『ハピネスセンター』
何度も思い返す。
あの日のことを。
ピンポンとベルが鳴る。
台所にいて、小鍋で味噌汁を作っていた私は、お玉で味を確かめていた。
再びベルが鳴る。連続で鳴らされて、私は急いで火を止めて、
「はーい! 今、いきまーす!」
と答える。
私が玄関に向けて、急いでいく間に再びベルが鳴る。三度目。
郵便かと淡い期待を抱いていたが、裏切られる。
扉を開けると、夏休みだというのに、全身長袖の、歴史の教科書でみた大正時代の上品なドレスのようなものをきた、眼鏡をかけた二人組の四十代、五十代くらいの女性。
張り付いたような笑顔とは裏腹に、瞳が淀んでいた
「こ、こんにちは」
私は挨拶をする。
「お嬢ちゃん、お父さんはいるかしら?」
笑顔を浮かべて、こちらを見ている彼女に恐怖を覚える。
「どうしたんだい、咲耶」
スーツを着た父がやってくると、その女性たちが捲し立てるように、神社を明け渡すように、と言いだす。
何度も父は断ってきたが、それでも懲りずにやってくる彼女らに、普段は穏やかで温厚な父も苛立ちを隠せなくなる。
「お姉ちゃーん! お腹空いたー! 」
弟が廊下を駆けてくる。
「何度も言ったでしょうが、お断りです。警察を呼びますよ」
と言った瞬間だった。
目の前の女の人の表情が豹変する。
目が飛び出て、皺が張り裂け、顎が外れるくらい大きく口を開け、つんざくような狂気の声を上げ、叫び始める。
毎夜、その時のことを思い出す。
あの後、父はどこか様子がおかしくなり、突如行方知らずになった。
弟は学校で倒れ、いまだに目覚めない。
あの時、私たちの家族は呪われたのだ。
でもどうして……。
何度も何度も自問自答するも、答えは出てこない。
母が亡くなって、家族三人で慎ましく生きてきた。
お金はなかったけど、家族みんなで食卓を囲んでいた。
それだけで、幸せだったのに……
朝、目覚めるたび、何度も涙が零れる。
必死に目をこする。
「駄目、泣いちゃ駄目」
健太はまだ生きてる。
それでも、もう駄目なんじゃないかと絶望に落ちる時、手のひらを見つめ、思い出す。
私を闇から引き揚げた、あの人の強い手を。
諦めるな、というあの人の言葉を。
土曜日。俺は朝寝坊を決め込み、十一時頃、リビングに降りる。
「ねえ、太陽。あんた、最近できたあの建物のこと知ってる? 」
リビングで買い物袋から野菜や果物、肉を取り出し冷蔵庫に入れている母ちゃんが俺に話しかけてくる。
「あの建物って? 」
「ほら、あんたが通ってた小学校の近くにできたあの変な建物よ。何だか神殿みたいな。帰り道に見かけるでしょ」
俺はその神殿みたいな、との言葉で
「そういや、あったな」
平日、高校から帰っている途中に見えるその建物、通称ハピネスセンターは、ある日突然できた。
どこかのつぶれた会社が所有していただだっぴろい空き地に、広い駐車場を設け、その奥に神殿みたいな田舎にそぐわない建物がいつの間にかできていた。
休みの日にはテントが並び、市場みたいなものを毎週開催していた。
「近所付き合いしている時にその話になったのよ。なんでも、近所のおじいさん、おばあさんがよく行くんだって。」
確かに母ちゃんの言うとおり、通り過ぎる時、おじいさん、おばあさんと水色のポロシャツを着た爽やかな恰好をした大学生風の男女のスタッフが、よく話している姿を見たのを思い出す。
たしかこのあたりに、と母ちゃんがチラシを俺に渡す。
書かれている内容を読む。
「私たちと一緒に、ハピネスな人生を? 」
「思い出したわ、ハピネスセンターっていうみたい。ほら、こういうのってよくあるじゃない。高い布団買わされたとか。けど、そういうのじゃないらしいのよ」
「ほんとかよ」
どう考えても、胡散臭い。
