時代に取り残された者
「人生って分からんもんだよなあ……」
友人兼戦友兼従業員がいなくなり、急に静かになった雑貨店で椅子に座っていた店主のマックスが呟いた。
この髪を明るく染めて幾つかのアクセサリーを身に着け、無理に若造の格好を真似ているかのような男にも本のこと以外で悩みはあるらしく、声にはあまり力がない。
「確かに親父の墓参りには行かないとなあ……」
マックスの悩みは自分の身内、父だ。
「はあ……今更と言えば今更だが……」
マックスは自分の亡き父を思い出す。
マックスと父の関係はかなり険悪だった。いや、マックスが一方的に苛立っていただけで、父の方は気にも留めていなかっただろう。
どこでもありふれた話だ。
フェアドが勇者として大成する前。魔の軍勢の最盛期、人類の生存権が縮小し続けた暗黒期において、滅びに抗えず無気力になった者が多数いた。
数多の英雄が、賢者が、騎士が、そして王が倒れたのだからそれも仕方ない時代ではあった。まさしく絶望の真っただ中において、マックスの父はありふれた男の一人だったというだけの話だ。
しかし若き日のマックスはそれが我慢できず、父を蹴飛ばすようにして家を出ていた。
「親父め……せめて青空になってから死にやがれ。俺が言えたことじゃないだろうが……」
マックスは自分の指にある、大きな青い宝石が付いた指輪を見ながらぽつりと呟く。
マックスの父は勇者パーティーが大魔神王を打ち倒す前に無気力が原因で命を落としており、最後の言葉を交わすことができなかった。
そしてマックスは、父が無気力で亡くなった一因に、自分が家を飛び出したことも含まれていると考えて、今まで父の墓に行くことができなかった。
罪悪感からの考え過ぎである。マックスが大人しくしていようと彼の父は同じ時期に死去していたであろうし、なによりマックスが飛び出していなければリン王国は滅んでいた。
「年寄りになったら気楽になれるもんだと思ってたんだがなあ」
昔から変化をしない指輪から目を離したマックスは、変わり果てた皺だらけの腕を見ながら嘆息する。
先ほどから彼が困り果てたような言葉を漏らすのは、身内からそろそろ父の墓参りでもどうだと手紙が送られてきたからだ。
確かにフェアド達の誘いで世話になった者に最後の挨拶をしようと思ってはいたが、父の墓はそこに含まれておらず、マックスは途方に暮れることになった。
「ふうう……」
頭が茹ってきたように思えたマックスは、椅子から立ち上がると店の外に出て空を見上げた。
そこには煌めく星々と暗黒ではない澄み切った夜の黒がある。これもまたマックス達が取り戻したものだ。
「ちょっと散歩するか」
丁度店を閉める時間帯ではあったが、マックスは普段なら絶対しない夜の街で散歩をしようと思い立った。
ただこの迷宮都市の夜は、酔った冒険者が騒ぎを起こさないように衛兵や騎士が総出で目を光らせているので、大通りに限ったら朝も夜も治安が変わらないと皮肉られていた。
「はははははは!」
「あっはっはっはっはっ!」
酒場から聞こえてくる冒険者と思わしき笑い声を聞きながら、マックスはとぼとぼと大通りの隅っこを歩いていく。
その様子は命ある者のために戦った英雄ではなく、若者の服装を無理に身に着けたものの、賑やかな現代に適応できていない老人であるかのようだった。
一方、かつてではなく今の象徴がこの街に多数いる。
「おっと。ケビン、少し寄れ。下層巡りの連中だ」
「なに? 本当だ……」
道を堂々と歩く煌びやかな集団が現れると、大通りがざわつく。
複数の戦士、魔法使い、僧侶で構成された冒険者の基本ともいえる一団は、全員が三十代でまさに冒険者として働き盛りだ。
そんな彼らが場をざわめかせている原因は、一般に下層巡りと呼ばれ迷宮下層を主戦場にするトップ冒険者だからだ。
数々の魔法によって強化された武具、極めて高い身体能力と戦う術、迷宮で戦うための知識。それらを高度に身に着け、生きて迷宮の下層を巡れる冒険者は一握りしか存在せず、手に入れた名誉と財宝は誰もが羨み、そして畏敬することになる。
だがマックスには全く関係ないことで、彼はちらりと下層巡りの冒険者を一目見ただけだし、その冒険者達に至っては隅にいるマックスを認識してすらいない。
文字通り住む世界が違う栄達者の下層巡りは、いちいち無関係な他人を認識していたら生活ができないほど、多種多様な者が関わろうとしてくるのだから当然だろう。
「あのパーティー“栄光への導き”だろ? 最下層にいたドラゴンを殺したとか、もう人間じゃねえ」
「言えてる。あ、あれが噂に聞く折れた牙を象ったペンダントじゃね? ドラゴン殺しに送られるやつだ。この街じゃ初めてとか聞いたな」
「ん。俺も見えた。でもドラゴンの討伐は複数のパーティーと共同だったみたいだぞ」
「それでもヤバいのに変わりないだろ」
とぼとぼと歩くマックスの意識が、冒険者の雑談に向けられたがそれだけだ。彼はざわめく場から去り夜の冷たい空気を吸う。
そしてまた歩き続ける。
「あれ? お爺さんどうしました?」
歩いてしばらく。
そんなマックス、というか夜に出歩いている老人を見かねたのか、二十歳になるかならないかの若い青年が声をかけた。
