道なき道の力 無波のモンク
ちょっと遅くなりました。
皆様変わらずの評価、本当にありがとうございます!
「モー」
「モー」
「コッコッコッ」
牛や鶏の鳴き声が青空に吸い込まれていく。
長閑だ。長閑なはずだ。
ライムという街は付近を広大な草原で囲まれており、それを活かした畜産業と商人達の活動で発展してきた。しかし、街の中で大地の轟教のモンク達が妙に慌ただしく動き回っている。
「由々しき事態だ」
ライムの外ある神殿の最奥で、床に座った齢八十を超えながら巌のようなモンク、ルッツが重々しく呟いた。
「一人で神地にあるモンクの修練場を落とす死波の使い手ともなれば、道理や倫理も無きに等しい。しかもそれが八十か九十歳を超えているとなれば、最早理性があるかも疑わしい獣だ」
ライムの街からほど近い神地に存在したモンクの修練場が壊滅した一報は、僅かな生存者がいたことで詳細なことが分かっている。
犯人の顔年齢は非常に高齢で八十歳か九十歳ほど。それなのに体の方は筋骨隆々で、通常の人が遥かに見上げるほど大柄。明らかに死波の使い手で黒い波動を身に纏っているなど。
ここで問題なのは死波は使えば使うほど狂気に浸食されてしまい、より手が付けられなくなってしまうことだ。つまり顔の年齢が九十であることを考えると、恐ろしいまでに死波の力を宿している可能性が高かった。
「万が一同門だった場合でも必ず殺さなければならん。いや、同門ならば尚の事だ」
邪道に染まり死を振りまくなど、もし一門から出してしまえば恥どころの話ではない。狂拳の抹殺は使命だった。
◆
話をライムの街に戻す。周辺では貴族が食するための特別な家畜も飼育されており、生きている財産に邪な考えを抱く不届き者がいないかと、衛兵達は日々目を光らせていた。
「ちょっとお話を聞かせてください」
現に今もライムの新人衛兵エドワードが、明らかな不審者に声をかけていた。
「私ですか?」
不審者が惚けても無駄である。
九十代男性。光っている頭部。日に焼けた皺だらけの肌。灰色の瞳。平均的な身長のエドワードが僅かに見上げる身長で、全身の肉体が枯れ木のような老人は、言葉通りどこからどう見ても不審者である。
そう、エドワードが不審者の全身の肉体を把握できているということはつまり……。
「服はどうされました?」
この不審者、いや、露出魔は腰に布を巻き付けているだけなのだ。
「ひょっとして北方の蛮族出身ですか?」
「筋肉?」
「ん、く、しか合っていません」
「確かに筋族です」
「一文字違いになりましたがそんな部族、聞いたこともないです」
(参ったな。年寄りだから話が通じないぞ)
エドワードはその老人が、蛮勇を誇って自らを蛮族と呼称する一部の部族出身かと考えた。男ならバーバリアン、女ならアマゾネスと区別される蛮族は、最低限の衣服か毛皮を身に纏って伝統的な紋様を肌に描くので、露出が激しいことで知られている。
そのためエドワードは老人が蛮族出身かと思ったが、帰ってきた返答は頓珍漢なものであり、年齢のせいでまともな受け答えができなくなっていると判断した。
「聖印がないから轟く大地教のモンク様ではないしなあ……」
もう一点だけ可能性があるとすれば、それはライムの街から少々離れた場所に存在する、轟く大地教の神殿からやってきたモンクだ。
若い修行中のモンクは常に体温が高いため、世間の目を気にせず少々衣服を軽視する傾向があり、街に生活必需品を買いに来る者は軽装であることが多い。
しかしそれなら、轟く大地教の所属であることを示す聖印がどこかにあるはずだし、世間の目を気にしないような若さもこの老人にはない。
「私は修道士ではありませんが、強いて言うなら自分の筋肉を信仰しています」
「は、はあ……その、一応街中ですので服を着ていただけませんか?」
「それはちょっと……筋肉の問題でできないのですよ」
「すいませんもう一度お願いできませんか?」
「筋肉の問題で服を着ることができないのです」
「は、はあ……」
エドワードは心底困り果てた。単に服を着て露出をやめてくれと頼んでいるだけなのに、返ってくる返答が必ず筋肉なのだ。
これが二百年前なら半裸の男達は珍しくもなかったが、時代と文化が変わり公共の場で必要以上に肌を見せつけることはなくなっている。
だが単に半裸状態は犯罪ではないため、エドワードは老人に対してお願い以上のことをすることができないから困りに困った。
「もうご高齢のようですし、風邪などで命を落としてしまいますよ」
「ご心配ありがとうございます。ですが十代の頃からずっとこれで、風邪とは縁がありません」
「はあ……」
それでもエドワードは常識的な切り口で突破口を開こうとしたが、返ってきた返答はやはり常識を疑ってしまうものだ。
老人の言葉が正しければ、エドワードが生まれる遥か前からずっと半裸ということになる。
「逆に尋ねて申し訳ないのですが、街でよく見かけている轟く大地教のモンクの皆さんが、今日は妙に慌ただしいことが気になりまして。何かご存じではないですか?」
「自分も気になってたんですが、下っ端なもので特に連絡も受けていませんね。って雨?」
老人は気になっていたことを尋ねたが、モンクが慌てている理由など下っ端のエドワードが知る筈もない。それに急にポツリと雨が降り始めたことで、エドワードの意識は完全に空へ向かう。
「本格的に降り出す前に家まで送っていきますよ」
「送って……?」
エドワードの提案で初めて老人が筋肉以外から離れた。
「ええ。さあ、降り出す前に」
「それは、ありがとうございます」
有無を言わさず促すエドワードを伴って、老人は自分が宿泊している宿屋に歩み始めた。
