段かはわからないけど、彼の家族を見つけることや接触することができなくなっている。ノーデンスの手の者が動いているからか何らかの手段を講じたのか、あの少年の家族は護られているようだ」
「なんと?! それは……例の宇宙卵についても、ですか」
「残念ながらね。とはいえ、あの少年が矢面に立つ以上、打つ手はある」
「と、言いますと……彼の弱点を突く、ということですか?」
「そうさ。奇しくも彼は、旧き神々が造り上げた神器に想定以上に親和性があったようだ。先の戦いでは、限定的ではあるものの旧き神々に比肩する力を振るって、私の化身を倒してみせた」
敗れたにも関わらず、ニャルラトテップは愉快そうに言う。
「しかし、彼の精神はどうだろう? この時代の人間特有の一般常識、正義感が故の無謀な行動、幼さ故の甘さ。それを突いていけばいいのさ」
「ふむ。であれば……やはり女、ですか」
「そうさ。既に例の姫君は降り立っている。すぐにでも接触できるはずだ。いや、もしくはもう接触しているかもしれないね。巫女の方は順調かい?」
「はっ」
支部長と呼ばれた男が、地面にぶつからんばかりに頭を垂れる。
「はい。あなた様から頂いたあれを、既に放っております。あとは、巫女さえ手に入れれば」
「結構、結構。上出来じゃないか。流石だね、支部長」
「滅相もございません」
ニャルラトテップは壁に掲げられた街の地図を見上げる。
そしていつの間にか握っていた細身のナイフを壁に貼り付けられた地図に投げる。
「さあて、太陽君。君はどう動くかな? 」
これまでと打って変わって残虐な笑みを浮かべたニャルラトテップから溢れ出す瘴気で、支部長は震えが止まらなくなる。
恐れ慄く支部長を見下ろし、ニャルラトテップは蝋燭の火が消えると同時に、闇の中に消えていった。




