武の戦い
(黒煙か……)
シュタインは鏡に突入しながら、七十年ぶりに姿を見た強敵の一人について考える。
相手は煮え立つ山の麓で十分以上も睨み合い、互いに攻撃は全てを込めた必殺の拳が一度だけという決闘の末に葬ったはずの黒き溶岩の魔人だ。
「黒煙は私が受け持つ」
「うむ」
演算世界に立ったシュタインは仲間へ端的に告げると、魔の軍勢の最前線にいる黒煙に向かって駆け出した。
それと同時にララの魔法による天変地異が巻き起こるが、魔軍の指揮官である黒煙はその対処をすることができない。
じゃり、と大地と砂を踏みしめる音だけが辺りに響いた。
仮想の演算世界とは言え七十年ぶりに頂に立ったモンクと強敵が相対する。
(やはり七十年前と同じ筋肉か。黒煙を完全に再現しているとは、この演算世界も侮れん)
(老いているが……シュタイン? どう見ても老人になっているぞ。煮え立つ山で死んだのではなく時空の乱れに巻き込まれたのか?)
笑い話になるかもしれないが、シュタインと黒煙の両者共に似た感覚で互いを認識していた。つまりこの突然変異のモンク殺しはシュタインと似た感覚を持っており、完璧に再現されているこの黒煙は戦闘経験が浅かった頃のマックスなら殺せる可能性がある怪物なのだ。
ただし、感覚は似ているだけでシュタイン程完璧に物質のなにもかもを把握している訳ではなく、明確に劣っていると表現してもいい。
(しかしこれが老いと衰えか? 筋肉の質も変わり間合いが僅かに縮んでいる。時空の乱れに巻き込まれず、全盛期のまま死んだほうがよかった)
煮え立つ山の決戦用に製造されて間もない黒煙は妙な事態に動じず、明らかに老いている先日に死したはずの宿敵に失望を覚えた。
シュタインの破壊の権化と呼ぶに相応しかった筋骨隆々とした体も闘気も見る影もなく、間合いも僅かながら縮小しているではないか。
「……」
だが考察もそこまでだ。
互いに左足を前に出した半身となり、戦場の喧騒を無視してにらみ合う。
現実世界において伝説として語られる、“煮え立つ山の決闘”が再現された。
ララの魔法による天変地異、無視。サザキの刀による突撃、無視。エルリカの光魔法、無視。空を舞うマックス、無視。
フェアドの輝きすらも無視。
ゆっくり。僅かに。少しずつ。ほんのちょっとだけの移動。
だが動いている以上は、いつかは終わりを迎えるものだ。
以前はここから十分以上もの睨み合いだったが、明らかに弱体化しているように見えるシュタインに対し、黒煙は間合いが重なった瞬間に行動を起こした。
「ッ!」
黒煙による渾身の正拳突き。
溶岩で形成された体だろうが、足、腰、胴、腕を通る力の捻じりとばねで生み出した突きは、音すらも抹消して一直線に突き進む。
言葉通りである。
溶岩の体でモンクの体を燃やし尽くしたのがモンク殺しなら、その突然変異個体である黒煙の体は消却の力だ。
つまり触れた者をあらゆる防御ごと消し去り、もしくは触れられた場合はその攻撃ごと敵を消してしまう、究極の攻防一体の体を持っていた。
対応方法は限られる。
かつてと同じく似て非なる無の力を用いて無理矢理ぶち破るか……もしくは技術で上回るかである。
ゆらりとシュタインが水に浮かぶ木の葉のように動いた。
単に老いて闘気が小さくなったのではない。単に衰えて間合いが縮んだのではない。
外に漏らさぬほどより凝縮して密度を高め、更なる高みに至った結果なのだ。
黒煙の触れたものを抹消する力だが、膝から上の部位に限定されてかつ条件がある。
足に作用していた場合、黒煙は地面を消去してしまいそもそも地上にいることができなくなるだろう。そしてこの抹消の力は元がマグマだった地面に立っていることが条件で、空中にいれば作用しなくなる。
だからこそ……七十年の積み重ねが黒煙に行使された。
「っ!?」
黒煙には言葉もなかった。
明らかに先手を取ったはずなのに、シュタインが拳の先にいるどころか自分の懐付近にいることが信じられない。
ましてや拳を放つ動作の起こりを利用され、シュタインのつま先が自分の足首をひっかけただけで、空中に投げ飛ばされるなど更に信じられなかった。
(理合いの武でこうも圧倒されただと!?)
黒煙の動作を完璧に掴んだ上で、思考通りの完全なる肉体制御で理合いの武術を行わなければ、様々なモンクの技を習得している黒煙を足だけで投げれるはずがない。
(なるほど。衰えたのではない。積み重ねた結果の最適解か)
完全に武で上回られた黒煙は死に体同然であり、再び半身となり拳を構えるシュタインにどうすることもできない。
(許せ)
黒煙の小さな心の呟きと同時にシュタインの渾身の拳が放たれ……かつての強敵を粉砕した。
「ほぼ終わったようじゃの」
油断なく構えを続けるシュタインを見ながら、フェアドはここでもまた本腰とは言い難い魔の軍勢が、ララに蹴散らされる様子も確認する。
「次は煮え立つ山か?」
「そうだね。どうも真なるモンク殺しに加え、遠距離からの魔法攻撃で陥落したらしい」
「うん? 魔法攻撃?」
ひび割れ始めた世界に構わず酒を飲んでいるサザキは、隣のララに次の行き先について尋ねた。しかし、大戦中期に出会った敵の中で、煮え立つ山の陥落に関わるほど強力な魔法攻撃を行える者に覚えがなく首を傾げた。
パリンと鏡が砕ける音と共に演算世界が崩れ、勇者パーティーは次の演算世界を目指す。
映し出されているのは、炎の渦と共に魔法攻撃を受ける煮え立つ山。
「私の方は死んでもちゃんと死体を処理できたみたいだけど、どうも馬鹿師匠が死んだ後にしくじって操られてるらしい」
そこには現実世界において大戦後に死去したララの師が、演算世界では死霊術で操られている光景が映し出されていた。




