モンク
闘気がぶつかり川が波打つ。
鳥が一斉に飛び立ち、魚は逃げまどい、意思なき虫すらも避難する。
半身で構える二人のモンク。枯れ木のような半裸の老人と、巌のような浅黒い老人。
勇者パーティーのシュタインと、七十年の修練を積んだ元モンク殺し黒煙の比武など、全財産を差し出すから見せてくれと願う者が多々いるだろう。
リン王国の武芸者大会に出場した選手、戦神、ドラゴン、サザキの弟子すら例外ではないが、それを見届けているのはたった一人の少年だった。
黒煙が緩やかに動いた。
「っ⁉」
息をのむサイラス少年の前で、死波を宿した黒煙がなんの予備動作もなく、発する意識の起こりもなく、ただ緩やかに拳を一直線に走らせる。
その速度は子供が戯れているかのような遅さで、街の酔っ払いでも虫を払うような動作で防げるだろう。
実際、生波を宿したシュタインは黒煙の拳の横に掌を押し当て、いとも容易く軌道を逸らした。
逆に今度はシュタインがゆっくりと拳を放つが、珍しいことに死波を宿しており、四肢には破壊の力が宿っている。
その破壊は黒煙に近づくと、モンクとなった精霊の肉体は先程と真逆の生波を宿し、手刀をシュタインの拳。もっと言えば小指に叩きつけた。
全ての動作が酷くゆっくりで遊んでいるように見えたが、見えざる領域では死と生の力がぶつかり合うのではなく中和されるように霧散し、本来の力を発揮できていなかった。
身内から出た恥である、死波に落ちた者を消すための超特殊な粛清担当のモンクたちすら、机上の理論でしか知らないことだが、極め切った死と生の波動は打ち消し合うことがある。
これが同じ肉体で練られたなら、無という新たな道が開かれるものの、そのような考えを持たないモンクと落ちたモンクでは、通常とは少々違う戦い方をしなければならない。
「ぬぅんっ!」
「はっ!」
黒煙が最初と同じ軌道の拳を放ち、シュタインも同じようにそれをいなす。
違う点があるとすれば速度だ。
一瞬で死波を練った黒煙の拳を、シュタインは生波で保護した掌で軌道を変えた。
気の練り。拳の動き。いなす対応速度。その全てが瞬きの間に起こったことで、並みの達人では訳も分からず打ち倒されるだろう。
「はっ!」
「ぬりゃあ!」
一連の動きのまま、シュタインが死波に切り替えて正拳突きを放つと、逆に生波に切り替えた黒煙が手刀で弾く。
「はあっ!」
「かぁっ!」
両者の正拳突きが奔った。
互いに生波を纏わした拳は直撃……することなく、奇妙な表現だが柔らかい空気の層を間に挟んだかのように止まる。
次は足が動いた。
弧を描くような足には死波が宿り、激突すると今度は硬いものが衝突した甲高い音が発生したのに、互いの足は触れていない。
「シャッ!」
黒煙が全身に死波を纏うと、名前通り黒い煙のような物体と化し、四肢の動きが捉えられない存在になる。
その煙がシュタインに近寄ると、伝説のモンクはなんと死波どころか生波すら発動せず、なにも宿していない無風の凪の如き状態で迎え撃つ。
そしてシュタインは襲い掛かる死の波動に身を委ね、同調しながら黒き煙の動きを察知。煙を突き破って振り下ろされた手刀を回避したシュタインは、生波を輝かせて全身の輪郭をあやふやにする。
「オオ!」
これに対し黒煙は同じように受け入れるのではなく、寧ろ死波をぶつけて対処。
それを行なった途端、シュタインの輪郭と動きがはっきりして、黒煙の腹に打ち込まれる寸前の拳も露わになる。
直撃。
拳に宿った生波は黒煙を悶絶。
させることなく、黒煙が腹で練った死波に相殺され、しかも瞬時に一歩下がったことによって、シュタインの拳という無二の武器による被害は最小限で収まった。
