シュタインの大戦
「ところであの少年は弟子か?」
煮え立つ山を登るアルベールは、最後尾を歩く将来有望そうな青年、サイラスに興味を持ったようで、隣を歩く愛弟子に尋ねた。
アルベールはサイラスを一目見ただけで、数々の流派を習得していることを察したのだが、教えられるモンクはごく限られている。
「いえ、煮え立つ山に向かっている途中に会いました。流派も師の名前も教えられていないようです」
「なに? 今時そのようなモンクが?」
だがその予想はシュタインに否定され、新たな疑問が湧き上がった。
「大戦前はそこそこいたと聞いています」
「ああ。最初の五人の内の一人、オリスがそういった考えだった。態々敵に情報を与える必要性を感じなかったらしい」
シュタインの言葉でアルベールは同胞を思い出した。
モンクの流派はアルベールだけが生み出したものではない。彼を含めた最初の五人、始まりの五人と呼ばれるモンク達が共に競い合い、昇華していったものなのだ。しかし、ある時点で彼ら全員が異なる考えを持ち、それぞれの道を歩む。
更にその中でもオリスという名のモンクは、かなり極端な思想を持っているようだ。
「ご存命ですか?」
「死んだという話は聞いていないし、確かに奴なら数多くの流派を教えることも出来るだろう。問題があるとすれば、顔や瞳の色、髪をころころ変えていたから、あの少年に尋ねても意味がないことか」
「そこまでやるとは」
「うむ。まあ、顔が売れて戦う前から警戒されるくらいなら、覇気の無い男の顔を選ぶというオリスの考えも一定の支持はされるだろう。しかし、年に五、六回も顔が変わるのはやり過ぎだ」
尋ねたシュタインは、偏執的な先人に呆れと感心が入り混じったような思いを抱いた。
理屈としては正しいのだろう。
誰もが知っている強者の顔で戦うよりも、完全に無名な存在の顔で戦った方が不意を打てて有利なのは間違いない。しかし、その理屈を実行してしまうとなれば、極まった変人としか言いようがなかった。
「マックス、お前の先輩がいるみたいだな」
「流石に顔まで変えねえよ」
この会話を聞いていたサザキが酒を飲みながら、名前をしょっちゅう変えていたマックスに話を振ると、彼は両手を大げさに上げて肩を竦めた。
「ちなみにサザキのご意見は?」
「斬りゃ分かる」
「あ、はい。そうですか」
なお続けられたマックスの言葉は、サザキのトンデモ理論を引き出した。
姿を変えている相手に相対するでも、観察するでもなく、そんなものより先に間合いに入れて斬れるか試し、感触を確かめればいいのだ、という理論を。
「えーっと、そうだ。フェアドのご意見……とりあえず真っすぐ突っ込んで後は流れですね。はい」
「ほっほっほっほっ」
マックスが勝手にフェアドの意見を作り出すと、フェアドは異論なく笑った。
極論すれば突撃、攻撃、勝利。を繰り返してきた勇者に、変装して油断を誘う相手への意見を求めたところでまともな意見が返ってくる筈もない。
「少年、私はアルベール。君の名と目的は?」
「サイラスです! 師匠から煮え立つ山で修行して、世界を見て来いと言われました!」
「なるほど、歓迎しよう。期待している」
アルベールはじゃれ合っている者達を気にせず、最後尾にいたサイラスに声をかけた。
不思議なことにそれほど大声ではないアルベールの声は、確かにサイラスまで届き、代わりに元気いっぱいな声が返ってくる。
しかし、モンクの開祖アルベールが、ようやく青年になったばかりの者に期待していると口にするのは珍しく、このひとつ前ですらシュタインを出迎えた八十年以上前の話になる。
「懐かしいか?」
「はい」
アルベールは、サイラスと会話していた僅かな間に、シュタインがどこか遠くを見るような眼差しで煮え立つ山全体を見ていたことに気が付いた。
(大戦は終わったのだ)
シュタインの脳裏に強く刻まれている煮え立つ山の光景は、あまりいいものではなかった。
炎が山全体を包み込んであちこちが爛れ、木々は全てが燃え尽き、誰か判別不可能なまでに炭化した同胞達の死体が溢れていた。
しかし今や煮え立つ山の周囲は元あった自然を取り戻し、シュタインが持っていた幼少期の記憶のような光景になっていた。
(そうか……私の大戦もまた……)
子供が生まれたことでフェアド、エルリカ。サザキとララの大戦は終わった。そしてマックスは家族に再会して区切りを終えた。
それと同じように、故郷に戻ったシュタインもまた、大戦を終えたと言っていいだろう。
神羅万象、万物尽くは不変ではない。
善きを自称した神も、世界の破滅を願った悪神も滅びた。
苛まれ続けブチ切れた大暗黒すらも、世界の光を見届け敗北を認めた。
シュタインの考えもまた変わった。
(空が青い)
シュタインは当たり前なのに、一時はそうでなかった青空。大戦終結の証に近づきながら、砕けなかった世界を踏みしめる。
伝説のモンクは道を違え会わなかった師と再会し、帰れなかった故郷に、今ここにいるのだ。