prologue: N'tse
荒れ果てた大地が広がる。
その先に、廃墟となった都があり、街や豪奢な神殿、そして天に伸びた塔が見える。
かつては多くの人が暮らしていた美しい都だったのだろう。
しかし、その栄華も今や見る影もなく、無人の都は朽ち果てていた。
刹那、世界を砕くかのように空全体に閃光が迸る。
「怖い怖い」
軽口を叩きながら黒い蝙蝠のようにマントを広げた人影が、都市の建築物の間を滑空する。
その影を狙って、上空から次々と、光の柱が落ちてくる。
光の柱は、建造物を貫き、なぎ倒しながら、そのまま地表を穿ち、クレーターが出来ていく。
「私があなたに何をしたというのです? 戦女神よ」
男の軽口に応じることなく、その上空から雲を切り裂き現れたるは、全身に白亜の鎧を身に纏い、背中の銀の翼を羽ばたかせ、兜を身に着け、煌めく黄金の長髪を背中に伸ばした存在。
左腕には全身を覆いつくす程巨大な盾を、右腕には、円錐形の巨大な槍を手にしている。
まさしくそれは、戦女神というに相応しい出で立ちだった。
戦女神が、黒い衣をきた男、ニャルラトテップの上空から、円錐形の槍を向け、その先から、閃光を放ち続ける。
ニャルラトテップが背面を向き、指を鳴らすと、軋むような音と同時に、戦女神の背後の空間から、黒い翼を背中に、全身漆黒の顔の無い天使のような怪物が這い出てくる。
奇声を上げ迫りくる顔の無い天使に向かって、戦女神は白銀の翼を大きく広げる。
白銀の翼、その羽が雨あられと飛んでいき、顔のない漆黒の天使たちを穿ち、削ってゆく。
「ようやく、足は止まりましたね」
ニャルラトテップの言葉と同時に、戦女神の頭上に開いたひと際大きな裂け目から、塔のように巨大な、咢を広げた、盲目の蛇の怪物が現れる、
一瞬の後、戦女神の全身が怪物に呑み込まれる。
「ふう。これで多少は……」
時間を稼げた、と言いかけたその時、その怪物が震えだす。
刹那、怪物の体が膨張し、爆発する。
飛び散った肉片の中から、眩い光の球体に包み込まれた女神が、その面をニャルラトテップに向ける。
翼を広げ、高速でニャルラトテップに向けて飛んでいく。
「やはり、あなたは別格のようですねえ、戦女神よ! 」
ニャルラトテップは建造物の隙間を掻い潜り逃げながらも、上空に手を向けて、何かを呼び寄せるように腕を振り下ろす。
雲を突き抜け、ニャルラトテップを追いすがる戦女神めがけて、隕石が降ってくる。
しかし戦女神は避けようともせず、左腕に装着した円形の巨大な盾を前につきだす。
轟くような音を上げ、隕石が盾と激突するも、隕石は砕け、盾、そしてそれを身に着けた戦女神に傷一つ付けることはできなかった。
戦女神が徐々にニャルラトテップに追いついていく。
急上昇し、ニャルラトテップの直上を位置取った戦女神が、真上から右手を振り下ろし、槍を放つ。
咄嗟に躱したものの、それは黒衣のマントを貫き、引っ張られるようにニャルラトテップは地面に真っ逆さまに落下し、もんどりうって倒れる。
「あなたとここでやりあうつもりはないのですがねえ」
追い詰められたニャルラトテップは、卑しい笑みを浮かべ、目の前に降りてきた戦女神に軽口をたたく。
「流石は、旧き神の中で、最も邪神を滅ぼした戦女神。『輝きにより世界を打ち砕く』とはまさにこのこと」
「言い残すことはそれだけか? 」
槍を突き出し、戦女神が絶対零度の声を発する。
右腕を高く掲げ、手にした槍を目の前の邪神めがけて突こうとしたその瞬間。
「■■■■■はまだ生きている」
ニャルラトテップの言葉に、戦女神の動きが止まる。
その兜で覆われた顔の隙間から見える瞳に、憤怒の炎が燃え上がる。
「……、痴れ事を。貴様たちが」
「滅ぼしたと? いいえ、まだ生きていますよ」
ニャルラトテップが笑みを浮かべる。
「取引をしましょう。私を見逃しなさい。そうすれば、代わりに、居場所を教えましょう」
兜の下で、女神の表情はうかがい知れない。
「そのような言葉、信じられるとでも? 」
「故に、【誓約】を」
ニャルラトテップが言った途端、女神の槍がニャルラトテップの鼻先まで突きつけられる。
「今なら、お前を滅ぼせる」
「ええ。そうでしょう。しかし、あなた方旧神にとって、■■■■■は、最も大切な存在ではないですか? 」
瞬間、戦女神の全身から溢れ出す光が爆ぜ、ニャルラトテップの周囲の大地を抉る。
「貴様ら邪神との間で【誓約】を結べ、と? 」
「ええ。言った後に私が滅ぼされるわけにはいきませんからねえ。まあ私の同胞はいかんせんあなた方の言葉を理解できないものが殆どですが、私はこうして人の体を持つが故、言葉が理解でき、あなた方旧き神々との間で【誓約】を結ぶことができます。そしてそれに従うことも。どうです? 今、私を滅ぼせば、二度と取り戻せなくなりますよ」
その瞳が一瞬細まる。
時が凍りついたような沈黙が過ぎていく。
女神は右腕をゆっくりと引き、槍を手もとに収める。
「……、ならば始めろ」
「ええ」
ニャルラトテップが立ち上がる。
「外なる神、ニャルラトテップが此処に誓う。■■■■■の居場所を教えることを」
あなたの番です、とニャルラトテップが促すと
「女神ヌトセが誓う。今この場限り、ニャルラトテップを見逃すことを」
交差されたニャルラトテップの黒衣の腕と女神ヌトセの円錐の槍の間に鈍い光が一瞬走る。
「誓約は為されました。それでは言いましょう。■■■■■の居場所は……」
ニャルラトテップの言葉を聞くと、背を向けた女神ヌトセが一瞬立ち止まり、振り向く。
「次は滅ぼす」
女神ヌトセはニャルラトテップに背を向けると、地面を蹴って、空へと飛んでいき、流れ星のように消え去る。
「間一髪、といったところですか。しかし。間抜けだねえ。女神ヌトセ」
ニャルラトテップは、邪悪な笑みを浮かべる。
「貴様の大事な■■■■■は、もう手遅れだというのに」