刀の戦い
(守りと言ってもこの程度か)
くすんだ白色の鱗を持つ人型のドラゴンであるムウ・ギが、ゆっくりと影から影へ移動しながら、多くのドラゴン達が眠っている聖域の結界を観察する。
大戦においてムウ・ギという名の龍は魔法を外部に放出できなくする権能を所持していたが、命ある者達の陣営に全く認知されていない存在だった。
これは大戦の後期にララを苦しめた魔法反射能力を持つムウ・ギの兄龍もそうだったが、純粋なドラゴンながらマックスの龍人形態に近い形で生まれたせいで親のドラゴンに疎まれて捨てられ、暗黒の地でひっそりと暮らしていた。
そこへ手を差し出したのが、命ある者達を滅ぼそうと立ち上がった大魔神王である。
そのため神話に詳しい教会勢力も含めて、命ある陣営は魔法に対する絶対的な権能を所持するドラゴン達を知らないまま大戦に突入してしまう。
演算世界においてはドラゴンの聖域に侵入し、眠っているドラゴン達に細工を施してより深い眠りに誘い、彼らの参戦が不可能な状況を作り出していた。更にはララが相打ちに持ち込むまでムウ・ギは多くの魔法使いを殺している。
だが今はそれが起こる前の時間軸における演算世界だ。ドラゴンの聖域は無事だし、ララも命を落としていない。
(大魔神王様、このムウ・ギが愚かなドラゴン達をより深い眠りに誘いましょう)
恩義と野心で輝く赤い瞳だ。
大魔神王の傍らで控えている兄龍は肉体的強度も高く戦闘向きだったが、ムウ・ギの方はドラゴンのくせにかなり貧弱で背丈も人間とそう変わらず、策謀や暗躍の方に適性があった。
だがいつの世も適性と外れた行動をする者はいる。
親から捨てられたせいで承認欲求が強く直接的な武功を求め、大魔神王が自分達を拾った行動は正しかったと証明したい感情を持つなら尚更である。
だがやはり現場好きなのに戦闘力が低いのはどこまでも足を引っ張る。
聖域の結界にほんのちょっとだけ穴を作りだす程度には光の力を理解し始めた小僧と、それに付き合って一緒にいたもう一人の小僧と鉢合わせて殺し合いになり、未熟な人間との死闘の果てで破られる程度には。
そして今現在の演算世界では……既に間合いに収められているのだからどうしようもない。
ムウ・ギは草履で地面を踏みしめながら歩いてきた老人を認識できただろうか。
カチカチと鳴る音を認識できただろうか。
空と変わらぬ真っ赤な真っ赤な軌跡を認識できただろうか。
バラバラどころか塵になった自身の体を認識できただろうか。
なにより……。
「よう、また会ったな。それはそうとカミさんが世話になるらしいな」
一瞬で全てを終わらせたサザキの声にある、怒りに気が付いただろうか?
この老人は普段は友情や愛情とは関わりありませんといった飄々とした表情ながら、言動は全く正反対なことが多い。演算世界の話だろうが、ララの死因に対してなら尚更である。
ララもそれが分かっているから、あいつに世話になった覚えはないよ。とは言わずに黙って見ていた。
「ひっく。なあフェアド、酒持ってねえ?」
「持ってる訳ないじゃろ」
「あと十本は持ってくるべきだった」
そしてサザキはいつも通りの酒飲みに戻ると、もう残りが少ない酒瓶を寂しそうに揺らした。
なぜ自分がここにいないかを察しながら。
次の瞬間、地面が大きく揺らいだ。
「んん? 儂、なんもしておらんぞ?」
フェアドはこの揺れに覚えがあり、若き日にムウ・ギをなんとか破り、聖域に侵入してドラゴン達を叩き起こした時の揺れと同じだった。
「もう大方の流れが直ったからそっちに釣られてるんだろうさ。残りはあと少しってことだね」
『なんだこれは!? この赤い空は!?』
ララが歪められた大戦の演算が元に戻り始めていると考えた直後、百を超える強大なドラゴン達が大地から飛び出して驚愕する。
真っ赤な空。明らかに神威の衰えた世界。感じる神の少なさはドラゴン達にとっても異常事態としか言いようがなかった。
「さて、次に行こうかね」
「おーう」
ララの促しにサザキはやはり変わらぬ気の抜けた返事を返す。仲間達の死因を排除し続けたが、どうせ自分の死因はしょうもないことだと思いながら。
その通りと言ってよかった。
次の鏡に映ったのは大したところではなく、聖域でも軍事拠点でもない。
強いて言うならば、今までと違い大戦の前期で特に絶望が濃かった小さな街だ。
「確か……こっちだったような……」
そんな小さな街にフェアドは記憶を刺激されながら、路地裏に足を踏み入れる。
誰を見ても迫る死に俯き、人を助ける余裕などないことが分かる。だから路地裏で人が倒れていても見向きもされなかった。
例えば、近くに酒瓶が転がっている年若い青年とかでも。
「ひっく。おーいその酒瓶取ってくれ」
路地裏で仰向けになっている明らかに死相を浮かべている青年が、フェアド達に顔を向けながらそう頼んだ。
それを確認したサザキは壁に背を預けながら、僅かに残っていた酒を全て飲み干して、フェアドに顔を向けた。
「その前に治療と食べ物じゃな」
「なんだ。ずいぶん親切だな」
フェアドが七十年以上前にそうしたように青年を起こす。
各戦線の敗退に次ぐ敗退で食料が殆どなく、行き倒れ死にかけている若造など誰も気にしない。後に神速の剣聖として大成する男であると知らないなら猶更だ。
パキリと再び鏡が割れる。
演算世界においてそのまま誰にも気にされることなく息を引き取った、若き日のサザキも消え去る。
「昔はありふれた話だし、俺が死んだのは演算の世界の話だろ?」
「ふん」
サザキは演算世界でのララの死因に怒っていた癖に、何でもないように肩を竦める。それまで黙っていたララは鼻を鳴らしただけだった。
「さて……最後のようじゃの」
フェアドは夫婦のじゃれ合いを気にすることなく、間違いなく最後になるであろう鏡に映し出された光景に眼を細める。
そこは紛れもなく彼の故郷だった。




