幕間 魔法評議員
ジジババ達が呑気に旅をしている最中でも、世界の重要機関は休むことがない。
グレア学術都市に存在する魔法評議会は少々特殊な存在である。
世界の秩序を魔法の面から支え不穏分子を粛清する武闘派の一面を持っていたり、後進の教育に心血を注ぐ面もある。
そんな評議会の議員に選ばれた十数人は世界最高峰の魔法使いばかりであり、小国なら彼らだけで陥落させることができる怪物の集団だ。
「アニエス様、おはようございます」
「おはようございます」
評議会のある建物を歩く、齢七十を超え貴族の老婦人のような上品さと柔らかな雰囲気を併せ持ち、遥か年下にも丁寧に挨拶する女魔法使いアニエスもその評議員の一人だ。
「おはようございますアニエス様」
「おはようございます」
またアニエスが若い魔法使い達に挨拶をされている。
変わり者が多い魔法評議会においてアニエスは良心の片割れと囁かれているだけではなく、世界で普及したゴーレム馬車製造の中心人物でもあるため非常に高い名声を得ており尊敬されていた。
更には深層位階の魔法使いであり、研究分野だけではなく直接的な戦闘力も高いまさに一つの完成形である。
そんなアニエスは対等に話せる老人とばったり出くわす。
「うん? アニエス、一週間ぶりくらいか?」
「ええそうですねアルドリック」
瞳から叡智と意志の強さが溢れているかのような老魔法使い、焼却の名を冠するアルドリックがある意味従兄妹のような関係性のアニエスに話しかけた。
「アニエス様とアルドリック様だ……」
遠くからその光景を目撃した若い魔法使いがざわめく。
大戦が終結した後に名を馳せた魔法使いから最高の者を選ぶなら、アルドリックとアニエスは必ず名前が挙がる人物であり、評議会でも非常に発言力がある。
例えアルドリックが勇者のファンで童心に返ってもである。
「おお、二人とも揃っておるとは都合がいい。ちと儂の執務室に来てくれんか?」
偉人の二人の前に老人がゆっくり現れた。
九十歳近い高齢。腹まで伸びて目を隠している真っ白な眉毛が特徴的で、これまた長い髪と髭が合流して顔の殆どが隠れている。
そのため長身で年齢の割に背筋がきちんと伸びていることもあって、朽ちかけている枯れ木から枝や植物が垂れ下がっている印象を与える。
だが力は全く枯れていない。皺の一つ一つから魔力と知性が溢れ、細められた赤い瞳はこの世のどんなものでも見通せると謳われる賢者だ。
「これはデリー老師」
「分かりました師匠」
アルドリックは頭を下げ、アニエスは弟子としての礼を取る。
老人の名をデリー。現在魔法評議会の議長であり、歴史上数人しか存在しない超深層位に位置する最高位の魔法使い。更にはアニエスの師匠でもある。
そして議長は議員の中で定期的に入れ替わることになっているが、デリーは何度も議長職を経験している評議会の生き字引のような存在だ。
「ほっほっ。では行こうかの」
短い言葉の一言一句に力が籠っているような賢者は、他の魔法使いから頭を下げられながら自分の執務室へ足を向ける。
そして執務室へ入った途端……。
「さっきララの姐から、三日後くらいにここへ来るって連絡来たんだけど、俺ってなんか怒られたりしないよね? ね?」
デリーは急にそわそわし始めた。
「はあああああああ。この爺、心配性すぎるだろ。なあアルドリック」
更にアニエスの方は下町のチンピラのようになった。
「アニエス、猫をかぶれ。猫を」
二人の素が出てアルドリックは天井を見上げる。
このデリーとアニエス、あまり知られていない過去がある。
大戦前に困窮していた幼き日のデリーは裏町のチンピラで、少し年長のある少女に喧嘩を吹っ掛けたことがある。
その少女がなにを隠そうララであり、当然のようにボコボコにされたデリーはなんの因果かララの師匠の目に留まり、魔法使いの道へ踏み入れることになる。
だがララとの立場は今も変わらず完全に舎弟であり、今もその舎弟根性が抜けきっていなかった。
そんなデリーの弟子であるアニエスも元は下町の暴れん坊で、妙なことにこのデリー一門は外と中のギャップが激しいのである。
「ちゃんと今年も確認してるけど、魔法学園のカリキュラム大丈夫じゃよな?」
机の中身をひっくり返したデリーは、グリア学術都市が誇る魔法学園に関係する資料を探し始める。
戦後に魔法学院が再建する際にララも関わっているのだ。もし彼女が現在の魔法学園の教員やカリキュラムに不備があると判断した場合、デリーは怒られるかもしれないと思っていた。
「仰る通り魔法学園については議長も毎年ちゃんと確認しているではありませんか。なあアニエス」
「だよな。舎弟根性が全く抜けれねえ爺だ」
「それはそうだけどやっぱ身構えるんだって!」
顔を見合わせるアルドリックとアニエスに、デリーは絶叫する。
尤もデリーは仕事をきちんとこなしているし、アルドリックやアニエスが偶にお忍びで視察しても魔法学園に不備はないため心配し過ぎである。
「お前さんたちはいいのう。一番おっかなかった時期の姐さんを知らんのだから。サザキの兄貴と結婚するちょっと前くらいから今みたいになったけど、若い頃の姐さんはそりゃもう……今の無し。頼むから姐さんに言わないでね。死ぬから、マジで」
デリーは昔を思い出して遠い目になったかと思えば、急にきょろきょろと周囲に視線を向ける。その様は、口を滑らせたら怖い怪物が隣にいると思っているかのようだ。
「おっほん。まあ冗談はさておき、予算やらなんやらが大雑把に纏まっての。ちょっと確認をしてもらいたいんじゃ」
「分かりました」
「最初からそう言えよ爺」
デリーが咳払いをして真面目な話に移り、アルドリックとアニエスも気を取り直す。
ただ。
(知りたいような知りたくないような……いや、やっぱり知らない方がいい)
怖い時期のララを想像したアルドリックとアニエスは、僅かに身を震わせて仕事に集中するのであった。
実に賢明である。