まだ終わっていない。
反撃を行なうため黒煙が一歩前に出た直後、気ではなく技術によってゆらりと動いたシュタインが、間合いに潜り込む。
意識と反射の間に滑り込んだような動きのまま、黒煙の足を引っかけようとしたシュタインの行動は、演算世界での黒煙を打倒した時のより更に柔らかく、そして鋭い。
だが黒煙の一歩踏み出そうとする動きそのものが誘いだった。
足を引っかけられそうになった黒煙もまた理合いの術でシュタインを転ばそうとして、凡人が見ればシュタインと黒煙の足先が触れ合っただけで何も起こらない奇妙な膠着が起こった。
「こ、これが……!」
息をするのも忘れて見入っていたサイラスは、かつて黒煙から受けた教えの中に、生波死波のどちらか片方でも極めたモンクがぶつかり合った場合、その力だけでは決定打にならない。だから気の扱い方だけではなく技術と肉体を極めろ。気の扱いだけに長けてモンクの頂に立ったとは名乗るな。心技体と気。全てを身に着けてこそ、真に極めたと言えるのだ。
と語ったことがある。
ただ、これを実演するにはどうしても同じ技量の達人モンクが二人必要で、黒煙は見せてやることが出来なかった。しかし奇跡が起こった。
今まさにサイラスが目撃している物こそ、見せられなかった真の極みだ。
一撃でもまともに受ければ即座に重傷を負うような攻撃の中、寸分も気と肉体の制御を失わず、しかも気が通用しなくとも、鍛えに鍛えた肉体と技術で二人のモンクが渡り合っている。
ちなみにこのサイラスだが、どうせ死波に易々と気が付き勝手に踏み込むから、その前に危険性と使い方を教えるかと判断され習得していた。
単に技術的なものなら、この歳若い天才児は全てを黒煙から受け継いでいる。だから後は、極め切った時の心構えを実演するだけでいいのだ。
「……」
「……」
ぶわりとサイラスの全身から汗が吹き出し総毛立つ。
二人のモンクが全ての気を消し向かい合う。
易々と立ち入った場所は両者必殺の間合いであり、手を伸ばせば簡単に届く位置だ。
ここから命を落とさず逃げ切れるのは極僅かであり、戦神すらも即座に命を奪われるだろう。そんな間合いでシュタインと黒煙が構える。
僅かに腰を落とし、左手は前。右手はつがえられた矢の如し。あまりにも分かりやす過ぎる程に右拳を放つ姿勢だ。
あの日の。七十年前の。伝説として語られる煮え立つ山の決闘と同じ。
頂きと極みの意識と気配が混ざる。
脱力を超え、水のせせらぎと血液が合致し、風と拍動が同調し、足は大地と合一する。
爆発した。
一直線。相手と全く同じ。
あまりにも愚直。あまりにも基礎通り。
捻じった全身の力を余すことなく腕に伝える正拳突き。
「……」
シュタインの拳がぴたりと黒煙の前で止まる。
止めなければ疑う余地なく肋骨を突き破り、黒煙の心臓を止めていた一撃だった。
それと同時に彼は自身の胸に視線を向ける。
黒煙の拳もまた止まってこそいるが、本来なら肋骨に触れていただろう。やろうと思えば焼却の力を宿せる存在の拳がだ。
「……俺の鍛錬も無駄ではなかったらしい」
「鍛えるのに無駄などない」
「ふっ。そうだな」
黒煙の呟きをシュタインが返す。
勿論互いに殺すつもりが無く、無波と焼却の力がぶつかり合ってからが本番なことを考えると、あくまで比武の一環でしかない。
だがそれでも七十年前、指先ほどの距離が足りなかった元モンク殺しは、モンクとなって頂点に届いたのだ。
シュタイン&黒煙編が実質終了! 面白かったと思ってくださったら、ブックマーク、下の☆で評価していただけると作者が泣いて喜びます!