柔和な上に中々の美男子で、わざとらしいまでに染めたマックスの髪が遠く及ばないほど、美しい金髪が夜でも輝き、青い瞳もまた煌めいていた。
しかし、見るものが見れば彼が身に纏っている革鎧や剣が一級品どころか、高位の冒険者でもそうそう手に入れることができない凄まじいものだと見抜いただろう。
それは彼だけではない。
常人では身動きもできないような立派な黒い鎧を着こみ、身の丈もありそうな剣を背負っている者。
あどけない顔立ちながら迷宮産らしい高位の司祭服のようなものを身に纏い、強い力を感じさせる杖を持っている少女とも女性ともいえる年頃の女。
目つきが鋭く長身で、そこらの娼婦顔負けのスタイルと美貌を持ちながら短剣を隠し持っている女。
マックスに興味がなさそうに無表情でありながら、じっと観察している弓筒と弓を背負っている女。
その全員が強い力と武具を身に着けており、首から折れた牙を象ったペンダントを首から提げていた。
「ああいやいや! ちょっと散歩をしようと思いましてね!」
(この歳で最上位の冒険者だあ? フェアドよりよっぽど勇者してるのが似合ってそうだなおい)
ドラゴンの牙を折ったことを意味するペンダントを、青年や少女すら身に着けていることを確認したマックスは、相手が若いくせに最上位の冒険者であると察した。そして悪ガキだったフェアドより、よっぽど勇者をしてそうな青年だと評する。
「こんな時間に散歩ですか?」
「この歳になると考えることが色々あるんですよ。それでちょっと気分転換に散歩をしてたんですが……まあ仰る通り時間があれですね」
九十歳の爺が夜に散歩をしていたことを不思議がっている青年に、マックスは年寄りには色々あるのだと説明した。
「ところでそのペンダント、迷宮でドラゴンを打ち倒されたのですか?」
「はい。といっても迷宮産のドラゴンは、本物のドラゴンに比べて子供みたいなものらしいですけど。それでペンダントはその、殆ど強制みたいでして……」
「なるほど」
(若いなあ)
話題を変えるようにマックスは、青年達が身に着けているドラゴンを打ち倒した証について質問する。だが青年はどうも、自分の成し遂げたことを見せびらかすことに抵抗があるらしく、マックスはそれもまた若さかと一人納得していた。
「テオ、成果はきちんと誇れ。確かに迷宮産のドラゴンは本物に劣っていると言われるが、誇大はともかく実績はちゃんと見せる業界だ」
「分かってるよフレヤ」
(その鎧も女かーい)
くぐもった声が大鎧の中から女の声が発せられると、青年テオは不承不承といった表情を見せながら頷いた。
「いやあ、私も昔はドラゴンの相手に死闘を繰り広げたものです。こう、空を飛びまわって大立ち回りを」
(これは逃げるが勝ちだ)
どうも色々と尖ったパーティーであると察したマックスは、これ以上関わったらダメージを受けてしまいかねないと判断した。
そして変わり者の老人を演じて逃げようとしたのだが……。
「え!? 本当ですか!?」
(食いついてくるんかーい!)
テオは大真面目に捉えてしまったようで目を輝かせているではないか。
(ちょっと助けて! 俺そろそろ帰ろうと思ってたんだよ!)
まさかの反応に困ったマックスは、テオの仲間の女性陣に意味ありげな視線を向けて脱出を図ろうとした。
「テオ、あまり長く引き留めるものではないと思います!」
意図が伝わったようでマックスと目が合った聖職者らしい少女がテオを引き留めてくれた。
「では私はこれで失礼しますね」
(ナイスだ! そのまま宿に帰っていちゃついていいぞ!)
マックスはこの機を逃さず、テオの反応が返ってくる前に離脱することに成功した。碌でもない捨て台詞を心の中で発しながら。
「あ、行っちゃった。空を飛びまわって大立ち回りってどうやったんだろう。飛行魔法かな? ミア、高度な飛行魔法なら、ドラゴンの気を逸らすこともできると思う?」
「可能性としてはあると思いますよ! 大戦中に対ドラゴンを念頭にした飛行部隊があったと聞いています! でも、生存率はかなり低かったみたいなので、本人が経験したお話かは分かりませんけど!」
「大戦を経験してるっぽい外見のお年寄りだから可能性はあると思ったけど、嘘だったのかなあ?」
「どうでしょうね! でもお年寄りの武勇伝は話半分でちょうどいいとは教えられています!」
「ああ、確かによくそう言われてるね。僕も覚えがある。お婆ちゃんはお爺ちゃんの武勇伝を信じて結婚したけど失敗したって言ってた。まあそれも嘘っていうか照れ隠しみたいなもんだったけど」
テオは司祭服を着ている少女、ミアと武勇伝を語った老人について話し合う。だが二人とも、あくまで先ほどの老人の話が本当だったとしても、ドラゴンの気を逸らすために活躍していた前提で話をしていた。
それはテオの仲間達も変わらない。
「可能性はゼロではないだろう」
「そうだな」
「ん」
鎧からのくぐもった声に長身の女も同意して、無表情な女も小さく頷いた。
「ふうい」
帰路の最中、流れてもいない汗を拭う仕草をするマックス。
人生そのものが擬態や欺瞞の男は、誰が観察してもまるで時代に取り残されたような老人にしか見えなかった。




