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「ラシー様が謝る、ですか?」
ピエリスは小さく首を傾げてラシーを見つめる。その視線を受けたラシーは少し困ったように微笑んだ。
「実は公爵が受けた欲情の呪いは私がかけた物なんですー。あ、でも水の民には致死性だということは知りませんでしたよー?」
「ラシー様があの呪いを? どうしてそんな……あっ」
ピエリスはラシーの言葉を聞いて一瞬不思議そうに眉根を寄せてからあることに気がついて目を見開いた。
リシンが欲情の呪いにかかっていたということは、本来ならばラシーはライモスに呪いをかけたことになる。そして当時ライモスはラシーとの会談をしていたのだ。
既成事実を作ろうとしていたのだろう。そう考えたピエリスの表情を見て、ラシーは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「まぁその、そういうことですー。ボクなら耐性を突破できるだろうと思ったのが間違いでしたね。貴方達に迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」
ラシーは声音を真面目な物へと変えて深く頭を下げた。
「気にしないでください。もし呪いをかけたのがラシー様なのだとすれば、私はそのおかげでリシン様に出会えたのです。むしろ感謝したいくらいですよ」
「そう、ですか? それならばいいのですがー。悪気はなかったことだけは、知っておいてくださいー。ボクは水の国の良き友でいたいと思ってますのでー」
ラシーが微笑んでその視線を隣のライモスへ向ける。ライモスはラシーの話を聞いて少し引き攣った笑みをしていた。
「ふむ、森の子殿が公爵殿に欲情の呪いを?」
ピエリスの隣で話を聞いていたビーデンが訝しむような声音で呟く。
事情を知る者ならばラシーが呪いをかけようとした相手がライモスであることはわかるが、ビーデンはそうではなかった。
「あ、お父様! その、それは……」
これまで長年保たれてきた王家の秘密を守り通すべくピエリスが咄嗟に誤魔化そうとする。しかしピエリスが誤魔化しを続ける前にライモスが首を横に振って一歩前へ進み出た。
「ラシーが呪いをかけようとした相手は私なんですよ、ウォドール辺境伯」
「ほう? ではその呪いが何故公爵殿へ?」
「それは、公爵が私の身代わりだからです。もちろん、これは内密に」
ライモスが人差し指を口の前に立てて微笑む。
王家の優位性が崩れる重大なその秘密を聞き、ビーデンは顔色一つ変えずに小さく頷いた。
「そうしなければ平穏を保てなかった、ということか。だが私に話してよかったのか?」
「問題ありません。貴方に野心がないことは有名です。それにこの秘密が公になった時にはユーラリア公爵家も困ることになる。それは貴方の望むことではないでしょう?」
「そうだな」
ちらとビーデンがピエリスに視線を向けて厳かに頷いた。
「許されるならば辺境伯にも私はなりたくなかった。ベラと静かに暮らせればそれでよかったからな」
「ベラ……それが母の名前ですか?」
初めて聞く名前にピエリスが反応するとビーデンはふと懐かしそうに微笑んだ。
「ベラは翠の髪とお前と同じ燃える様な赤い瞳をした森の民の女性だった。境界付近で倒れているところを私の家で保護して、看病する内に次第に互いを想うようになったんだ」
ビーデンがピエリスの頭を軽く撫でて昔を思い出すように何処か遠くを見て語る。そこでふとラシーは不思議そうに「んー」と小さく唸り声を漏らした。
「聞いたことのない名前ですねー。当時の境界付近の者達についてはボクが調べましたが、そこには無い名前ですー」
「詳しいことは私も知らない。だが彼女は攫われてきたのだと言っていた」
「攫われた、ですかー?」
「あぁ。その血が必要だと言われて連れ去られたと聞いている」
血という言葉を聞いてラシーの視線が一瞬ピエリスに向けられる。必要だからと人を攫うほど珍しい血には心当たりがあった。
「身代わりの一族の血、ですねー」
ラシーも生き残りがいることに驚いたピエリスの血筋。別名生贄の一族とも呼ばれるその末裔こそベラだったのだ。
「それならば攫ったというのも納得ですー。異端の部族達は生贄を使う儀式をしたりと、危険だと見做されて追放された者達ですからー」
「そんな人達がいたんですね。私は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だと思いますよー。その部族は結局英傑ビーデンに滅ぼされましたからー。ですよねー?」
「そうだな。看病の最中にベラが奴らに家から攫われ、私は怒りのままに単身ベラを助けに向かった。その時に奴らは滅ぼした……はずだ」
「それが、お父様の伝説の真相だったのですね」
