『少女の絶望』
あれから一夜明けた、金曜日。
授業中、俺は教科書を立てて、窓を見ながら、昨日のことを思い返す。
ノーデンスから聞かされた予言のこと、そして、マリヤのことを。
燃えるような真紅の髪に、黄金の瞳。
彼女の顔を見た瞬間、あの人かと勘違いしてしまった。
もういるはずがないのに。
ぼーっと過ごしていたら、いつの間にか六限の授業が終わり、
帰り支度をしているとヒル子が話しかけてくる。
『太陽、忘れておらぬか? あの女学生と約束しておったじゃろ』
「やっべ、そうだったぜ。急がねえと」
昨日の女学生との約束のため、急いで鞄に教科書をしまっていたら、
「よーう、太陽」
と健司がにやにやしながら、やってくる。
「あの子との待ち合わせっしょ?」
「そうだ」
と言うと、健司が肩を組んできて満面の笑顔で
「友達の紹介、忘れてないよね?」
と言ってくる。
「おめー次第だな」
とわざと偉そうに言うと、ものすごい勢いで健司が頭を下げて
「頼む、太陽様! このとーり!」
と勢いよく土下座してくる。
「わかったわかった。聞くだけ聞いてやんよ」
「流石は太陽様! 」
と拝んでくる健司をふっきって、教室を出る。
駐輪場を出て自転車に乗り、女学生と初めて会った、あの神社まで向かっている途中
「あの予言とやらじゃが、さっぱりわからんのじゃ! 」
ヒル子が話しかけてくる。
「俺もだぜ」
勇者ってのがまあ俺のことだといいとして、運命の姫君が誰なのか。
「それにあのマリヤもじゃ! あの者も運命の姫君ではないのか?! 」
「ノーデンスは違うって言ってたし、そもそも手伝わねえって」
「あの生意気さは気に食わぬが、実力は本物じゃ。仲間に引き入れねばならぬ。運命の姫君かどうかはともかくとしての」
「そうだけどよ……」
「何をめんどくさがっておるか! エルピスを護るためにも、あやつの力は必要じゃ! それもわからぬお主ではあるまい」
「うるせえ! わかってらあ、そんなこと! 」
鬱陶しそうに答えるが、ヒル子の言う通りだった。
マリヤの強さは本物だった。精霊とやらの力を使って、怪物を難なく倒している。
「というか、あの者はどこにいるのじゃ? 」
「さあな」
「ともかくじゃ! その運命の姫君を探して、邪神に対抗する術を見出せなばならぬってことは確かじゃ。お主独りだけでは、何もできぬ。それはお主が身をもって痛感したじゃろ? 」
ヒル子の話を聞きながら、俺は思う。
俺は……弱い。
あの戦いで、邪神を倒したが、それはエルピスやヒル子、それに莉々朱さんから授けられた力。
俺は強くなったって、勘違いをしていたかもしれねえ。
マリヤの目を思い出す。
冷たい眼の奥に見えた、どこか落胆したような感情を。
初対面から、人を見下してくるむかつく女。
外見が似てようが、莉々朱さんとは別人。
けれど……。
俺はヒル子と話しているうちに、山の麓、神社の前までたどり着く。
自転車を降りて、鳥居に向かって歩いていると
「お待ちしておりました」
そこには、昨日と同じセーラー服を着た女学生が鳥居の下で、俺を待っていた。
「先日は助けていただきありがとうございました。あと昨日は、急に学校に押しかけてしまい、すみません」
年下の女の子が頭を下げさせたくなくて慌てて俺は
「気にしなくていいって! ってか何だって俺のことわかったんだ」
女子高生は鞄からそっと黒い手帳ケースを取り出し、両手で顔の前に掲げる。
「あっ、学生証か! 落としてたのか! 」
「はい。あ、名前を名乗ってなくてすみません。私、美夜図朔耶と申します。よろしくお願いいたします」
と礼儀正しく頭を下げる。
『あの時の神社の娘か、にしてもこの娘……』
朔耶が顔を上げた時、首を傾げる。
「あの、ところでその方はどなたでしょうか? 」
と俺の肩あたりを見る。
ヒル子の方を見ると、びっくりしたように眼をぱちぱちとさせていた。
「お主、我のこと見えるのか? 」
と聞くと、
「はい。あの、何かおかしいでしょうか? 」
不思議そうにする朔耶。
「ふむ。それでは隠れる必要はないようじゃ」
とヒル子が姿を表す。
「我が名はヒル子! 女神の守護者たるこの八剣太陽を導く女神じゃ! よろしく頼むのじゃ! 」
と言うと、
「はい、ヒル子様! どうぞよろしくお願い致します」
と丁寧に頭を下げる朔耶に
「なんと丁寧な娘じゃ! 」
と満足げに頷く。よっぽど昨日のマリヤの態度にむかついてたのか、嬉しそうだ。
「それで話したいことって? 」
「あ。すみません。ご案内いたしますわ」
俺は朔耶について境内を歩く。神社までついていく。
そこにどこか平屋の家が見えてくる。
「こちら社務所兼自宅になります。どうぞ、遠慮なくお入りください」
「入っていいのか? その両親とかは」
朔耶の顔に影が走る。
「後程お話し致しますわ」
