消え去りかけている老人の言葉
(やっぱこの屋敷デカいな)
庭を出たフランツはアニエス邸の大きさに感心しながら、事前にコニーに教えられたトイレの場所に足を運ぶ。
しかし屋敷が大きいだけあってトイレの場所も遠く、その道中で誰かと出会うことも十分考えられた。
例えばかつての勇者とか。
(あ)
フランツが人影に気が付くとよちよち歩きの老人、フェアドが歩み寄ってきていた。その顔はいつもの好々爺であり、七十年前に死闘を繰り広げ世界を救った集団の中心人物と見抜くことは不可能だろう。
実際フランツは見抜けていないが例外というものがある。
「どうもフェアドさん」
「おおフランツ君」
フランツは相手が勇者フェアドと同じ名前だったのですぐに挨拶することができた。そして勇者と同じ名の老人と行き先は同じようで、若者と老人が揃ってトイレに向かう。
「少し尋ねていいですか?」
「なにかのう?」
「同年代の勇者様と同じ名前が重いと思ったことはありませんか?」
名前という自分ではどうしようもないものに対して重くはないかと聞くのはかなり失礼だったが、フランツは自分でもなぜか分からないまま、この答えを知っておくべきだと思い口に出してしまった。
その自分でもよく分かっていない行動が偉業を成し遂げると知らずに。
「ふうむ。儂はあまり気にしたことがないのう」
「そうですか」
「学校にフェアド君はいるかの?」
「はい。その生徒達は勇者様と同じ名前を誇りに思ってます。でも、勇者様と同じ世代はどうなんだろうと……」
「なるほどのう。どうなんじゃろうな……勇者様は結構無茶苦茶しておったから、他のフェアドさんはアレと一緒にするなと思っておったかも。同じ名前だからできるだろうと言う冗談があったと小耳に挟んだこともあるの。そうなると……当時は重いどころかありがたい名前ではなかったかもしれん」
「ありがたい名前ではない……」
「うむ。本当に滅茶苦茶やっとったからの。存命している他のフェアドさんが今現在どう思っておるかは……正直分からんの」
この老人の推測はかなり正鵠を射ており、フェアドという名が世に出た当初は無茶と馬鹿の代名詞になりそうだったほどで、当時はありがたい名前では決してなかった。
そして当時生きていたフェアドという名の持ち主はもう極僅かであり、今その名についてどう思っているかを知る術は少ない。
「勇者という肩書は自分から名乗ったものではないと知っておるかの?」
「はい。自然とそう呼ばれ始めたと教えられています」
「うむ。儂も当時を生きていたから実感しているが、大戦が終盤を迎えると気が付けば勇者様と呼ばれておった」
自分の意見を口にした老人は、それだけでは味気ないと思ったのか若者に語り始めた。
「勇者様は自分の名や肩書を気にしておらんかったと思う。誰かの賞賛が欲しかった訳でも、名を残そうと思ったこともない筈じゃ。極端なことを言えば忘れ去られてもいいと考えていたかもしれん」
「大魔神王を倒したのに忘れられてもいい、ですか?」
「うむ。勇者様にとって自分の名が有名になり勇者と呼ばれるようになったのは、大魔神王を打ち倒す過程とその後に気が付けばくっ付いてきた程度の認識でしかあるまい」
老人の意見に意表を突かれたフランツは同じ言葉を返してしまう。
フランツは若者らしく、有名になりたいと願うことは当然だと思っていたが人の考えは千差万別である。
「当初は青空を取り戻すなんて妄言を言っている小僧扱いだったんじゃ。呼び方なんて好きにしろ。いや、興味すら持っておらんかったかもしれん」
そう、勇者だから世界を存続させるなどと夢にも思っていなかった。使命などとは考えてもいなかった。
神々の上から目線の賞賛など不要。全ての命ある者に永久に称えられて承認欲求を満たす望みもない。
ただ己が成したいことをしようと思って突き進んだだけ。
ただただ勇者が求めたのは青き空と命ある世の存続だ。仮定になるが危険視されて神や命ある者達から裏切られて存在を抹消されようが、青き空と世が存続している限り勇者の勝利であり、功績と名が歴史から消え去っても何の痛痒も感じないだろう。
「フランツ君達が勉強している。子供が遊んでいる。若者が誰かと愛し合っている。夫婦が子供を育てる。老人が孫やひ孫を見て微笑む。それで十分だと勇者様は思っているかもしれん」
「なるほど……」
図らずともまさに知られないまま消え去りそうだった老人の認識を聞き出す偉業に成功したフランツは、そういう考え方もあるのだと頷く。
「ただまあ……色々言っておいてあれじゃが……後世で大戦と似たようなことが起こらんように、大魔神王との戦いは語り継がれる方がいいのかもしれん」
どこか遠くを見ている、このまま歴史の一部となる老人の記憶にある声、叫び。それは勇者の言葉と違ってしっかりと記録され後世に伝えられていた。
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おまけ
-絶対に絶対に絶対に何があっても折れない曲がらない諦めない究極極限の光。太古の暗黒の怪物達から見ても、化け物すぎる存在を相手にする羽目になった者達こそが大魔神王の軍勢だった-




