100話記念&書籍化記念 七十年前の彼ら
書籍の発売は4月10日ですが、どうせなら100話と一緒に記念話をやってしまえのスタンス(*'ω'*)
皆様のおかげでここまで来ることができました!本当にありがとうございます!
まだ空が真っ赤だった暗黒期。
人類の生存圏は大きく縮小し、絶望と死だけが世を覆っていた。
それは少しだけ前の話だ。
ぱちぱちと焚火の音が軍の野営地全体で響き渡っているが、その燃えるの炎のように兵達の士気は高かった。
煮え立つ山に進軍してきた溶岩の軍勢を退け勝利。
リン王国に侵入してきた異形の軍勢を壊滅させ勝利。
そしてつい最近、頂の園における決戦も命ある者達は勝利で終わらせた。
「勝てる……」
「ああ、そうとも!」
誰かがぽつりと呟き、それに力強い言葉が返ってくる。
負けて負けて負け続けたのは過去の話だ。
今や命ある者達は勝利に勝利を重ね、逆に大魔神王の傘下である恐るべき溶岩の兵は地面に崩れ落ち、暗黒のドラゴンは墜落し、命ある者では理解すらできない恐るべき権能の持ち主すら敗れ去った。
それ故にこそ野営地の雰囲気は明るい。
「おう兄弟!」
「無事だったか」
「なあに。ドワーフほど頑丈な奴はそうそうおらん」
「確かにな」
小柄ながらがっしりとした体格のドワーフが、長身で痩せているエルフに声を掛ける。
大戦前のドワーフは火と土の種族であり、森の民であるエルフとの仲がよくなかったものの、大戦はそんなことを言っていられない程に両種族を追い込み、いつの間にか手を握っていた。
「腹が減ったな」
「ああ。そろそろいい筈だ」
「わくわく。わくわく」
別の場所を見れば、腹を空かせている人間の兵士、オークの巨漢、そして緑の肌を持ち手先が器用で細々とした作業が得意な、人間の子供のような種族ゴブリンが鍋の中身をかき混ぜている。
「寒い」
「言えてるわね」
また別の場所では人型のトカゲであるリザードマンと、上半身は人間で下半身が蛇であるラミアが暖を取っていたが、大戦前はあまり交流がなかった種族だ。
図らずとも大戦は種族間の関わりがあろうとなかろうと、全ての種が滅びに直面したため、至る所で異文化交流が行われることになった。
そんな様々な者達が結集している軍内で、最も重要な場所がある。
軍の指揮官や貴族が集まる本陣。ではなく、そこから若干離れた集まりだ。
「軍といる時は酒に困らねえから最高だ」
「酒を探してウロウロしないからこっちも楽だね」
既に幾つかの酒瓶を空にしてだらしなく酒を飲んでいる男と、それを皮肉気に見ている妖艶な女。
「食材の調達に困らないのは確かだ」
「んだな。そこらの猪を見つけて解体するのは面倒だ」
腕立て伏せをしている筋骨隆々の男と、手持無沙汰なのか枝切れを軽く投げては掴み、投げては掴みを繰り返している鎧姿の騎士。
「確かこの辺りに……」
乱雑に置かれている荷物の中から、なにやら探している無表情の女。
「おっす。戻った。腹が減ったな」
好青年とは口が裂けても言えない、下町にいる悪ガキの子供がそのまま成長したような男。
若き日のサザキ、ララ、シュタイン、マックス、エルリカ。そしてフェアドだ。
「エアハードは?」
「いつも通り」
フェアドの問いにマックスが肩を竦める。
勇者パーティーの一員である、真っ黒な大鎧を着こんでいるエアハードだが、兜を含めて絶対に鎧を脱がないので、食事に関わることに全く参加しない。そのため食事の時間帯にはおらず、少し離れた場で一人で食べているのだろうと思われていた。
「まさかとは思うけど中身が空っぽで、遠隔操作されてる鎧とか言わねえよな?」
「それはない。エアハードの動きは確かに人間の動きだ」
自分も特大の秘密を抱えているマックスは、謎が多い仲間のことについて冗談めかしたことを口にするが、腕立て伏せを続けるシュタインがそれを否定した。
「これを入れると」
「……うん?」
その時、エルリカが探していた物を見つけて、スープが作られている鍋の中へ入れようとしたが、サザキの異常な聴覚は陶器の壺と蓋がこすれ合う音を聞いた。
しかし妙な話である。
陶器の壺には塩が入っているが、つい先ほどその壺が空っぽなことに気が付いたフェアドが、軍の兵站係に貰いに行って、今帰ってきたところだ。まだそれをエルリカに手渡していないのに、彼女が壺を触っているとなると答えは限られる。
