進撃
七十年前。大戦中の戦場でよく聞こえた声を一つ選ぶなら、多くの者が連想する言葉がある。
『止めろ! 誰か止めろおおおおおおおお!』
怪鳥にして緑隠れオスカーもこの言葉を挙げるであろう程、かつてどこの戦場でも聞かれたものだ。
大戦初期は劣勢だった命ある陣営が、魔の軍勢をなんとしてでも食い止めるために。そして……大戦中期は逆に魔の軍勢が発した。
ドラゴンや戦神も含め、命ある軍勢に所属した誰もが想像したくない状況を考えれば分かる。
自軍は万を超える軍勢。一方相手はたった七人。
この内、万の軍勢を指揮して七人に勝てと言われたら多くの者が失笑するだろう。だが相手が勇者パーティーと明かされたなら、多くの者が失神するに違いない。
それを現実として叩きつけられたのが魔の軍勢なのだ。
『止めろおおおおおお!』
死と絶望をまき散らした魔の軍勢は、まさに死と絶望の化身と言える勇者パーティーにぶち当たって蹂躙され、例外中の例外が混ざっていない限りは言葉も空しく消え去った。
何が言いたいかというと、大迷宮に声を発せる機能があればまさにこの言葉を叫んだだろう。
勇者パーティーは百階層途中どころか、既に二百階層へ突入していた。
「ちょっとは気合が入って来たな」
赤が奔る。真っ赤な真っ赤な赤が奔る。
魔の軍勢ですら理不尽だと叫び、一方的に殺されるしかなかった神速の刃は、かつてと同じく立ち塞がる全てを切り捨てる。
それを多頭の蛇が待ち構える。
大きい。大きすぎる。そこらの城壁を優に超える巨体からは、それに匹敵する五本の長い首が生え、牙からは毒が滴っている。
こんな生きた山のような存在など、地上に現れれば動くだけで周囲一帯を破壊し尽くしてしまい、あらゆる災厄を齎すだろう。
しかも五本の首をほぼ同時に破壊しなければ、何度でも再生するという疑似的な不死性まで備わっているとなれば、どんな災厄よりも恐ろしい。
『ギイイイイイアアアアアアアアアア!』
蛇は五本の首全てが断たれ、それぞれの頭は叫んでいるつもりでも断末魔だった。
赤、青、無、光、黒が首に攻撃を叩き込んだのだ。
「どうせ再生能力だろ? 似たようなのがいたから分かりやす過ぎるんだよ」
「言えてる」
いつものことと言わんばかりのサザキが肩を竦め、槍で貫いたマックスが大戦を思い出してげんなりした顔になる。
「三大怪物には程遠い」
「あの水準がいたら大事だ」
「大事も大事じゃ」
エアハードが大剣を持ち直してかつての強敵を思い出すと、単なる手刀で蛇の首を切断したシュタイン、光の残滓を纏わせたフェアドが、魔軍に所属したある怪物達を思い出す。
地、空、海。世界が生み出された際に零れ落ちた灰汁とも言える怪物達は、どれもが異常なまでの不死性を持ち合わせており、マックスなどはどうやったらこいつを殺せるんだと泣きが入っていた程だ。
「ほぼほぼ不死身でしたからねえ」
いつの間にか多頭の蛇の尾……に擬態して寄生を行っていた奇妙な生物の頭を切断したエルリカが、仕込み刀を杖に戻して微笑む。
万が一、蛇が死んだときは予備として機能し、再び復活させるはずだった寄生生物は、その力を行使する前に暗殺者の如きエルリカに息の根を止められていた。
(なんと言うか迫力が増している)
エアハードは影から湧き出たようなエルリカを見て、無機質で淡々としていた頃に比べ、微笑んでいる老婦人が暗殺者の技を使うのは、寧ろギャップで迫力が増している様な気がした。しかし幸いにも口にすることなく、再び一行と共に駆け出した。
それから少し。
「そんで、これが三百階層の扉か?」