「ほんと、ほんと。って言っても私も詳しくは知らないんだけど。近所のママさんが言うには、そこに通いだしてから、元気のなかったおばあちゃんやおじいちゃんがみるみる元気になったって」
俺はチラシの裏を見て、気になる単語を見つける。
「『あなたは、星の智慧を信じますか?』だと」
『太陽、これはもしや……』
「ああ」
咲耶から渡された名刺に書かれていた、星の智慧、との言葉を見つける。
「行ってみるっきゃねえな」
昼ごはんを食べた後、家を出て自転車をこぎ、ハピネスセンターへと向かう。
目的地の近くまで行くと、柱が何本も並んだ特徴的な形の建物が見えてくる。
「太陽! あれではないか? 母上殿が言うておったのは? 」
と、ヒル子は好奇心たっぷりに、俺の肩の上から身をのりだすような姿勢で、建物の方を指さす。
「ああ。あれが、ハピネスセンターか 」
週末の土曜日だからか、テントが並び市場みたいなものが開催されていて、どこかアメリカ的な雰囲気を感じた。
入り口の垂れ幕にはハピネスセンターという名前がでかでかとあり、おじいさん、おばあさんがポロシャツ姿のスタッフに案内されていた。
一緒についてきた黒猫の姿をしたバーストは
「ふうん。少し見てくるわ」
と言ってどこかへ去る。
俺とヒルコが、建物から車道を挟んだ場所にあるコンビニで見ていると、セーラー服を着た胡桃色の髪を背中まで伸ばした女の子が、ハピネスセンターの前まで歩いてやってくる。
「む? 太陽。あれはもしや……」
「咲耶だ」
朔耶は垂れ幕を見上げ、入ろうか入るまいか、躊躇いがちに止まる。
少し俯くも、決心したように顔を上げると、敷地内に入っていく。
「のう、太陽! あれは不味いのではないか」
俺はコンビニから向こう側へと横断歩道をわたるため、信号機の歩行者待ボタンを押しまくる。
「っつ、なんで一人で! 」
「朔耶もお主と同じチラシを見つけたのじゃろう」
通り過ぎてた車が止まりだしたところを見計らって、俺は目の前の信号が青になるのを待たずに、駆けだす。
咲耶がスタッフに話しかけようとする直前で肩を掴む。
「咲耶! 」
咲耶がびくっとして、振り向く。
「まあ、太陽さん!?」
咲耶が驚いて
「どうしてここに? 」
「これと同じ言葉をチラシで見つけたからな。咲耶もだろ? 」
俺は財布から名刺を取り出し、見せる。
「あっ」
「健太を助けたいのはわかる。だけど、一人で行くのは危険だぜ! 」
「そうなのじゃ! 」
俺とヒル子が言う。
「はい。でも……、いてもたってもいられなくて」
咲耶はうつむく。咲耶の表情から、痛々しさが伝わってくる。
「おや。こんにちは!」
声をかけられ、俺と咲耶は驚いて顔を上げる。
にこにこと笑顔をつくった、四角い顔をした丸刈りの中年の男が俺の目の前に立っていた。
「私たちの施設に何か御用ですかな!」
張り上げたような声に驚く咲耶を背に、
「ちょっと彼女と散歩して、気になってみただけっす。何だか楽しそうな感じがしたんで」
なっと言って、咲耶を見て、咲耶も頷く。
「ふむ。わざわざ来ていただいたところ申し訳ないのですが、こちらのイベントは当センターの会員様とそのご家族向けのものでしてね」
しまった、ちゃんとチラシを見てなかった。
「君たちも私たちのイベントに参加したいのですか? 」
気づけば、ポロシャツを着て満面の笑みを浮かべた何人ものスタッフが、俺達を取り囲もうとしていた。
『太陽! こやつら、』
わかってる、と心の中でヒル子に返事するも、
「それとも、もしや冷やかしでしょうか。それはいけません。営業妨害とはけしからんですな。学校に伝えねば。君たち、どこの学校の生徒かな? 」
ずいっと近寄ってくる集団に、俺の服を掴んでいる咲耶の手が震える。
人間相手に力を。使うわけにもいかねえ。
正体がばれるのは不味い。
どうしたものか、と焦ったその時だった。
「八剣。何をしとるんだね?」




