師と弟子
「懐かしい……」
天を、いや、山を見上げるシュタインがぽつりと声を溢した。
聳える巨大な山は様々な流派のモンク達が集い、あちこちにその拠点が点在している。
そして過酷な環境で木々は途中から途切れているが、代わりにモンク達から発せられる闘気が陽炎のように揺らめき、まるで山全体が煮え滾っているかのようだ。
それこそがモンクの故郷にして大戦時における最重要拠点、煮え立つ山である。
「ここが煮え立つ山! 興奮してきました! 闘気が渦巻いてます!」
サイラス少年も煮え立つ山が発する闘気を感じ取ったのか、目をキラキラさせている。
(やっぱ見どころあるな。この歳で煮え立つ山の闘気を感じて、全くビビってねえなら先が楽しみだ)
このサイラス少年の様子に、数多の弟子を育ててきたサザキが心の中で花丸評価を送る。
もし適性のない者が、なにかの拍子で煮え立つ山で渦巻く闘気を感じてしまえば、足が竦んで動けなくなるだろう。
そんな山全体が発する異様な気を感じて、臆せず感動しているサイラスはやはりただ者ではない。
(ま、こっちに関しちゃどうなるやら)
サザキは酒を飲みながら、とりあえず斬っている自分の間合いを牽制した人物を認識し、殆ど野次馬のような思いを抱いた。
「ええ……こう、お約束ってのがあるだろ。いきなり出てくるのはどうかなーって……」
一行が足を止めると、マックスがそりゃないだろうという思いを込めてしまう。
煮え立つ山の山頂に続く、岩を削り出した階段に腰掛けている男がいた。
若い。
二十代前半だろうか。肩甲骨まで流れる豊かな金の髪は太陽光を反射し、白い肌は生命力に満ちているかのような張りがある。
ただ、閉じている目の形は鋭く、格好は少々奇妙というか、擦り切れた白い布を体に纏っているだけで、引き締まった四肢の大部分は露出していた。
「木の座り⁉ 師匠と同じくらい凄い!」
サイラス少年が中々に聞き捨てならない言葉を発したが、前半部分はその言葉通りだ。
生波を扱うモンクにとって基礎中の基礎である鍛錬、木の座り。それは大自然と一体化するための術だが、極めすぎると自己が霧散してしまう。
だが男は最奥も最奥。神羅万象の中で漂いながらもしっかりとした気を発しており、尋常な存在ではなかった。
そんな男の瞼が持ち上がり、澄んだ空のような青い瞳がシュタインを捉えると、ゆっくり立ち上がり歩き始める。
一方、勇者パーティーの中でシュタインだけが歩みを続け、男との距離を縮めていた。
「いきなり組手が始まる……冗談の類と思っておったんじゃがなあ」
「そうですねえ」
苦笑気味なフェアドとエルリカがサイラスの前に立ち、他の面々もなにかしらの衝撃に備える心構えをした。
「なんだか闘気がないのに、よく分からないのが絡み合ってるんですけど、何が始まるんです⁉」
「何が……どう表現するべきか」
ただならぬ雰囲気に混乱したサイラスが、一番近くで佇んでいる大鎧ことエアハードに尋ねる。
言葉が足りないことが多いものの、妙なところで面倒見がいいこの暗黒騎士は、年若いサイラスを庇うような位置を確保しつつ、相応しい言葉を見つけ出した。
「家族喧嘩? 親子喧嘩? そう言った類だ」
エアハードが表現している間にもシュタインと男の距離は縮まり……とっくに間合いは重なっていた。
男が一歩踏み出す。
緩やかに見えたが、地面に足が接地した瞬間に雷の如きひび割れが発生し、その勢いを宿した拳がシュタインめがけて飛翔した。
美しいと形容するべきだろう。
生命力に溢れた金の髪と肌が輝きながら、極め切った生波を宿しているだけに留まらない。動作の一つ一つ、呼吸すらも完璧な調和の下に置かれており、男が秘めている技量を感じさせた。
それもその筈。
轟く大地教大司祭。モンクの祖。最初の五人。魔人殺し。奈落地割れ。
紛れもなく先駆者にして始まり。
定命の者の枠組みに限定するとはいえ、かつての最強の代名詞の一人。
天拳地蹴のアルベールが現れた。
「……」
一方のシュタインは無言だが、師であるアルベールの求めていることを察して迎え撃つ。
これが長年の感情を込めた一撃ならシュタインは受けなければならなかったが、師が求めているのは別のことだった。
「っ⁉」
「ひょえっ⁉」
アルベールは目を見開き、サイラスは素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
無かったのだ。
シュタインに闘気も、意思も、生も、そして死も。
(たった九十年でよくぞここまで! 生波と死波の両方を極めたことでも不世出の天才と断じるしかないのに、その上を行くか!)
アルベールが驚愕するのも無理はない。
生きるという執着。死ぬという恐れ。
それを捨てるのではなく肯定した上で受け入れ、完全なる無念無想の領域に至っている人間など、想像の埒外にいると言っていい。
そしてアルベールが知っているシュタインは無の道への入り口をこじ開けた七十年前で止まっており、そこからの成長はそれこそ想像の範囲内のものでしかなかった。
「むうっ⁉」
動作全てに意識が乗っていないシュタインにアルベールは対処が出来なかった。
ただ、気が付いた時には拳の勢いを利用されて投げ飛ばされ、弟子と勇者パーティーの間に足から着地した。
「……」
勿論、思わず青空を眺めたアルベールが本気でやればまた違った過程を挟んだだろう。しかしそれでも、モンクの開祖アルベールを投げ飛ばせる存在がどれだけいるというのか。
「……ご無沙汰しておりますアルベール師。ただいま戻りました」
「……ああ。お帰り」
七十年ぶりの再会で、シュタインが帰還を報告すると万感の思いを込めたアルベールが声を振り絞った。
アルベールにすればシュタインは、殆ど懇願するように死波に手を出すなと訴えたのに極め、煮え立つ山を出奔する形で大魔神王討伐に参加した大問題児だった。
しかし未だに轟く大地教にシュタインの籍と席を残しており、途轍もない未練を抱えている愛弟子でもあるのだ。
ここで話が拗れてまた振出しに戻る訳にもいかなかった。
「だがそれはそれ。これはこれ。連絡を寄越せ馬鹿者!」
「ごはっ!」
尤も言いたいことがあったアルベールは、父親代わりとしてシュタインの腹をぶん殴り、こればかりは脳筋も無条件降伏するしかなかった。
「さて、こちらのやり取りに巻き込んで申し訳ないが、ようこそ。歓迎しよう」
「お世話になります」
続いてアルベールは、ほったらかしになっていた勇者パーティーに対して挨拶をしたが、内心では今更勇者パーティーが勢揃いしているのかよと頬が引き攣る思いだった。
それはともかくとして、勇者パーティーはモンクの総本山。煮え立つ山へ足を踏み入れるのであった。