「おいエルリカ。そりゃ砂糖の入ってる壺じゃねえか?」
「エルリカ、ストーップ!」
もう一つある壺は砂糖が入っているもので、サザキはエルリカが砂糖を鍋の中へぶち込もうとしているのではないかと危惧し、慌てたフェアドが彼女を止めた。
「砂糖? 料理には依存性のある白い粉を適量使用する筈ですが」
「塩のことだよな? そんなあぶねえ物体だったか?」
「運動をする者は塩分を常に求める。そして塩は白い粉だ。なにも間違っていない。ただ、砂糖と塩は明確に違う」
きょとんと首を傾げるエルリカの言葉を聞いたマックスは、思わず塩の定義についてシュタインに尋ねてしまう。
究極の箱入り娘であるエルリカは、料理に使う白い粉は全て同一のものと思っているようで、スープを台無しにするところだった。
「フェアド、塩と砂糖はどう違うのです?」
「砂糖は甘くて、塩はしょっぱい感じだな」
「甘いですか。よく分かりませんが、体に害がないなら別に構わないのでは?」
「このスープに砂糖は合わねえって!」
「なるほど。そうなのですね」
首を傾げたままのエルリカは、フェアドに塩と砂糖の違いについて聞いたものの理解ができなかった。
彼女の人生において甘いという味覚は感じたことがないものであり、他人が料理している光景からとりあえず白い粉を入れたらいいのだと考えただけなのだ。
「ところでフェアド。恋人という関係があることを知ったのですが、どういったものですか?」
「そりゃあ、好きな奴同士がくっついた関係だろ。俺は彼女とかいたことねえから詳しく説明できねえけどよ」
「ふむ。それでしたらサザキ、貴方に恋人は?」
「ひっく。聞く奴間違ってるぞ」
「ララ」
「予定もないね」
「シュタイン」
「どうした? 筋肉のことについて語りたいのか?」
「マックス」
「いねえよ」
続いてエルリカは、仲間達に恋人というものについて尋ねたが、サザキとララがくっ付くのはまだ先の話であり、全員が門外漢だった。尤もくっ付いた後でも素直に話す二人ではないが。
「では一旦恋人という概念については保留しておきます。栄養も補給しなければなりませんし」
「俺も腹減ったな」
実務的な会話に戻ったエルリカだが、色気より食い気のフェアドも同意して鍋の中身を確認する。
そこに勇者と呼ばれ始めた英雄の姿はなく、下町の悪ガキが食べ物にそわそわしているかのようだ。
「戦争が終わったらどうする?」
マックスが保存を優先した硬いパンをスープに浸しながら、何気ない話をする。
まだ夢だ。大魔神王の戦力を削いでいるとはいえ、最側近中の最側近達を打ち倒したわけでもなく、大魔神王にも全く届いていない。だがそれでもマックスは戦後の話をした。
「そうだなあ。隣の大陸ってのに行ってみてえな!」
大戦後、強すぎる光のせいで人の多くいる街に出かけることができなくなったものの、七十年後に思わぬ形で隣の大陸に向かうことになるフェアドが口を開く。
「この世の酒が俺を呼んでる」
「さてね。適当にあちこち行くとは思うけど」
その時の気分次第というようなことを言うサザキとララだが、まさか夫婦になるとは思っていなかっただろう。いや、ひょっとするともうこの時期には僅かながら……。
「筋肉修行の旅だ。それと上質な畜産ができるように尽力しなければ」
師と喧嘩別れしているシュタインは、その気まずさから恐らく煮え立つ山には帰らないだろうと思っていた。
「俺はどうすっかなあ。適当に行商でもしてみるかな」
それはマックスも似たようなもので、故郷の王都に本名で戻ることはないだろうと思っていた。だが七十年後、父の墓参りで訪れることになる。
「戦争後になにをする。ですか? なにを……?」
一方でエルリカは、戦後の自分を想像できずに首を傾げていた。
大魔神王を殺すために作り上げられた彼女にとって、戦後は全ての目的が消失した状態と言っていい。それ故に神殿に戻ることすら思い至れず、完全に思考が止まっていた。
「そのうち思いつくだろ」
「そういうものですか?」
「そういうもんさ」
「なるほど」
フェアドの言葉に数度頷いたエルリカは食事に戻るが、あまりにも機械的であり、感情というものに乏しかった。
後年のエルリカが赤面しながら思い返し、よくぞこれでフェアドと結婚して、子供を産んだものだと遠い目になるような、若き日の一幕であった。