会談と不世出の天才
「改めて歓迎しよう」
「ありがとうございます」
煮え立つ山の山頂に近い質素な石造りの神殿で、アルベールが改めて勇者パーティーを歓迎していた。
(勇者フェアド……やはりなぜ人間の形を保っているのかがさっぱり分からん。人の光だけでも不可能だと断じるしかないのに、全存在の光? あり得ない。絶対にあり得ない。しかし、だからこそか)
尤もアルベールは、フェアドに対し呆れに近い感情を七十年前からずっと抱いていた。
(神羅万象に宿る生の力を宿して戦うモンク……言葉だけなら匹敵するかもしれんが、実際のところ勇者の光はそんなものを容易くぶち抜いている。そう言えば最初に見た時は、ついに自分も耄碌したかと思ったな)
生波を極めに極めたアルベールだからこそ分かるのだ。
勇者フェアドとは前人未踏どころか全知未踏の領域にいる、完全なる超越者であり、本来なら生きて人の形を保っている筈のない存在なのである。
事実最終決戦におけるフェアドは、体がごっそり抉られようが光で体を完全修復しており、魔法使いや賢者が知れば、人間ではないと断言してくれるだろう。
「中々忙しいようだな」
「ほっほっ。まあ、儂らの宿命とでも言いましょうか。これに関しては諦めております」
再結成された勇者パーティーがあちこちで騒ぎに巻き込まれていることを知っているアルベールが苦笑気味に話すと、これに関しては匙を投げているフェアドが同じく苦笑する。
しかし魔法学園都市で発生した、大魔神王復活の企みはアルベールですら寒気を齎す騒動だった。
(アレに勝てる……か)
大戦の最後、別次元で行われた勇者パーティーと大魔神王の最終決戦は、殆どの存在が感知することが出来なかった。しかしアルベールなどの僅かな存在は超越的な感覚で察知し、よくぞ打倒したと感動を覚える前に、勝った……のか……? と信じることが出来なかった。
大魔神王の気配が弱まりこれは勝てると確信すると、段違いに強化されてまた戦いの波動が届くではないか。しかもそれは第三形態、第四形態まで続き、誰もが心底恐れた大暗黒に幾つもの底があったと思い知らされた。
そんなものを打倒した勇者パーティーは、やはり歴史に刻まれるべき偉業を成し遂げたと評されるに相応しく、アルベールも敬意を抱く。
「隣の大陸に行くと聞いた」
「はい。独り立ちした息子が帰ってこないのはどこも同じでしょうが、孫には久しぶりに会いたいですし、ひ孫の顔も見なければなりませんから」
「向こうではあまり勇者パーティーは知られていないから、気楽かもしれん。いや……まあ、恐らく」
フェアドとエルリカの目的も知っているアルベールは、隣の大陸でならゆっくりできるかもしれないと一瞬だけ考えた。しかしすぐさま、煮え立つ山にも僅かに届く、二人の息子の武勇伝を思い出し、別の意味で有名になるかもしれないと考えた。
(まあ、九十も超えれば勇者、聖女と呼ばれるより、あいつの両親かと言われる方がいいのだろう。しかし、大戦で人々に刻み込まれた恐怖がそれを許してくれない)
アルベールも、もう残り時間が少ないフェアドとエルリカが昔の肩書ではなく、例のあの人間の両親だと呼ばれた方がいいとは思っている。だが長命種も多いこの世界では、七十年前の大戦はついこの前の出来事なのだ。
これでは勇者パーティーを忘れることが出来ず、彼らは生涯、人々の希望の象徴として扱われるだろう。
さて少し話を変えよう。
このように平然を保っているアルベールだが、他のモンクの高弟たちは無理である。
(未熟……)
僅かに汗が背を伝う感触に、高弟は明鏡止水には程遠い自分の未熟を自認するが、それも仕方ない事である。
一塊でいる勇者パーティーは全周囲に欠片も隙が無い間合いを展開しており、前線要員ではないララの隣に突然敵が現れても誰か。特にサザキが真っ先に対応するだろう。ついでに言うと擬態しているエルリカも一応間合いの内に存在しており、酷い罠が形成されていた。
実際、大戦初期はこの罠に騙される者が多々存在しているため、かなり有効だった。流石に大魔神王の軍勢すら、司祭服を着て、少女で、聖女と呼ばれている存在が、殺しの技を極めているとは夢にも思わなかったのだ。
しかも、最後のエアハードも揃ったことで完璧な体制となっており、これをどうにかしようと思ったなら、最盛期の大魔神王を引っ張り出すしかない。
(比武をお願いできないだろうか……)
流石だ。
高弟たちは勇者パーティーと絶望的な差があることを分かっていながら、それでも武人としての見識を広めたがっている。
ただこの勇者パーティー、技術的に危険だったり再現不可能、もしくは表に出せない類の能力ばかりで、モンクが参考に出来るのはサザキと、生波を使う状態のシュタインだけだ。
(しかし……暗黒騎士エアハードに対してはどうすれば?)
