人生
サザキとララが武器を見に行ったので、フェアド、エルリカ、シュタインだけが宿屋へ戻るため、夜の迷宮都市を歩く。
まだ冒険者は酒を飲み始めたばかりであることから、わざわざ年寄りの集団に突っかかるものもおらず、特に騒ぎらしい騒ぎもない。
ただ、シュタインの鋭敏な感覚はなにかを捉えているようだ。
「うむ。やはり見事な筋肉の気配が街中からするな」
「前から思っておったんだが、どうやってその街中の筋肉の気配とやらを察知できておるんじゃ?」
「筋肉に耳を傾けろ。そうすればお前とエルリカもできる」
「その信頼に応えることはできそうにないわい」
尤もシュタインは、常人が理解すれば正気を失ってしまいそうななにかを捉えているようで、それをフェアド達も理解できるようになると力説していた。
「言っておくが俺は大真面目に言っているぞ。自分の精神と体に向き合えば、相手のそれに向き合うことができる。つまり自分の筋肉に向き合いさえすれば、他の筋肉の波動を感じることも容易い。これぞ一心同体ならぬ一筋同体」
「そんなことはないじゃろう。のう婆さんや」
なおも繰り広げられるシュタインの力説に、フェアドは殆ど取り合わずエルリカに話を振った。
ところがである。
「……」
「あ、あれ? エ、エルリカ?」
「広義的には……そういう考えもあるには……ある……かもしれません……主にモンクを抱える教団とかは……」
「え?」
皺だらけの顔を困ったように歪めているエルリカの言葉に、フェアドはポカンとしてしまう。
脳筋の意見を妻が肯定してしまったことで、脳が理解を拒んだのかもしれない。
「どうやらエルリカは理解しているらしい」
「いえ、あくまで超々広義的な話ですから……」
「ならば完全に否定できるか?」
「それは……なんとも。ほんの少し、ええ、本当に少しだけならそうなのかもしれませんが……」
うんうんと頷くシュタインに引っ張られているのではなく、エルリカも本当に僅かながら彼の理論を肯定してしまう。
「ほっほっほっ。賑やかな街じゃのう婆さんや」
「そうですねえお爺さん」
これ以上は正気を失ってしまうと判断したフェアドは、何事もなかったかのように冒険者が酒を飲み始めた街を眺め、エルリカも話を打ち切って同意した。
「ところで、宿に戻ったら聞きたいことがある」
「ふむ。分かったぞい」
「分かりました」
シュタインもまた話題を変えるつもりのようだが、フェアドはその声が妙に気負っていると感じた。
(なんだかんだで昔から一番生真面目な男だからな)
フェアドは半裸のモンクが、昔から仲間内で最も生真面目だと思っていた。
七十年前からサザキは飄々としているし、ララは達観しているため少し違う。エルリカの若い頃は真面目というか、硬直した使命感で動いていたから彼女も少々違う。
後はマックスが妙なところで責任感が強いものの、その責任のないところでは行動がふらふらし過ぎているため、一番生真面目なのはシュタインだという評価に落ち着く。
これはフェアドだけではなく、シュタイン以外の全員が同じ意見を持っているだろう。
(また聞かなければならない)
そのシュタインは葛藤を感じながらも行動に移す。
どうしても仲間として、今のフェアドとエルリカの考えを知らなければならないと思ったから。
◆
「それで、なんじゃ?」
宿に戻ったフェアドは、部屋の中でシュタインを促す。
「後悔はなかったか?」
常人では意味が分からない問いだ。
しかし、シュタインは何度かこの問いをしており、フェアドの答えも簡潔で変わらなかった。
「ない」
最早名実、そして命と共に完全な過去の存在になりかけている勇者が、なんの気負いもなく断言した。
かつての大戦が終戦した後、勇者フェアドは大魔神王を打倒した肉体的な後遺症と言えるもののせいで、人生の大半を人里離れた山で暮らさざるを得なかった。
その後遺症は凄まじく、サザキやシュタインのような関係者でも偶にしか訪れることができなかったほどだ。
言い換えればフェアドは、自分の人生の大半と引き換えに大魔神王討伐を選んだと言っていい。
だから……。
「明日のために、明後日のために、未来のために戦ってなにを後悔する」
「命ある者が生きるために戦ってなにを後悔する」
「誰かの親のために、友のために、恋人のために、子のために戦ってなにを後悔する」
「明日が明日来る当たり前のために戦ってなにを後悔する」
「誰もが夢見た青空を取り戻してなにを後悔する」
だからこそ、そこに。
「たかが儂の人生。比較する意味すらない」
フェアド個人の後悔はなかった。
だが彼も人間である。
「しかし……エルリカと息子が儂に付き合わうことになったのは……」
「何度でも言いますけれど、私も後悔なんてしていませんよ。それにあの子も分かってくれています」
「そうか……」
妻と子が世界を救った代償に付き合う羽目になったことは申し訳なく思っていた。しかし、そんな夫に妻は柔らかく微笑む。
完璧な人間などいないように、完璧な勇者などいないのだ。そんなことはエルリカも知っているし、彼女もまた完璧とは程遠い。
英雄の道は若い頃に終えたかもしれない。だが人間としての、夫婦の道はデコボコだらけで今まで続いているのだ。
「……分かった」
そんな老夫婦の思いに、シュタインは心の底から敬服した。




