少年の周囲
(我ながら妙なことをした……)
サイラス少年を煮え立つ山に送り、ただ師とだけ呼ばせている岩の如き男が、瞑想を終えて過去を振り返る。
モンクが修行する程に森が深くなく、極稀に猟師が訪れるだけの場所で修行しているのだから、世間一般でいうところの偏屈に相当する男なのだ。普通の子育てが出来る訳もなく、サイラスを森の傍で拾った時は途方に暮れた。
だが驚くべきことに、森の傍で拾われた赤子のサイラスは問題なく成長し、今は煮え立つ山に向かう程の存在と化した。
(普通の村では鬼子と呼ばれる類だ。捨てられた理由も、生まれた時に何かしらの特異があったのだろう)
師がサイラスを見つけた時は、既に捨てられて三日か四日は経っているだろうと思わせる汚れ具合だったが、それでも彼は元気いっぱいに腕を振り回し、乳幼児なのに歯だってきちんと生え揃っていた。
この異様な生命力こそ、赤子が捨てられた原因だと考えた師は、どこか適当な村に放り込んでも同じことが繰り返されると思った。そして見捨てるのは可哀想だと思い、生波の極みとも呼べる技術で生命力を分け与え、何とか育てることが出来た。
(柄にもない事をしたが……なかなかどうして……楽しかった)
青空を見上げた師は表情筋こそピクリとも動かさなかったが、楽しい思い出を振り返る。
モンクの技術を教えれば教えるだけ吸収するサイラスに、師はついついのめり込んでしまい、知っている技術のほぼ全てを教えてしまった。
尤も危険な死波の先に踏み込んだ技術など、今現在のサイラスが持て余すものは教えていないのだが、時が来ればサイラスは勝手に習得するだろうと見ていた。
(遺したかったのかもしれん……)
どうしてそんなことをしたのか、師はきちんと把握していた。
生まれて七十年。いつ生を終えるか分からない時期に達したことで、自分が積み重ねた技術を誰かに受け継いでほしかったのだ。
その通常なら達成できない筈の望みは、サイラスと名付けた少年のお陰で達成され、残すは生を悔いなく終えることだけだ。
(世界を知るがいい未熟者。お前ならいつか無の道にも到達できるだろう)
死期を悟った男は再び瞑想を行い、いつか来るその時を待っていた。
◆
(師は誰だ?)
ところ変わって勇者パーティーが野営している傍。
シュタインは大きな困惑を感じていた。
(巻き起こる風の流派。暴雷流派。猛虎炎流派。他数十。その全てを習得している)
師が知ればあきれ果てただろう。
肉体の制御においてサザキすら上回っている可能性があるモンクの頂点は、単にサイラスが歩いているだけで習得している流派を見破っていたのだが、そのせいで訳が分からなくなっていた。
「随分熱心にサイラス君を見ておるのう」
「彼は数十の違う流派を習得している」
「なぬ? そんな話は聞いたことがないような……そもそも二つ目三つ目でも、教えるのを嫌がられるじゃろう?」
「ああ。中途半端になるなら、一つの流派を極めるのが常識だ。別の流派を学びたいと言っても門前払いになるだろう」
シュタインに声をかけたフェアドも首を傾げた。
モンクの流派は極めるのに人生全てを費やす。それなのに別の流派を学びたいと言ったなら、やる気がないのかと思われるのは当然で、普通は取り合ってもらえないだろう。
だが現実としてサイラスは習得しており、それを教えたであろう師に対して大きな疑問が湧き上がる。
「しかも……」
「しかも?」
「大戦中、もしくは直後に途絶えた流派が混ざっている」
「そりゃ変な話じゃのう」
そしてシュタインは最大の疑問を口にした。
サイラスが習得していると思わしき流派の中に、大戦で継承者が全滅した。もしくはなんとか大戦を生き残ったが、再起不可能な損害を受けて途絶えたものが混ざっているのだ。
「心当たりはないのかの?」
「私、もしくはアルベール師になる」
「それもまた変な話じゃの」
「うむ」
フェアドの問いにシュタインは明確な答えを持っていたが、それはあり得ない話だ。
モンクの開祖アルベールと、見ただけで殆ど全ての流派を真似できたシュタインがサイラスを教えたなら、そのようなことも可能になる。
だがアルベールの弟子なら煮え立つ山にいる筈だし、シュタインは弟子を取ったことがない。
つまり、サイラスの師はかなり大きな謎に満ちていた。
「ま、今更じゃ」
「それもそうだ」
かなり雑なフェアドにシュタインが苦笑しそうになる。
勇者パーティーの一部も大きな秘密やら謎を抱えていたのだから、今更様々な流派を習得している少年など、ちょっとした個性の一つに過ぎない。
「それはそうと、いよいよじゃのう」
「ああ」
フェアドとシュタインが視線を上にあげる。
もう明確に見えるのは、空へ聳え立つ巨大な山だ。
次の日、勇者パーティーと同行者の少年は、煮え立つ山に足を踏み入れることになる。
-才能ある者が負けた時、努力が足りなかったと嘆く。努力した者が負けた時、才能がなかったと嘆く。そんなことを言っているから負けるのだ。煮え立つ山に向かえ。高めよ。口より体を動かせ。鍛え、鍛え、鍛え抜くのだ!-
古い言い伝え