勇者と聖女
「全て紛い物か」
深層へ突入したシュタインは、時折やってくるモンク殺し擬きを尽く打ち倒してそう口にする。
「もし大戦を生き残ったモンク殺しが今も隠れ潜んでるとしたら、どれくらいの力量になっておるかのう」
「怖いことを言うな。戦後七十年もずっとモンクを殺すために修練を積み重ねていたなら、想像もつかない力量になっている可能性が高いんだぞ」
ふと思いついたようなフェアドの想像に、シュタインがはっきりと顔を顰める。
数こそ非常に少なかったものの大戦最後期のモンク殺しの一部は、シュタインときちんとした殺し合いができる怪物達だった。それがもし今も生き残っていた場合は、恐ろしいことになっているだろう。
「その時はフェアドに頑張ってもらおうぜ。なあサザキ」
「いや、儂、ちょっと腰が……」
「だっはっはっ! 言ってろ!」
マックスはそんな面倒な存在の相手をしてこそ勇者だと言わんばかりの提案をしたが、その勇者は情けなさそうにトントンと腰を叩いてサザキに笑われていた。
「本当に相変わらずだねえ」
「ほほほほ。そうですね」
ララは騒ぎつつも油断は全くしていない男連中に対し、最近は度々感じている懐かしさと呆れの感情を抱き、エルリカは目を細めて笑う。
(尤もエルリカは大きく変わった)
ララはちらりとエルリカを見て昔を思い出す。
仲間で誰が一番変わったかと問われると、全員がエルリカの名を口にするだろう。出会った頃と今はほぼ別人なのだからそれもその筈である。
この上品な老婆は、大戦中の最高位聖職者達が全員懺悔する秘密を抱えていた。
◆
「さて、ここが最奥か。主のドラゴンは上で出たから……帰ろうか」
「なんでだよ」
「いや、絶対面倒だって。ドラゴン以上の怪物に決まり切ってるじゃん」
「大魔神王以上かあ」
「そこまでな訳ねえだろ」
速度を緩めずに深層を攻略していた一行は、半日も必要とせず夜なき灼熱の最深部に到達してしまう。これを深層巡りの冒険者達が知れば、顎が外れるほど驚くだろう
尤もその偉業を成し遂げたマックスは心底面倒くさがりながら、サザキとじゃれ合っている。
「まあここまで来たんじゃ。最後まで確認して帰ろうかの」
フェアドはそんな友人達を放っておいて、最後の門を潜り抜けた。
「うん? 事前の情報とは違うの」
「ああ。ドラゴンと戦う場だから広いとは聞いていたが、この広さは明らかに違う」
首を傾げたフェアドにシュタインが同意する。
ドラゴンとの決戦場について、事前にリン王国の情報組織から聞いていた一行だが、今現在は完全に違った場になっている。
そこはただひたすら広く、地下とは思えない平野の如き空間だった。
「いやーな予感、っつうか懐かしい感じがしてきたんだけど」
「儂もじゃ」
マックスとフェアドはその何もない平野のような空間ではなく、別のことで懐かしさを感じた。大魔神王が自分達を殺すために、圧倒的な数の暴力を差し向けてきたときの懐かしさを。
次の瞬間、ボゴリと地面だけではなく壁や天井すらも盛り上がってモンスターが湧き出ようとする。
それはこの広すぎる空間全てであり、数は百や二百を優に超えてしまう。
本来この夜なき灼熱に存在しない筈の、一部の大迷宮で殺し間と呼ばれる、凄まじい数のモンスターが湧き出る空間だった。
「ふむ」
サザキが腰を落として僅かに俯き、体を捻りながら手を刀の柄に添えた。もしここに彼の弟子達がいれば顔を真っ青にして、頭を抱えながら地面に伏せただろう。
「私がやりましょう」
だが、この道中でサザキに楽をさせてもらっていたエルリカが、両手で杖を持ち地面に突き刺した。
聖なる結界で仲間を守るのだろう。
癒しと加護の術で全員を強化するのだろう。
否。
一般的に勇者パーティーに所属していたエルリカは慈悲と慈愛の心を持ち、大いなる神の加護を用いて勇者達を守っていたと認識されている。
乖離がある。それも悲しい理由で。
かつての大戦初期において教会勢力は、命ある者の陣営が大魔神王の侵攻に耐えきれないと判断し追い詰められていた。
だからあらゆる神の力を振るい、大魔神王を討つためだけの存在を作り出してしまった。ただただ、ただただ大魔神王を殺す。それだけを目的としたゴーレムのような人間エルリカを。
聖女とは名ばかりだ。
