『薔薇の園。そして……』
暗黒の海を背に、剣が浮かび上がる。
銀髪の女が目を見張る。
その柄の中心に、薔薇の花の紋章が現れ出た刹那、何本もの植物の蔓が飛び出してくる。
「っ?! 」
彼女は右手を前に伸ばし、巨大な蛸足が飛び出る。
植物の蔓は伸びてきた蛸足に向かって何重にも巻き付き、縛る。
蛸足は逃れようとじたばたするも、巻き付いた蔓の棘が食い込み、十重二十重に縛られたそれは動けなくなる。
溢れんばかりに現れた蔓が次々と蛸の脚を縛りあげる。
驚愕の表情を浮かべる彼女に向かって、荊が伸びる。
「っつ。忌々しいわね」
彼女は縛られた蛸足を切り落とし、翼を広げ、一気に飛び上がる。
飛び出た何十本もの蔓は、彼女を追うように、途轍もない速度で追いかける。
「一体、何が起こっとるんじゃあ? 」
ヒル子が目を瞬かせ、口を開けて眺める。
俺も同じように呆気に取られて、同じように空を見上げる。
銀髪の女と茨がデッドヒートを繰り広げる。
そしてそれは、一瞬で決着が付く。
必死に飛んでいく彼女に先回りするように、荊が全方位から迫る。
「鬱陶しい! 」
何本もの巨大な蛸足を放つも、悉く茨に無力化されていく。
最後には、彼女の直上に伸びた茨が、ネットのように頭上を遮る。
茨がドーム状に広がっていく。
棘が絡みつき、女の四肢に巻き付くと、地面に一気に引きずりおろされ、俺の前に落ちてくる。
立ち上がり気付けば、俺達は荊で覆われた空間の中にいた。
周囲の蔓から、真紅の薔薇の花が咲き誇る。
「まさか……莉々朱さん、なのか……」
俺の目の前まで降りてきた剣、その薔薇の紋章は赤々と光る。
銀髪の女が磔刑のように、俺の前に立たされる。
手足の自由を取り戻した俺は、四肢を茨で囚われた女の前に立つ。
「やられたわ。そんな奥の手を持っていたなんて」
女は俺の手にした剣を見る。
「それで? 私は殺されるのかしら?」
「それは……」
その美女が俺を愉快そうに笑いながら見下ろすが、どこかすっきりした面持ちだった。
「お前、恐くねえのかよ? 」
「ええ。だって……」
「だって?」
俺は尋ねるも、女は首を振る。
「あなたに言う必要はないわ」
俺は剣を握るも、躊躇ってしまう。
「やるのじゃ、太陽」
ヒル子が俺の横に来る。
「ヒル子……」
「わかっておるじゃろ。こやつは見たとおり邪神に連なるものじゃ。既に何人もの人間を食っておる。お主も殺されかけたのじゃ! 」
「ああ。わかってるさ」
俺は剣を両手で握り、大きく振りかぶる。
例え、どんなに人間の顔をしてようと、その正体は邪神なんだ。
なら、殺すしかない。
「やるしか、ねえ」
覚悟を決めろ、俺!
「一思いに、首を落として頂戴」
と女は首を垂れる。
歯を食いしばり、俺は剣を振り下ろそうとしたその時だった。
『殺しちゃダメ』
何処からか声が響く。
「まだかしら」
女が顔を上げる。
その瞳を見た瞬間、俺は振り上げた剣を、地面に突き刺す。
すると、女を縛っていた茨が解け、解放された彼女は地面に降り立つ。
「何をしておるのだ! 太陽! 」
ヒル子が叫ぶ。
「ふふ、私の見た目が人間だから、殺せないのかしら?」
「そうじゃねえ」
俺は女の眼を見つめて、言う。
「お前の眼が、死んでもいい……そう言いたげな眼をしてるからよ。だから殺したくねえって、そう思ったんだよ」
女の瞳が、何かを問うように、俺を見つめる。
俺は、ある決断をする。
「太陽、何をしておるか! ここで奴を倒さねば、また新たな犠牲者が出るのじゃ! 」
「いいや、ならねえ。なぜなら、こいつは、俺の仲間になってもらうからだ」
ヒル子が驚いたように声を上げる。
「何を言っておるのじゃ、太陽! まさかっ。こやつが運命の姫君だとでもいうのか?! 」
女は不思議そうに首を傾げる。
「何かしら? 運命の姫君って」
「それは……」
俺は隣のヒル子を見る。ヒル子が額を押さえ、ため息をつく。
「はあ、もう知らん! 勝手にするのじゃ!」
ヒル子の言葉に頷いた俺は、目の前の女に、予言について話す。
全てを聞いた彼女は、大きな声で笑いだす。
「まさか。邪神に連なるこの私に、協力しろって言ってるのかしら? それに、同族である邪神を倒すために」
