サイラスの夢
老人達がかつての夢を見ていた頃、サイラス少年が見ていた夢は、たった数年前のものに過ぎなかった。
「お師匠様、自分はモンクとしてどの辺までいけそうですか?」
「ふむ」
サイラスの無邪気な問いに、焼き魚を食べていた師匠が考え込む。
修行中は不愛想極まりなく碌な返事もしない師匠だったが、食事などの限られたタイミングなら割と話をしてくれるため、サイラスは遠慮をせず答えを待った。
「歴代十位以内までは確実にいけるだろう。突き抜けた悪運次第ではそれより上も視野に入る」
「え? 修行とかじゃなくて運ですか? しかも悪運?」
「お前と本気の殺し合いをする達人やら、大戦級の出来事が必要だ。要するに極限状態で磨かれる必要がある」
「大戦って昔に起こった凄い戦いですよね。起こらない方がいいんじゃ」
「だから悪運と言っている。ただし、大戦と変わらない出来事があれば今のお前ではすぐ死ぬ」
親の贔屓目ならぬ師匠の贔屓目なのか。それとも冷静に観察したうえでの結論なのか。
師匠は名だたるモンク達を差し置いて、弟子のサイラスが果てしない山の頂点近くにいけると言ってのけた。
ただ、勇者に至る道と同じように、モンクの山は地獄のような環境で鍛えられる必要があり、今の世界で踏破は難しかった。
「ちなみにモンクで一番強い人は誰なんですか? あ、やっぱりお師匠様?」
「シュタインだ」
サイラスの興味はまだ続きがあったらしく、最強のモンクについても尋ねた。しかし口にした後で、自分が手も足も出ない師匠が一番強いのだと思ったらしい。
それなのに師匠が強い口調で断言したのは、サイラスが知らない名だった。
「シュタインさんですか?」
「モンクを語る上で外せない男だ」
「な、なるほど」
その名について聞こうと思ったサイラスだが、師匠の力が籠った声に押され、詳しく尋ねることが出来なかった。
「さて、修行の続きを始める」
「はいお師匠様!」
食事を終えた子弟は立ち上がると相対する……前に突然サイラスが師匠に襲い掛かった。
サイラスにすれば修行の続きと言われたなら、食事の余韻など必要ないものなのだ。寧ろ即座に拳を振るうのが礼儀で、彼の責務と言ってすらよかった。
「勢いだけで解決できると思うな。意識を消せ。予備動作を見せるな」
「わわ⁉」
ただ師匠に言わせるとまだまだ未熟者の一撃で、簡単にいなせることが出来るものだ。
並みのモンクではまともに受けてしまう筈のサイラスの拳は、師匠の腕にがっちりと掴まれ、その勢いのまま後ろに投げ飛ばされてしまう。
「予備動作は分かりますけど、意識を消すのってどうやるんですか? 生きてる以上、無理だと思うんですけど」
「木の座りと同じだ。最初は瞑想と同じように自然に溶けろ。太陽。水。風。大地。それらの中に混ざれば多少はマシになる。だが不必要な一体化はするな」
危なげなく受け身を取ったサイラスが、師匠の言葉に疑問を覚えたものの、返答はモンクが達人に至る通過点の考えで、並みのモンクならどうすればいいか分からないだろう。
ふとサイラスの気配が霧散した。
太陽の光。命を運ぶ風。絶えず変化する水。世界で最も偉大な大地。
それらと一体化するように気配を混ぜ、再び師匠に対して拳を放つ。
「不必要な一体化とはこれだ」
「ぬわあー⁉」
「受け身を取れなくなるまでに自己を埋没させるな。根元は心技体を揃えたモンクでいろ」
あっさりと無茶な教えに従い、意識が乗っていない一撃を繰り出したサイラスは、再び師匠に投げ飛ばされてしまう。
確かに素晴らしいほど、自然と一体化していたサイラスだが、代わりにモンクの格闘術を後回しにしてしまい、今度は受け身を取れず地面に落下した。
「発展させるとこうなる」
「す、すごいけど変ですお師匠様! 自然と一体化してるのに闘気が溢れ出てるとか、なんか頭がおかしくなりそうなんですけど!」
「来年頃にはできるだろう」
「本当ですか⁉」
大自然に溶け込みながら猛る武の構えを見せた師匠に、無邪気なサイラスが目を輝かせる。
「しかし、先程はよくやった。歳を考えるならこれ以上はない出来だ」
「ありがとうございます!」
師匠の岩のような掌が、サイラスの頭に乗せられた。
この少年は師から冗談なんて聞いたことはなく、武骨な扱いしか受けたことが無い。
ただ、怖いと思ったことはないし、父と呼んだことはないが親に等しいと思っていた。
視点を僅かに変えよう。
(あ、そう言えばお師匠様はどれくらいなんだろう?)
昔の夢を見ていたサイラスは、意識が現実に急浮上しながら、師匠がモンクとしてどれくらいの立ち位置にいるか聞き忘れていたと考えた。
「……よし!」
目が覚めたサイラスは一瞬で体の調子を確認すると体を動かし始め、一息つくと煮え立つ山を走り始めた。
煮え立つ山はモンクの修行場であるため険しいが、平地と変わらないような速度で駆ける。
「おはようございます!」
「おはようございます。少々同行させてください」
「はい! シュタインさん!」
そんなサイラスを見て若者に感化された老人、シュタインが彼の隣に近寄り共に駆ける。
「あれ? シュタインさん? んんんん? お師匠様が言ってましたけど、モンクで一番強い人ですか?」
ここでサイラスは今更ながらシュタインの名を思い出し、首を傾げて尋ねるのであった。