かつて世界一の無垢なる美貌と称えられようが、実態は無垢ではなく無感動無感情。馬を見た第一声が味についてで、塩と砂糖を区別する概念すら持ち合わせていなかったほど世間を知らない、秘密裏に生み出された究極の箱入り娘。
聖女エルリカとは対大魔神王用に磨き抜かれた専用の剣、爆弾、決戦兵器、もしくは暗殺者ともいうべき存在だったのだ。
しかし、その目的を達成する過程で友情を知った。悲しみを知った。喜びを知った。そして愛を知った彼女は、戦後にフェアドと共に隠遁することを選んで子供まで産んでいた。
話を戻そう。
エルリカは世間一般が思うような、神の加護による守護もできるにはできる。だが結局は生み出された目的を考慮するとその力は……。
殺すための力だ。
「光に消えよ」
エルリカの言葉をきっかけとし、杖の周囲の空間にあらゆる光の神に関係する紋章と文言が浮かび上がる。
現代に生きる全ての聖職者は顔色を失うだろう。その紋章一つを生み出すのに、聖域に集った大勢の聖職者が命を賭す必要がある。
つまりエルリカの体そのものが、一つの大神殿や聖域と言ってもいいのだ。
そんな女の体から光が放たれた。
平野を埋め尽くさんばかりに現れた、炎に関係するモンスター達が光に呑まれた。
消え去った。
モンスターの痕跡はない。綺麗さっぱり、まさに光の中で消失したのだ。
本来光の力にはあってはならない、抵抗力のない相手を問答無用で消し去る光消滅攻撃と、暗殺者顔負けの殺しの技術が彼女の専門なのだ。
「久しぶりに使いましたね」
これこそが教会勢力が生み出してしまった魔に対する聖女エルリカであった。
「デカいのが来るよ」
ララが警告を発するものの、表情は特に変わっていない。
迷宮は短時間に二度も攻略されかけているが故に、強者に相応しい試練を与えるためか、はたまた入り込んだネズミを殺すために力を振り絞る。
その方法は、とにかく一塊にしてぶつけるという酷く単純なものだ。
ただ最適解に近い。徹底的に凝縮された巨体と密度、生物としての抵抗力は、サザキの剣、シュタインの拳、マックスの龍の力、エルリカの光に対してある程度の抵抗ができる。ララの超火力にはどうしようもないが。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』
その結果生まれたのが地面に転がる、人より僅かに大きな一塊の怪物。
地下住み、モンク殺し擬き、炎の犬、トカゲ、炎の精霊、果てはドラゴンまでもを子供が混ぜ合わせ、団子にしてしまったかのように、あちこちから潰れた顔と手足の痕跡が突き出ている醜い赤き太陽が生まれ落ちた。
だがいかに醜かろうが、それはまさに夜なき灼熱そのものの集合体。詰め込まれた質量から発せられる炎は万物尽くを灰すら残さず燃やし尽くす……。
代わりに世界に光が満ちた。
かつて大暗黒という圧倒的質量を圧し潰した力が解放された。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAA!?』
混乱する醜き火の粉の前に。
真っ白な髪、皺だらけの皮膚、瞳、毛穴からすらも発せられる眩い光。
世界を救い運命を打ち破った者。限界を突破してしまった光の力。
生物の祈りと希望の象徴であり化身。世界を生み出した暗黒の対極にして太極。
勇気ある者。
「さあ、七十年ぶりの現役復帰といこうか」
“勇者”フェアドが現れた。
『AAAAAAAAAAAAAAAA!』
自我もないくせに狂乱した火の粉から、平野を埋め尽くすほど凄まじい灼熱の炎が解き放たれた。
「むん!」
左手で盾を構えたフェアドが力を籠めると、ガラス片の様に物質化した光の結晶が盾から溢れた。
勇者の武具は神々が鍛え、原初の宝石に彩られた聖なる剣と盾などとは勘違いも甚だしい。その正体は中古の武具屋で売っていた、どこにでもある古ぼけた剣と盾だ。
だが常軌を逸した輝く力で、半ば物質化した光そのものと化したなら話は変わる。
『AAAAAAAAAAAAAAA!?』
狂乱する火の粉は理解できない。フェアドの盾に纏わりつく細かなガラス片の一つ一つが、ドラゴンの攻撃に耐えた深層巡りの力場を容易く凌駕して、火の粉からの灼熱を完全に防ぎきる。
「おおおおおおおおお!」
盾を構えたままのフェアドがただ愚直に走る。走る。走る。
炎の奔流を防ぐ。防ぐ。防ぐ。
その右手には暗黒の化身、大魔神王すら心底慄いた光の剣がしっかりと握られている。
「せい!」
フェアドが剣を振り下ろす。