「ああ」
心底可笑しいのか、彼女はお腹を手で押さえ笑い続ける。
ようやく笑い終わると、
「運命の姫君、ね。それで、私がその一人だ、ということかしら」
「それはわからねえ。けど、邪神のあんたが協力してくれるなら、俺達は邪神に対して、強力な武器を持つことになる。そうだろ?」
俺はヒル子に向けて言う。
「それは、そうじゃが……」
「言っておくけど、例えあなたが私を殺さなかったからといって、私があなたに素直に力を貸すなんて思わないことね。あなたにとって私は必要かもしれないけど、私にとってあなたはただの愚かなる人間の一人でしかないのだから」
「太陽! やはりこやつはここで倒すべきじゃあ!」
「駄目だ」
「何故じゃ?! 」
「エルピスのためだ! 」
ヒル子が目を丸くする。
「お前もわかってるだろ。邪神に対抗するためには力がいる! そのためなら、例え邪神だろうと、仲間にできるなら、してやらあ! 」
女はヒル子と俺のやり取りを興味深そうに眺めながら
「……そうね、力を貸してあげないこともないわ」
と耳を疑うようなことを言う。
「そんなこと、信じられるものか! 」
ヒル子がいきり立つ
「信じる、信じないもあなた達次第だけど……彼の言うように力が欲しいんじゃないの? 」
「ぬぐぐぐぐぐ」
俺はヒル子から、女に顔を向ける。
「なんで力を貸す気になったんだ? 」
「なんででしょうね……」
女は月を真上に見上げ、沈黙する。
「それで、条件はなんだ? ただで力を貸してくれるわけじゃねえんだろ」
再び俺を見る女は手を頬に当てて妖艶に微笑む。
血のように妖しく輝く満月の下で、女は魔貌たる顔にある鮮血の瞳を細める。
「もし私が出す謎に答えることができたなら、力を貸してあげてもいいわ」
「は? 」
予想をしてなかった言葉に俺は面食らうも、意に介さず、女は話し出す。
「二度は言わないから、気を付けて聞きなさい。『先に出でしものが後となり、後より来たるものが先となる。さあ、私はなんでしょう?』 」
俺はぽかんとする。
「もしあなたがその答えを見つけることができたなら、力を貸してあげてもいいわ。それまで、人間を食べるのは止めてあげる。けど、いつまでも待つとは思わないことね、勇者様」
女が言い終わると、異界の天蓋がひび割れ、異界が崩壊してゆく。
「おい、っちょ、待て! あんたの名前は?!」
俺の呼びかけに女は微笑み、口を開く。
「当ててみなさい」
気付けば、俺は、元いた砂浜に立っていた。
「帰って来たのか」
空を見上げると、優しく光る満月が、俺達を見下ろしていた。
「太陽」
ヒル子の方を見る。
「本当に良かったのか? 」
俺はあの時の声を思い返す。剣を振り下ろそうとした寸前で、何かが俺を止めた。
「ああ」
「憐みをかけるか、邪神に。この選択が吉と出るか、凶と出るかはわからぬが……まあしかし、あの場で倒さなかったことで、あの者と何か繋がったのは確かじゃしのお」
時計を見ると、零時を過ぎていた。
俺は自転車に乗り、何とか家に帰ると、玄関の前で仁王立ちで立っていた母ちゃんに説教をくらう。
説教が終わって俺は自分の部屋に戻り、寝転がる。
ここ数日で出会った、三人の女性を思い返す。
マリヤ・レーヴァヒルド。エルフの女王にして最後の戦乙女。
紅蓮の髪に、金色の瞳。威風堂々、女王たる貫禄、そして俺を見下す目。
そんな彼女に俺は莉々朱さんの面影を見てしまった。
美夜図朔耶。胡桃色の髪を背中までのばし、清純そのものといった彼女は、聖心女子学園の女学生。
神社の一人娘で、ヒル子曰く、巫女の器を持つ。
呪いによって、目覚めぬ弟を助けて欲しいと。
最後に、名前もわからない、邪神に連なる存在である、星のように煌めく銀髪を持つ、妖艶なる美女。
謎を出してきて、もしその謎を解けば、力を貸す、と。
彼女達は、運命の姫君なのか?
「それは、いずれわかるじゃろ……」
俺のつぶやきに、眠そうに答えたヒル子が大欠伸をする。
「お主は、決めねばならぬの……、あの三人の中で、誰を選ぶのか……」
そう言うと、限界だったのか、ヒル子の姿が消える。
「誰を選ぶ、か……」
意識が途切れる寸前、最後に想い浮かんできたのは……。