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『トラン……』
水の中を潜りながら、ピエリスはリシンの呟きを聞いて小さく声を漏らす。
何かあった時のためと聴覚だけを本体に残したピエリスは、トランが捨て駒のように使われていたことを聞いていた。
『早く、早く見つけないと』
湖に滲む翠の魔力を辿ろうとピエリスは意識の全てを集中させながら湖を潜る。翠の魔力は微かだがピエリスを呼ぶように脈動していた。
『あと少し、あと少しで……』
水底に沈んでいた夢の景色を思い出しながら深く深く潜ったピエリスは最早濁りで視界もないままに魔力だけを頼りに進む。
脈動する魔力は近づく程に強く反応し、ピエリスはあと少しで完全に源泉を把握できるところまで辿り着いていた。
あと一泳ぎ、それだけで探していた物が何かもわかる。そう思った瞬間だった。
『そうはさせないわ』
聞き慣れた甲高い声が突然頭の中に響き、ピエリスの全ての感覚が無くなった。
「何、これ?」
元より役立たなくなっていた視界だけでなく、リシンの方へ向けていた聴覚や源泉を探る魔覚も全て失ったピエリスは無の空間に立ち尽くす。
「久しぶりなのかしら。貴方の顔なんて見たくなかったけど」
「お母様……」
無の空間だったはずの目の前によく知る母の姿が映る。聞こえる声も、感じる魔力も母の物だけ。ピエリスは母の存在だけを知覚していた。
「お母様なんて呼ばないでちょうだい! 私は貴方の母親なんかじゃない!」
ルシーの金切り声が響き、ピエリスは耳を塞ぐ。しかしそれでもルシーの声はピエリスの耳に入ってきた。
そこでピエリスは気がつく。ルシーの声は頭の中から響いていたのだ。
「私に何を……」
「貴方の邪魔をしたのよ。私が何の理由もなく辺境伯家に嫁いだと思っていたの?」
ピエリスを嘲笑う声が頭の中から響く。頭の痛くなるようなその声をピエリスは防ぐ手段もなかった。
「辺境伯に見合う家格でウォドール家と同じ医者の家系、それだけじゃないわ。私がビーデンの水人形を止められる存在だからと陛下から信頼されて嫁いだのよ」
「水人形を、止める……?」
ルシーとビーデンが結婚した理由など考えたこともなかったピエリスはその言葉を聞き首を傾げる。
思えばピエリスはルシーについてを何も知らなかった。
「私の一家は外科的な研究ではなく感覚の研究をしていたの。物を見たり音を聞いたり、それらの流れを理解した私はそれを魔術で再現したのよ」
頭の中でルシーの声が誇らしそうに響く。続いてピエリスの視界にはあらゆる景色が映った。
「水人形の操作には集中が必要なんでしょう? だから貴方の感覚を私が魔術で狂わせたのよ」
「そんな……。私にはやらなければいけないことが!」
「私にもあるわ。公爵を殺すのよ。そうすれば私に呪いをかけた森の民を伯爵家が見つけてくれるの」
ルシーの言葉を聞き、ピエリスの心臓が跳ねた。
リシンは今どうしているのか。既に聴覚が役に立たなくなったピエリスにはそれすらわからなかった。
「それに私は貴方が許せないのよ。公爵家に売られたくせに、幸せそうな貴方が!」
ルシーの声が荒くなる。その一瞬だけ、ピエリスの視界に昔のビーデンであろう姿がちらついた。
「お父様……?」
「くそっ、余分な物が混ざったわね。そうよ、私は辺境伯家に嫁がされたのに大事にされなかった! 幸せになれなかった! だから貴方が憎いのよ!」
「本当に、そうでしょうか」
ルシーの叫びを聞きながらピエリスは小さく声を漏らした。
「お父様は、どんな理由であれ家族となった人に不義理を働く人には思えません」
「貴方に何がわかるのよ! 拾われてきた子のくせに!」
「えっ……?」
「そうよ! 貴方は突然あの人が連れてきたの。それなのにリアトリスより私よりも貴方を大切そうに扱った! それでわかったわ。貴方はビーデンの子なのよ。あの人は浮気をしてた!」
ピエリスは自分がルシーの子ではないことを知り愕然とする。しかし同時にこれまでのことにピエリスは納得のいく気持ちだった。