通された客間で、俺とヒル子は座って待っていると、朔耶がお茶と和菓子をお盆に抱えてもってくる。
「どうぞ、おくつろぎください」
と朔耶が言って、ヒル子がお盆に手を伸ばし、お菓子を口に放り込む。
「うむ! これは美味しいのじゃ! 」
朔耶がにっこりとヒル子に笑みを見せる。
「ありがとな」
俺は菓子を食べながら、
「ここの神社は朔耶の家がやっているのか?」
「はい。この美夜図神社は、代々美夜図家が受け継いでまいりました。今は私の父が宮司を務めております」
「なるほどな」
「母は、私が幼い時に亡くなって、父と小学生の弟と暮らしていました」
「そっか……すまねえ。そんなこと聞いてしまって」
「お気になさらないでください」
「それで、親父さんは仕事中? 」
「いえ……」
朔耶は答え辛そうに顔を俯かせる。
「暮らしていた、とはどういう意味なのじゃ? 」
ヒル子が尋ねると、朔耶は悲しげに首を振る。
「実は……行方不明なんです」
俺の頭の中で最悪の想像が浮かぶも、
「いつから? 」
「はい。先日の夏休みからです」
「朔耶よ。お主が言っているのは、先の連続失踪事件のことか?」
朔耶が頷く。
俺とヒル子が顔を見合わせる。
「こっちに来てくれますか? 」
朔耶が立ち上がり、歩き出す。
俺とヒル子がそれについていくと、朔耶がとある襖の前で俺達を待っていた。
朔耶が襖を開けると、畳の部屋にベッドがあり、そこには一人の幼い子供が寝ていた。
小学生くらいの男の子だった。見たところ、妹の陽芽と同じ位か。
「弟の健太です」
すやすやと眠っているものの、どこか生気のない白い顔をしていた。
「弟はずっと昏睡状態で目覚めないんです」
「詳しく話を聞かせてくれ」
朔耶が頷き話し始める。
「父は母を亡くしてからは、男手一つで私と弟を養ってくれていました。神社だけでは食べてはいけないため、サラリーマンと兼業していました」
弟を見ながら、朔耶が話す。
「そんな時でした。夏休み前、二人組の上品な恰好をした女性達が神社にやってきました。初夏でとても暑かった時期なのに。彼女達はいいました。この土地には大変価値のあるものが眠っています。お金は言い値でかまいませんので、この土地を譲り渡すように、と」
「そいつらは、どこかの宗教団体の人間なのか? 」
「それが、私も聞いたことない団体で……。これを渡してきたのです」
朔耶から手渡されたチラシを見る。
それは星の模様がちりばめられたどこかポップなチラシだった。
そこに書かれている文字を読み上げる。
「スター、ウィズダム? 」
「太陽、聞いたことあるのか? 」
ヒル子の問いかけに俺は首を振る。
朔耶は弟の額を撫でながら、
「彼女達の申し出に対して、父は丁重に断ったのですが……そこから、連日彼女達は何度もしつこく訪ねてきました。父は普段は温厚な性格なのですが、流石に何度断っても来る彼女らに、警察を呼ぶぞと言ったのです。そうすると、彼女達の内の一人の様子がおかしくなって、おかしなことを口走ったのです」
ヒル子が怪訝な顔をする。
「何と言ったのじゃ? 」
「わかりません。理解のできない叫びみたいな。その言葉を聞いた瞬間、吐き気を催すような感覚に陥りました。私は父に言いました。何だか嫌な予感がする、と。父は明日警察に言ってくるから大丈夫だと笑って言いました」
朔耶が口ごもる。
「その翌日、父は帰ってきませんでした」
俺は何も言えず、朔耶が再び話し始める。
「それだけじゃありませんでした。父が帰ってこなかった次の日、小学校から電話がありました。健太が授業中に倒れて、眼を覚まさない、と……」
「病院にかけつけた私は医師から話を聞きました。精密検査を受けても、異常もありませんでした。ただ目覚めないのです。病院も異常がない以上は治療の施しようがないと言われ、健太を家に引き取りました」
ヒル子も黙って、話を聞いていた。
「健太はまるで、時間が止まったかのように何の変化もないのです。その一週間後くらいに、再び彼女達が来ました。もしも私が犠牲になれば、弟だけでも生かしてあげようと」
あまりの胸糞さに、俺は沸々と怒りが湧いてくる。
「そして私は彼女達に言われたとおり、あの雨の日、境内にいました。父もいなくなり、最後に遺されたたった一人の弟は目を覚ましません。私独りの犠牲で、弟が目覚めるのなら、どうなってもいい、と。そして闇に呑み込まれそうになった時でした」
朔耶がようやく顔を上げる。
「太陽さん、あなたが来たのです……」
朔耶の瞳から涙が零れる。
「私は死んでもいいと思いました。けれど、あなたが言いました。諦めるな、と」
朔耶が涙を流しながら、俺の胸に飛び込んでくる。
「朔耶……」
「太陽さん、私にできることなら何でもします。だから、どうかお願いです! 弟を……健太を目覚めさせてください!! 」