長年の謎とされていたビーデンの突然の森の民への侵攻の理由を知り、ピエリスは安堵する。父は殺戮者ではなく大切な人を守りたいだけの一人の男だったのだと知れてピエリスは嬉しかった。
「その後、私はウォート国と森の民との戦争の火種を作った責任を取る形で辺境伯となった。そしてウォート国の貴族となった私の側に、森の民がいるわけにはいかないとベラは去ったのだ」
「そんなことが……」
「そらからしばらくした時、ベラとの誓いの呪いが疼いてな。近くに来ているのかと探した先で、お前を見つけたんだ」
ピエリスを見つめて、ビーデンは優しく微笑んだ。それはピエリスが初めて見る、ビーデンの父としての顔だった。
「すぐに私とベラの子だとわかった。置き手紙にはお前の名前が書いてあってな。私の下で安全に健やかに育てて欲しい記されていた。今思うと、血のせいで彼女は常に逃げ回る生活なのかもしれない。今ならば私も彼女を守ってやれるのにな」
少し寂しそうな声音でビーデンは左手首の唐草模様をなぞる。そして気を取り直すようにぐっと拳を握ると、ビーデンはピエリスの髪を優しく撫でた。
「そうしてお前を預かってから、ずっとお前を大切に思っている。……あまりいい父親ではなかっただろうが、お前が今幸せそうにしてくれていて私は嬉しいよ」
優しい父の言葉にピエリスは少しだけ目を潤ませる。するとビーデンは少しぎこちない動きで、ピエリスを抱きしめた。
「ありがとうございます、お父様。お父様のおかげで、私は今幸せです」
「それならばよかった。公爵殿に任せて正解だったようだ」
ピエリスがビーデンを強く抱きしめ返して微笑む。その背中を軽く叩くようにしてビーデンは小さく笑うと「来たようだぞ」とピエリスに耳打ちした。
「すまない、少し遅くなった。君の兄も連れて来たぞ」
もう聞き慣れたその低く落ち着いた声にピエリスが振り向く。そこにはリシンの後ろにリアトリスを始めとしてナプスやキア、そしてメディラ令嬢といったピエリスの友人達が並んでいた。
「今、お父様とピエリスが抱き合って……? これは何かの夢か?」
「祝福をしに来ましたよ、お姉様!」
「僕も君の先生として祝福をさせてもらおうかな」
「私も、二人のために滋養強壮剤を調合してきました」
目を白黒させて驚くリアトリス。二人して微笑むナプスとキア。そしてリシンに薬を手渡すメディラ令嬢。
リシンとの出会いをきっかけに得た、大切な繋がりをその視界に収めてピエリスは微笑んだ。
「皆さん、ありがとうございます」
そしてピエリスはその笑顔のまま、リシンへと視線を移す。気がつくとリシンの手には一つの指輪があった。
「その指輪……その意匠はもしかして」
自分とリシンの愛用するブローチに似た模様が刻まれた指輪を見て、ピエリスは小さく声を漏らした。
「ギップからの結婚祝いだ」
そう言ってリシンは跪き、ピエリスに指輪を差し出した。
「私は持つ全てを使って君を幸せにすると誓おう。だから、ピエリス。これからも私の妻でいて欲しい」
聞いたことのある、けれどその時とは言葉もこめられた意味も少し違う誓い。その誓いを受けて、ピエリスは頬に僅かに波を流した。
「私はもう貴方にこれ以上なく幸せにしてもらっています、リシン様。だから、言わせてください」
指輪を薬指に通してピエリスは満面の笑顔を浮かべる。少し霞む視界にリシンだけを映して、ピエリスは一歩踏み出した。
「愛しています、リシン様。これから先もずっと、貴方の妻でいさせてください」
「もちろんだ。愛している、ピエリス」
互いに一歩歩み寄った二人が口づけを交わす。その瞬間に、リシンの左手首に巻きつくような唐草模様が刻まれた。
「ありがとうございます、リシン様」
お互いに抱きしめ合って、ピエリスは幸せを噛み締める。仮病令嬢と呼ばれ、一人苦しむ自分はもういない。これからはきっと幸せが続いていくのだろうと、リシンの温かさを感じながらそう思った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
以下後書きが続きますので、余裕がある方は読んでいただけると幸いです。
これにてこの作品は一応の完結となります。
是非とも評価や感想を下方からいただけると幸いです。
続きの構想もありますので第一章完結と言えるかもしれませんが、第二章を書くかに関しては様子を見て検討中となります。よろしければブックマークをして気長にお待ちいただけると幸いです。
この先に関しましては、ストーリーを重視して描かなかったピエリスとリシンのイチャイチャするだけの話などを余裕があれば間話として書きたいと思っております。
また、おそらく何か新作の更新を始めると思いますのでもし気になる方は作者をお気に入りに登録していただけると幸いです。
最後に、最近短編を一作出しましたので下方のリンクから見ていただけると幸いです。
ここまで書けたのは読んでくださる読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。




