速度違反
「あなたはスピード違反をしています。なので市の条例違反者として、これから連行いたします。」
糸目の男の言葉に、驚きを隠せずにいた。
「スピード違反?そんなわけない!!」
無理もない。男の車は確かにスピードは出していない。法定速度以内で走っていただけである。そんな自分がスピード違反?「ありえない」と、男は糸目へ詰め寄った。
「ここの道は60キロの制限だろう!私はそれ以上のスピードで走ってなんかいないぞ!」
興奮気味の男は唾を飛ばしながら続けた。
「そうだ!寧ろ後ろを走っていた車!それにその後抜き去って行ったバイク!!そちらの方こそスピード違反ではないか!」
先程、後ろを走っていた車とバイクを思い出し、男は訴えた。
「いや、まぁ。それらはまた別の件でそうなんですがね。」
糸目は自分にかかった唾を払うように、また、興奮している男を宥めるように話を続けた。
「スピード違反とはいいましたけどね、確かにあなたは60キロ以上で走っていたわけではありません。むしろその逆ですね。」
「?」
糸目に言われた内容が理解出来ずに男は混乱していた。
「ぎゃ、逆ってどういう事だ!」
「あなたの違反は、スピードが遅すぎ、法定速度の許容以下での走行になります。」
言われ、男は驚いた。
「は?許容以下??私は安全運転で走っていたにすぎない!」
糸目の理不尽な言い分に、さらに腹が立ってきた男は、語尾を荒げた。
「寧ろ、スピードを出させないように、防いだ私に正義はある!スピード違反は私ではなく、他の車だ!」
少し誇らしげに、自分の正義を主張した。
そう、私は間違った事はしていない!
男の鼻息が荒くなる。
「あなたの正義は知りませんが。」
ケラケラと、糸目は笑いながら続けた。
「この街では条例が全てです。スピード超過はもちろん、遅過ぎて交通の流れを遮る行為も禁止されています。」
糸目の眼光が増したような気がした。
「あなた、わざと遅く走ってましたよね。60キロ制限のところ40キロ。これはあからさまに流れを遮る行為です。条例違反とみなされ、これより連行となります」
先程笑っていた声だったが、トーンがさがり、言葉に冷たさを感じた。
「まさか、そんな事で?ただ、ゆっくりと走っていただけで??」
自分の置かれた立場を理解できず、ただ狼狽していた。
「連行だと?私は、私はどうなるんだ?」
「そんな事は知りませんが、大人しくついてきてもらえば、死ぬ事はないんじゃないですかね。」
「し、しぬ?」
「イヤイヤ、殺されるような事はしませんよ。私達はただの【執行部】ですので。」
男に背を向け、後ろに待機していた者達へ何か指示を出し始めた。
「まぁ、連行に拒否して暴れたりしたら、怪我の一つでもするかもしれませんが」
「暴れてみます?」
くるりと振り向き、男へ言うその言葉を聞いて背筋が冷える感じがした。
男の細い目が更に細くなったように見えた。
「連れけ」
そう言うと、糸目はそこから立ち去って行った。
男の周りには糸目と同じ、黒い軍服のような格好をした者が立っており、左の腕の腕章に【執行部】の文字が付いているのが見えた。
「何なんだ、お前ら。」
やっと絞り出したが、それ以上この異質な空気に何も言えず、言われるがまま、その者達に従う事しかできなかった。
「気をつけた方がいいわ。」
妻から言われた言葉が男の脳裏に響いた。
超過ではなく、ただ、スピードを落として後の車を抑制したつもりでいただけなのに。
定年まで1年なのに?
男は先程までの勢いもすでになくなり、ただ大人しく、周りの者達に付いていくだけがやっとであった。