夜なき灼熱のモンスターの総体でありながら、人間より一回り大きい程度に圧縮に圧縮を重ねた醜い塊に通常の剣が通用するはずがない。
しかしそれはフェアドも同じだ。
生命エネルギーの操作において頂点に位置するモンクの開祖アルベールをして、なぜ光に還らず人の形を保っているのか理解できないと言わしめた、圧倒的と表現するのも生ぬるい光の力が剣に凝縮されている。
『A!?』
そんなものを受けた火の粉の塊は、特に抵抗らしい抵抗もできなかった。
するりと剣が醜い塊に入ると、突き出ている幾つものモンスターの顔から光が迸り……。
消え去った。
圧倒的だ。しかしこの勇者、光の力を纏った剣を振るい、盾を構えて耐える。それしかできない。ごり押し以外は殆どできないのだ。
尤も農村生まれの小僧が光の力を操れること自体が奇跡に等しく、それ以上の技術を求めるのは酷というものだろう。
だからこそ大戦中の勇者フェアドは、誰よりも前に進み、誰よりも前で戦い、誰よりも攻撃を受け続けた。
大魔神王との戦いですらも。
それがいけなかった。
薬が過ぎれば毒であるように、過剰な命と光の力も強すぎたなら周囲の人間に悪影響を与えてしまう。それが大魔神王との最終決戦において、命ある総ての依り代となり光そのものとなったフェアドの力なら猶更だ。
それ故に戦後のフェアドは、人体に害になる程の光の力を周囲にまき散らしてしまう後遺症を患い、人里離れた場所で隠遁することにした。訪れる者は光に抵抗力がある強者の仲間か、偶に光の力を抑え込めているときに仲間が連れてくる弟子程度だ。
彼は世界を救った代わりに世界との関わりを絶たざるを得なかったのだ。
だが戦後三十年、六十年となるうちに人々から勇者という依り代の概念は薄まり、フェアドに集まっていた光の力も弱まった。彼の死が見え始めた歳になって、ようやく世界への帰還を果たしたのだ。
つまり弱まってこれなのだ。
「ふう、終わったかの。ララ、調査を頼む」
これこそがかつて世界を救った勇者フェアドであった。
◆
マックスは迷宮の調査が終わると、呪われた装備の一つを用いて血を分けた兄ゲイルに連絡を入れた。
「聞こえてるか?」
『ああ。どうだった?』
「大魔神王の関与はなしでモンク殺しも紛い物。ララが迷宮が過剰に反応した現象だと保証した。以上終了」
『ふう……感謝する。しかし、報酬は本当に旅費でいいのか?』
「これから旅するのに、デカいもの送られても俺ら全員が困る。余所に気づかれない程度の金を動かすだけでいい」
特に問題がなかったことを報告するマックスだが、パーティー全員が報酬を殆ど断っている。先々代国王であるゲイルは立場が大きすぎるため、必要以上に動けば色々と煩わしい副産物が発生するのだ。
『そうか。改めて感謝する』
「いいって。それと親父の墓参りだが、あちこち行ってからになる。正直いつか分からん」
『分かった。その時はまた連絡をくれ』
「はいよ。またな」
ゲイルとマックスは仲がいいものの政治的には複雑な関係であるため、短く用件だけを伝えて会話を打ち切った。
「さて、旅の準備をするとしようかね」
夜なき灼熱の洞窟を出ながら、マックスは旅に持っていくものを考える。
「鳥の胸肉と牛乳の販売所を知らないか?」
シュタインも。
「やれやれ。迷宮を視るのは疲れるね」
ララも。
「お疲れさん」
サザキも洞窟を出る。
そして。
「久しぶりに体を動かしたのう」
「そうですねえ」
フェアドとエルリカが洞窟を出ると。
「おお、今日もいい天気じゃ」
「ええ。そうですねえ」
そこには青空が広がっていた。
◆
おまけ
聖女エルリカ
-誰もが夢見た。命の象徴である青空を、命の存続を、命の光を。それを彼女は成し遂げてくれと言われた願われた請われた。命のために命を考えてない殺戮兵器として。己の意思なく-
勇者フェアド
-誰もが夢見た。命の象徴である青空を、命の存続を、命の光を。それを彼は成し遂げて見せると宣言した。農村の小僧が誰に言われたのでも願われたのでも請われたのでもない。己の意思で-
とある老夫婦
-誰もが夢見た青空が戻った。命は存続した。命の光が証明した。彼と彼女は成し遂げた。全ては過ぎ去った過去。そして命を紡ぎ、子に孫、ひ孫までいる。それでいいのだ-
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