幕間 魔法学院の関係者
師であるデリーの執務室を離れたアニエスは、その後すぐグリア学術都市が誇る魔法学院へ足を運んだ。
元々評議員は定期的に、持ち回りで学園の状況を確認することが定められており、偶々アニエスがその順番だったのだ。
勿論日の当たらない部分も確認する必要があるため、姿を隠して学園を訪れることもあるが、今回は定期的なものだから職員がアニエスを出迎えた。
「ようこそアニエス様」
「お邪魔しますよ」
デリーとアルドリック曰く猫を被っているアニエスは、品のある老婆のように学園に足を踏み入れた。
だが巨大ながら奇妙な学び舎だ。増改築した継ぎ接ぎだらけのせいで壁の色が場所によっては全く違い、ねじ曲がった奇妙な煙突が至る所で聳えている。
外見は元からこうであった訳ではなく、終戦後の人口爆発で当初の想定以上に学生が増えた結果であり、間接的に平和の証となっている。
少なくとも在籍していた筈の学生が魔の軍勢に殺されて、校舎全体に暗黒が覆っていた時代よりは何倍もいいことだろう。襲来した魔の軍勢に対し要塞となったグリア学術都市において、学園は最後の拠点となり学生達も立て籠もった。その時の戦死者の名は、生徒に教員。果ては用務員や食堂の人員も合わせ在籍者として学園入り口の慰霊碑に刻まれている。
「若い子供達も精が出ますね」
「はい」
アニエスが目を細めて眺めるのは校舎ではなく、その周りを走っている学生達だ。
「賢ければいいというものではありませんからね」
魔法学院だから知力と魔法こそが至高。というのは大昔の考え方であり、アニエスの呟きが学園の主流だ。
尤も再建される前の学園はまさに典型的な学者肌の魔法使いが集まり、肉体的に貧弱な者が多かった。
だが大戦で学者肌の魔法使いの弱点が露呈してしまう。
「賢いのに歩き方を忘れてどうするんだ。最初に勉強するもんの一つだろ。耳が痛い言葉です」
「全くです」
アニエスは大戦後から伝えられている警句のような言葉を発すると、職員も大きく頷いた。
この言葉、大戦に参加した賢者ともいえる高位の魔法使いが、学なんて全くない木っ端の兵士に言われたもので、反論ができず戒めとして伝えたものになる。
これの背景だが、大戦初期の高位魔法使いの多くに体力がなかったのだ。
極端な者は戦場で戦うどころかそもそも行軍に参加する体力がなく、戦地でも機動戦になると運動能力が低かったため足手纏いになってしまった。
そのため防衛戦で固定砲台として活躍する魔法使いは多かったが、他の場面では扱いが難しかった。
当然ながら大戦当時の指導者層は頭を痛めた。人には向き不向きがあるのは分かっているが、高度な魔法は使えますが体力がないから戦場に行けませんでは話にならない。
結局この問題は馬車や船でなんとか誤魔化したが根本的な解決を見せることなく終戦した。
これをどうにかしようと思ったのが、終戦しようが魔の復活に備える意識が強かった、学園を再建した高位魔法使い達だ。
彼らは脳だけではなく体も鍛える方針を定め、心技体が揃っている優秀な魔法使いを輩出し、命ある者達の文明と学問の発展……。
そして再び終末が訪れても退けられるようにと願った。
フェアド達の成長が間に合わず、もし魔の軍勢にあと一歩か二歩詰められたら滅んでいた大戦を生き残った者にとって、大魔神王が振りまいた死と絶望は完全にトラウマなのだ。
尤も皮肉なことに、その魔の軍勢に対する恐怖と教訓は、全ての命ある者に団結を維持させていた。
「さて」
「おっと。アニエス、今来たのか?」
校舎に入ろうとしたアニエスだが、生徒に交じって走っていた七十歳ほどの老人が近づいてくる。
短い白髪に比べ、少しながら肌は褐色。宝石のような真っ赤な瞳が特徴な長身の男だ。年齢相応に皺は多いが、若い頃は非常に女性に騒がれただろうと想像しやすい顔立ちで、頼りがいのある屈強な体だと服の上からでも分かる。
ただ、見る人が見れば二十年ほど前のある酒飲みとそっくり。もしくはある魔女の面影があると評するだろう。
「ファルケ。ええ、今来たばかりです」
このファルケという名の男、今も猫を被っているアニエスの本性を知っているどころではなく、彼女の夫でこれ以上なく親しい関係だ。
そして、魔法学院の教員で……。
「朝に伝えるのを忘れてた。俺は仕事が終わったら親父用の酒を買って帰るから、少し遅くなるかもしれん」
「分かりました」
神速の剣聖サザキと消却の魔女ララの息子であり、歴史上唯一、深層位の魔法と剣の両方を極めた魔法剣士である。
彼の父と母、そして親戚のジジババのような関係者がやってきたのはこれから数日後だった。
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おまけ
グリア学術都市の戦い
-単なる研究者の集まり。単なる学生の集まり。単なる学び舎。馬鹿め。その単なると思い込んだものに弾き返されたなら世話はない。だから農村の子倅に頭をカチ割られる羽目になったのだ。結局大魔神王は、最後の戦いの直前まで人という種を見くびっていた-




