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『助けて……。お願い、ここから出して』
ピエリスは急に聞こえてきた声に、閉じていた目を開ける。ぼやける視界で周囲を見渡せば、そこは水の中だった。
『なに、ここ……』
声を出そうと開いた口からごぼごぼと空気だけが漏れる。それでも不思議とピエリスは苦しいとは感じなかった。
『落ちてく……。深く、深く』
浮き上がろうと思うも、ピエリスの手足はまるで初めから存在しないようにぴくりとも動かない。ゆらゆらと水面越しに見つめる陽光が遠ざかり、暗い水底へとピエリスは沈んでいた。
『暗い。怖い。寂しい』
誰にも気がつかれることなく孤独の闇に落ちていく恐怖から逃れようと、ピエリスは必死に水面に手を伸ばそうとする。
『届いて、お願い。誰か助けて!』
叫ぼうとしてただ漏れるだけの空気に水面が虚しく揺れる。
誰か。誰か。誰でもいいから助けて。そう求めるピエリスに、聞き慣れた声が響いた。
「ーーろ。起きろ、ピエリス」
「……お兄様?」
はっと目を見開いてピエリスは周囲を見回す。そこは、公爵家に向かう馬車の中だった。
ピエリスは馬車に乗って間も無く眠ってしまっていたのだと気がつく。
兄もきっと呆れて怒っているだろうとピエリスが正面を見れば、リアトリスはピエリスの手を握っていた。
「大丈夫か? うなされていたぞ」
少しだけ心配そうに眉根を寄せて、リアトリスはピエリスの顔を見つめる。
記憶している限りでは初めての兄からの心配に、ピエリスは一瞬驚きに固まった。
「あの、はい。大丈夫です、お兄様」
「そうか」
リアトリスは小さく頷き、少し躊躇うように口を閉ざした。唸るような声を僅かに漏らし、リアトリスは気を取り直すように深く息を吐き出した。
「なんだ、その。うなされるほど公爵家に行くのが嫌なのか?」
ピエリスの手を握ったまま、リアトリスは少し気まずい雰囲気で問いかけた。
兄の珍しい様子を見たピエリスは少し呆然とした後に、答えを返そうと口を開く。その瞬間に、貫くような頭痛がピエリスを襲った。
「頭が……」
痛みに呻きながら咄嗟にピエリスは頭を抱える。そうして、魔力を整えながら祈ることにピエリスは集中した。
「最後でもそれか。嫌なら嫌と言えばいいだろうに」
呆れたように息を吐き出して、リアトリスは握っていたピエリスの手を離した。
「まぁ、もし嫌と言ってもどうしようもない話か。貴族の子として生まれたからには、政略結婚も覚悟しなければならないからな」
「そう、ですね。でも、お兄様が心配してくれるとは思いませんでした」
ようやく痛みを鎮めることに成功したピエリスは、リアトリスを見つめながら寂しげに笑った。