「衛兵になられたのは最近ですかな?」
「ええ。隣町で衛兵になりましてね。ちょっとライムの街の人手が足りないということで、ついこの前こちらにやってきました」
「なるほど」
エドワードに付き添われた老人が話しかけると、ちょっとした身の上話になった。
「冒険者といったものはどうでした?」
老人がある意味で花形の職業を口にする。
善なる神々が残した試練とも、悪なる神達が作り出した罠ともいわれる迷宮、別名ダンジョンは、その内部に数多の怪物達と共に秘宝が得られることで知られている。その迷宮に挑む冒険者と呼ばれる者達は、富や秘宝を持ち帰り、名誉と栄光を手に入れることが可能な、若い者達なら多くが憧れる職業だ。
「子供の時は冒険者になりたいと思いましたが……若造の思い込みですけど街を守るんだと考え始めてですね」
「なるほどなるほど」
「お爺さんの若いころはどうでした?」
「はははははは。八十年以上前になりますが、少し人と違ったことをしたいとは思いましたね」
「違ったことですか」
「ええ。違ったことです」
そんな冒険者より衛兵を志すようになったエドワードと老人の会話は続いた。
「ここです。ここに泊まっています。ただいま戻りました」
「ああお帰りなさい」
そうこう言っているうちに小さな宿屋にたどり着いた老人は、外で掃除をしていた腰の曲がった老婆に挨拶をする。
「では自分はこれで」
「ご親切にありがとうございました」
「いえいえ。では」
老婆が老人との面識があることを確認したエドワードは、ここが宿泊先なのは間違いないと判断してこの場を後にする。
「貴方を心配してですか。親切な方ですねえ」
「昔も今もいい意味で変わりがないのかもしれません。友人を思い出しました」
エドワードの背を見ながら、老婆と老人がそう口にしていた。
「いや……悪い意味で変わり果てた者もいるかもしれません。多分ですがね」
そして老人がそう付け足した。
◆
◆
◆
◆
九十歳を超えながら筋骨隆々の大男から、真昼間を暗くするほどの狂乱と死が噴出する。
七十年前の大戦時は愚かにも生命と光の道こそが正しいと妄信していた。
しかし生波を極めることができず次第に衰えていく力に絶望した。
だから力を求めて死波に手を出し……。
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
このざまだ。
濁った瞳と流れ出る涎、意味のない雄叫びは、大男に最早理性らしい理性がないことを示している。それなのに体に染みついたモンクの技は消え去っておらず、モンクの修練場を破壊しつくしたのだから、危険極まる存在と化していた。
そんな理性が消え失せた狂拳は道なき道を走り続けた結果空腹を覚え、大きな肉の存在を見つけた。放牧されている牛、羊など狂拳からすればご馳走も同然。
すぐさま屠畜して齧り付こうとした。
が。
その前に牛乳と鶏の肉を直接牧場に買いに来ていた、枯れ木のような半裸の老人が立ち塞がった。
老人は狂拳の正体が、かつての大戦に参加していたモンクであることに気が付いたが無言である。千歩の距離でも既に殺しの場であり、必要な動作ではないのだ。
「があああああああああああああああああああ!」
狂拳が吠え、死波を放出しながら走る。その姿はまるで黒い迅雷。
異様な密度の死波は半ば物質化してしまい、狂拳の体を肥大化させて異様な大男に仕立て上げる。地に拳が当たれば大地が粉微塵に砕け、天に当たればそのまま空を砕きかねないほどだ。
もしこれに生波を極め切った達人が相対するなら、黒き雷に白き太陽がぶつかることになるだろう。
そして狂拳は瞬く間に距離を詰めると、異常発達して老人の上半身を覆ってしまえそうな程に巨大な拳を突き出し、辺りに紫電をまき散らす。その姿はまるで。
死体だった。
屈強なる拳から放たれた破壊の一撃は、ほんの少しも枯れ木に触れていない。
迅雷のよう。全てを粉砕する。
言葉遊びに誰が付き合う。
当たらないものに意味などない。
来ると分かっているものに誰が当たる。
生命の波動と死の波動。正の道と邪の道。光の力と闇の力。そして神への信仰。
三百年前にモンクの道を切り開いた偉大なる者達は、信仰と命、宗派を守るための光の力であると自称し、そこから派生した殺し技術は自らを死の闇と称えた。
否定するつもりはない。
だが。
窮屈ではないか。どこまでも飛び上がれるのに、定められた生死の道だけを歩むのは。
そう思いつつも、生と死の道をきちんと極めていないまま、理解していないままなのは視野が狭いと言わざるを得ないと判断した。
だからこそ生波も死波も身に修めた。
命の尊さを理解した。
弱肉強食の掟を理解した。
その上で、誰も歩まなかった道に踏み入れた。
善悪すらないあまりにも純粋な、混じり気のない力の道へ。
だからこそ色合いのない力は、光り輝いたり黒き雷をまき散らしたりはしない。
狂拳を躱した老人の手、枯れ木のように見えてその実は超圧縮された筋力によって、ただ力のまま、ただただ真っすぐな拳となって胸に突き刺さる。
そこに胸郭をぶち破り血をまき散らすようなものはない。
必要な分の力として狂拳の命の鼓動を止めた。
「大戦中に覚えがある。雷の雲教のモンクだったか」
変わり果てた狂拳の死体を前に老人がポツリと溢す。
この老人こそが轟く大地教、そしてモンクの開祖の一人アルベールが未練を残している原因。
神を敬わず、己の道を歩み続ける者。
かつての勇者パーティー所属、“無波”のシュタインだった。
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