少年
「いい天気じゃのう婆さんや」
「そうですねえお爺さん」
ゆっくり馬車が歩みを続け、呑気な老夫婦が御者台で移り行く景色を楽しむ。
「うむ。筋肉も素晴らしい天気に喜んでいる」
なおその景色の一部に、馬車の周囲をぐるぐると走っているシュタインがいるため、色々と台無しになっている。だが七十年前はよくあったことなので勇者と聖女の夫妻は、器用にも半裸のモンクを意識から追い出し、穏やかな景色だけを楽しんでいた。
「見るだけが楽しみではないぞ。運動により足、肌、肺でも自然を楽しむことが出来る」
「途中までいい言葉じゃったが、最後になんか変なのが混ざったような気がするのう婆さんや」
「そうですねえお爺さん」
ただそれでもシュタインの理屈はフェアドとエルリカの耳に入り、二人は混乱してしまった。
「後ろからこちらに来ている若者もそう言うだろう」
「はて?」
シュタインの言葉を不思議に思ったフェアドは、業者台の横から体を突き出して後ろを確認する。
するとかなり後方から金髪ツンツン髪の青年が布を纏い、元気よく馬車の方に走っていた。
「中々見どころがあるガキが来たな。カールの鼻たれ、コニーのダチ連中、あと王都であった若造冒険者。先のことはあまり気にする必要ねえな」
「いつまでも責任なんか取れないからね」
「なんだなんだ? 誰か知ってる奴か?」
馬車の中で寝っ転がっているサザキが呟くと、本を読んでいたララが僅かに笑い、向かってくる人間の顔を確認したマックスが首を傾げる。
「若さ……将来……か」
時代を担う者達のことを考える余裕がなく、今を打破しなければならなかったエアハードは、鎧からくぐもった声を漏らした。
「こんにちは! いい天気ですね!」
「ええこんにちは。煮え立つ山のモンクですかな?」
馬車から少し離れたシュタインが、少年に挨拶されると他所用の口調で返答する。
この伝説のモンクは、少年もまた修行中のモンクかと思い尋ねたが、何もこれは煮え立つ山に近いからという理由ではない。
(非常によく鍛え込まれている。体の使い方も上手い。筋肉の若さは十代前半だが、同年代でこの少年に勝てる者はそうそういないだろう)
シュタインが見たところ、少年が何気なくしている動作の一つ一つが洗練されており、外見通りの若者と表現するには無理があるのだ。
「これからなります!」
「これから?」
「はい! 師匠が教えることは教えたから、後は煮え立つ山で学んで来い。と仰いましたので!」
(最近、学園で似たような話を聞いたね)
少年とシュタインのやり取りを聞いていたララは、学園にいたコニーの友人。愚か者に放り出されたエメリーヌの顔を思い出す。
「……師のお名前は?」
シュタインも同じことを考えたのか、少年に師匠の名前を尋ね探りを入れる。
広域殲滅力に欠けるモンクは、師から放り出されるパターンがあっても、魔法使いに“比べる”と危険性は少ない。
しかし四肢は凶器であり、常識に欠けるモンクは決して野放しになっていい存在ではなかった。
「師匠のお名前は師匠です!」
「なるほど」
(確かに師と弟子の関係に名前は不要と考えるモンクはいるにはいたが……この時代に?)
少年からとんでもない言葉が飛び出し、普通の人間がいれば頬が引きつっただろう。
シュタインの記憶でも、弟子に名を教えずただ師とだけ呼ばせるモンクはいた。だがそれは大戦前の偏屈モンクたちであり、今もそれが続いているのかと軽い驚きがあった。
「流派をお聞きしても構いませんか?」
「分かりません! 僕も聞いたことあるんですが、師匠は態々対策されるような名前を付けるなと仰ってました!」
「ふむ」
(サザキが好きそうなことを言っている。これは筋金入りだな)
更にややこしいというか、面倒というか。
少年は確かにモンクの武術を習得しているのだが、自分の流派すら教えてもらってないのだ。
ただこれは限られた界隈では支持される考えで、特にモンクの流派は動物や自然の名を冠しており、詳細を知らなくても名を聞くとある程度は、どのようなものかを察することが出来るのだ。
「よろしかったら一緒に煮え立つ山に向かいませんか? 幸い伝手がありますので、苦労なく受け入れられると思いますよ」
「それなら是非お願いします!」
打てば響く素直な少年だ。
ほったらかしにできないシュタインが提案すると、少年は即座に頷き……勇者パーティーと煮え立つ山に向かうこととなった。
「あ、申し遅れました! 自分の名前はサイラスです!」
「こちらこそ。私の名前はシュタインです」
「シュタインさんですね! よろしくお願いします!」
元気な少年が名乗り、シュタインの名を素直に繰り返す。
これだけでも少年がモンクの常識に疎いことが分かる。モンクにとってシュタインの名前は非常に重いもので、もし普通のモンクが聞けば飛び跳ねて驚いたことだろう。
それが無いということは、やはり少年、サイラスがかなり危うい存在ということが分かる。
それはともかく、こうして騒動の中心となる少年と騒動そのものは、煮え立つ山へ同行するのであった。