マックスの視線の先には、またしても巨大な門が聳えているものの、勇者パーティーはなんの気負いもなく侵入する。
蹂躙され続けている大迷宮は、またしてもあっという間に区切りに到着されたが、強大な怪物が行く手を阻もうと現れる。
「うげ。溶かしてるぞ。酸かよ」
嫌そうなマックスの言葉通り、一瞬で現れた怪物は人の五倍はあろうかと思える手足のある巨人だが、液体を無理矢理人型にしているかのように形が定まらず、足元では岩が溶け始めていた。
そして通常なら剣や武器が溶けるのを嫌がるし、モンクなどが酸に拳を突っ込めば忽ち体が爛れるだろう。
そのため通常なら魔法使いによる攻撃が最適解なのだが、ここにいるのは並どころの話ではない使い手達だし、今更酸程度で溶けるような武器でもない。
フェアドの剣と盾こそ元は単なる中古品だが、勇者パーティーの装備はまさしく神話に語られる武具ばかりであり、彼らの死後厳重な封印が確定している物ばかりだ。
それにもし酸でシュタインの体が爛れたなどと、彼の師が聞けば鼻で笑って嘘だと断言するだろう。
つまりは何の抵抗にもならないのだ。
「闇よ」
エアハードの鎧の隙間と大剣から真っ黒でどこまでも純粋な暗黒が溢れる。
世間一般が想像するようなおどろおどろしい悪を含んだものではなく、夜空の様に透き通っている闇だ。
そのエアハードが駆けて大地を蹴り、そして飛ぶ。
大鎧を着て、更には身の丈に等しいような大剣を構えているのに、それでも人の五倍はある巨人の頭上を取った闇の奔流は、勢いのまま大剣を振り下ろした。
酸など無意味。寧ろ鎧と大剣から溢れる暗黒に触れた瞬間消滅し、瞬きの間にエアハードは再び大地に降り立つ。
そして大地に大剣を突き刺した瞬間、地面からも闇の霧が噴き出して縦に両断された巨人の体を飲み込むと、先程まで確かに存在した巨人はこの世界から完全に消え去った。
「なあララ。あやつ、潮風で鎧が錆びんか心配しておったんじゃが」
「はん? なんだって?」
その光景を眺めていたフェアドは、ふとエアハードが言っていたことを思い出してララに話を振る。だがあのララが、一瞬何を言われているか理解できず、思わず聞き返してしまった。
「重要なことだ。潮風はほぼ未知のものだから心配している」
「今までそれよりヤバい攻撃受けてきて、潮風を心配するのかよ……」
「いや、油断は出来んぞ」
大真面目で冗談など全く含まれていないエアハードの言葉に、マックスが非常に常識的なツッコミを入れたが、シュタインはエアハードに理解を示した。
「あんたの鎧はそんな物が作用する段階なんてとっくに過ぎてるよ。錆びたら私が寝込むって言ったら安心するかい?」
「安心した。それなら大丈夫だな」
「ほほほ」
これに対してララは気を取り直すと、奇妙な表現で太鼓判を押して、エアハードは心配が片付いたとばかりに足取りが軽くなる。これにはエルリカも思わず微笑み、変なところで仲間が変わっていないと再確認した。
「それで、今度はこれか……」
一方、顎を擦っていたサザキは報酬として現れた物品を確認すると、珍しいことに溜息を吐きそうな表情になっていた。
「ふむ。誰かいるか?」
エアハードの問いに全員が首を横に振る。
それは雷を帯びた、サザキの持つものよりも大きな刀だったが、彼が求めているのは刀ではなく剣だ。そして大きく持ち運びに不便であるため更に需要がなかった。
(げ、幻聴が聞こえた……)
すると刀は光と共に消え去ったのだがマックスは、え⁉ 違うんすか⁉ という声を聞いた錯覚に陥った。
そんな錯覚はさておき、勇者パーティーの進撃は続く。