ここで高弟たちは、命ある者達の中でもかなり異端な存在に頭を悩ませた。
(暗黒は死波に近しいのだが……今更か)
真なる闇や深淵に近しい暗黒は、基本的に死波と同じく、命ある者が触れてはならない力だとされている。
だが面白いことにこの暗黒、伝説では常に破壊や殺戮をまき散らしている割に詳細があやふやで、人が扱おうと思ってもうんともすんとも言わず、一握りの天才がようやく形だけ操作できるといったものだ。
そのため一部の専門家や魔法使いは、暗黒に由来する伝承は大げさに伝わっただけと判断しており、大戦中にエアハードが振るっている力も暗黒ではないと誤認されていた程だ。
そして死波を禁忌として扱っているモンクにとって、それに近しい暗黒は扱いに困るのだが、死波に手を出して無の道に足を踏み入れた同門が帰って来たので、今更と言えば今更だった。
(シュタイン……)
その今更を高弟たちは見る。
すぐ下の弟弟子、兄弟子、更にほぼ同年代の彼らもまた、大戦前はシュタインを不世出の大天才にして、モンクという言葉がそのまま形になった男だと思っていた。
一を聞いて十を知るどころではない。元々知っていたかのように生波の道を歩み続け、ひょっとするとアルベールすら到達できていない頂に辿り着くのではないかと思う者も多かった。
(無波……普通そんなことを考えるか? 両手だけではなく腹からも手が出ていると言うようなものだ)
尤もその期待や羨望は斜め上をすっ飛んでしまった。
死波に手を出すのは堕ちたモンクが辿る典型的な道だが、その両者は真逆だと誰もが、それこそ堕ちたモンクすらも思っていた。
それをこの二つは表裏一体で、しかも極めると新たな道が見つかると言い出す者がいるとすれば、正気ではないと断言されるだろう。
アルベールすらもこれ以上の素質は存在しないと断言したシュタインがそんなことを言い出したせいで、話はややこしくなってしまったが。
歴史を紐解けば、生波を極めたモンクは数多く、死波を極めた堕ちたモンクもいる。その彼らがこの先は無いと結論付けたのに、持論を展開して実際に辿り着いてしまったシュタインは、伝統の破壊者でもあったのだ。
(誰も真似できないが)
高弟たちはよく分かっているらしい。
生波を極めるのに生涯を費やす必要があるのに、そこから更に破壊衝動を招く死波を完全に習得し、更に更に無の道を踏破しようとするなら、単純計算で人生が三回分必要だ。
いや、無の道はシュタイン単独で切り拓いたもので、技術的な教えや取っ掛かりがない、まさしく真っ新で完全に無な状態だったことを考えると、三回どころか百回あっても怪しい。
それを大魔神王討伐時には完全に完成させていたのだから、やはりシュタインがモンクにとって最高・頂点という評価は正しいものだ。
(恐らくシュタインの死後、無の道は閉ざされる)
高弟たちは彼らの中での事実を思う。
シュタインは確かに無の道を拓いた。しかし後に続く者が現れない程に道は険しく危険で、失伝するのが確定しているようなものだった。
残念ではある。あるのだが、客観的な事実としてただでさえ危険な死波を超え、無の力を習得するのは危険だった。
「各地のモンクが集まっているから少々騒がしいかもしれんが、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます」
そんな高弟たちが考え込んでいる間もアルベールとフェアドの話は続き、勇者パーティーと里帰りしたシュタインは、少々煮え立つ山に滞在することになった。
-どこで死波を身に着けた⁉ いや、独力だな⁉ お前の力量で! 才で! 死波に手を出せばどうなると思っている! それにまさかあの力、生と死を混合したものか⁉-
-師よ、束ねた新たな力が必要なのです-
煮え立つ山決戦後、互いに正論を言い合うとある親子の喧嘩