ウォドール家-3
「リアトリス、大切な話がある。ルシーとトランを呼んできてくれるか?」
呪診師のフィクスが来た翌日の昼前、リアトリスはビーデンに執務室に呼び出されてそう告げられた。
「大切な話ということは、ようやく診察結果が出たんですね?」
フィクスがウォドール家を一人一人診察したのが昨日のこと。診察を進める度に顔を険しくしたフィクスは、情報をまとめると言って結果を告げないまま客室に泊まっていた。
「そうだな。それも含めて、いくつか解決しなければいけないことがある」
ビーデンが一度溜め息を吐き出して、読んでいた書類を机に置きながらリアトリスに目を向ける。ビーデンのその瞳には、リアトリスも初めて見るような怒りが滲んでいた。
今までになく空気が重い。何かあったのかと置かれた書類にちらとリアトリスが視線を向けてみれば、そこには二種類の封筒があった。一つは協会からのもの、そしてもう一つは王家からの紋章が刻まれた封筒だ。
「わかりました。今、呼んできます」
国の中でも頂点に存在する協会と王家からの手紙を見て、何か大事が発生しているとリアトリスは察して急いで執務室を出て母と妹を呼びだした。
「それで、この呪いが何かわかったんでしょうね!」
部屋に入るなりルシーが苛立ちに声を張り上げる。呪いによる頭痛が続く中で、その声は頭に響いた。
ルシーに何を言っても無駄だとここ数日で理解していたリアトリスは、心を落ち着けながら聖水を一本飲み干す。
だが、トランはリアトリスのように落ち着いてはいられなかった。
「黙ってください、お母様!」
吠えるように叫びながらトランは手に持っていた聖水をルシーに浴びせかけた。ビシャッと顔が濡れ、ルシーは一瞬呆然とする。しかしそれも束の間、見る間にルシーの顔は怒りで赤く染まった。
「トラン! 母親に向かって何を!」
「うるさい! 黙ってて!」
怒りに任せて二人は互いに飛びかかろうとする。その寸前、ビーデンの姿をした水人形二体が二人を取り押さえた。
「今は二人の喧嘩を見ている暇はない。話さなければならないことがたくさんあるんだ。聖水を飲んで落ち着け」
水人形が無理矢理にルシーとトランの口に聖水を突っこむ。聖水の効果と、そしてビーデンから漏れ出る怒気に圧倒されたことで二人は一旦の落ち着きを取り戻した。
「まずは診察結果について話そう。結論から言えば、ウォドール家を侵した呪いは長年をかけて育った呪いだそうだ。並の聖水では治りもしないとフィクスは言っていた」
「つまり、聖女の力や強力な聖水が必要ということですか?」
「そうなるな」
リアトリスの質問にビーデンは小さな頷きを返した。
「そこで協会に協力を要請した返事がここにある」
ビーデンは協会の印が押された封筒を取り出して、静かに机の上に置いた。
「この話をする前に、お前達には一つ誓約をしてもらう必要がある。今から話すことを二週間ウォドール家以外に漏らさないという誓約だ。誓えるか?」
ビーデンが重々しく告げてリアトリス達一人一人に視線を向ける。
ビーデンが誓約を要求したということは、破った者は誰であろうと処分するつもりであることを意味していた。
「リアトリス・スピカート・ウォドール、ここに誓います」
元より誰よりもウォドール家当主であるビーデンを信じていたリアトリスは何を聞くでもなく誓いを告げた。
「トラン・ブルグマンシア・ウォドール、ここに誓います。これでいいんですか?」
トランは誓約をよく理解していない様子で、誓いを告げると小さく首を傾げた。
「ルシー、お前はどうする?」
「誓うわよ! 話さなければいいだけでしょう! ルシー・ナサス・ウォドール、ここに誓うわ!」
ビーデンに鋭く睨まれたルシーも誓いを口に出し、その場の全員が誓約に同意した。
「ならば話そう。今朝、協会に新たな聖女が生まれたと情報が入った」
重々しく告げてビーデンはリアトリス達の表情を見渡す。
聖女の誕生を聞いたリアトリス達は驚きこそすれど、それを告げられた意味が理解できずに困惑を表情に出していた。
「それは、凄いことですが……。何故その話を今?」
「その聖女がピエリスだからだ」
「……ピエリス?」
リアトリスはビーデンの告げた言葉の意味を噛み砕くのに時間を要して、ピエリスの名前を数度繰り返す。
そしてようやく、聖女の名と自分の妹であるピエリスが繋がってリアトリスは驚きに目を見開いた。
「まさか、あのピエリスですか?」
「そうだ。ユーラリア公爵家に嫁いだピエリスが聖女と認められた。その特異な体質によってな」
「特異な体質ですか?」
リアトリスは何もできずに仮病ばかりをしていた妹が聖女であると未だに信じられずに首を傾げた。
「身代わりと言うらしい。周囲の呪いを代わりに受ける体質だ。ここまで言えば、この話をした意味がわかるな?」
「……呪いを、代わりに」
リアトリスはビーデンの言葉を繰り返して、はっと気がついたように視線を泳がせると言葉を失った。
「お母様もお兄様も何をそんなに驚いているんですか?」
一人だけ話を理解できていない様子のトランが首を傾げる。それを見てリアトリスはトランの能天気さに眩暈がした。
「わからないのか! ピエリスは仮病なんかじゃなかったってことだ!」
「そうなんですか。でも、そんなことどうでもよくないですか? 今は私達の呪いをどうにかするって話ですよね?」
「お前、何を……」
能天気なのではない。姉であるピエリスのことをトランは欠片も心配していなかったのだと、リアトリスは考えを改めて余計に頭が痛くなった。
「いや、リアトリスも話の趣旨を理解していないな。わかっているのはルシーだけのようだ。それも当然か、当事者だからな」
「それはどういう……?」
リアトリスはビーデンの視線を追うようにルシーに目を向けて固まる。ルシーの表情は驚きというよりは焦りや動揺に歪んでいたのだ。
「簡単な話だ。ピエリスは我々の代わりに今まで呪いを受けていて、ユーラリア公爵家に行ったことで我々に呪いが戻ってきた。だがそれはあり得ないはずなんだ。ピエリスのために呪診師を何度か呼んでいるからな」
「ピエリスは呪いにもかかっていなかったと?」
「それならばよかったな。だが違うだろう、ルシー」
ビーデンが怒り混じりにルシーを見つめる。その理由を考えようとしてリアトリスはこれまでのことを思い出した。
リアトリスが公務を手伝えるようになった今ならまだしも、昔のビーデンは公務に一日の全てを注いでいたはずだ。ならば呪診師を呼んだのはルシーということになる。加えて、十数年ぶりと告げるフィクスに対する訝しむビーデンの視線。
これらを踏まえてビーデンが怒っている理由は明白だった。
「お母様は、呪診師も呼ばずにピエリスは呪いにかかっていないとお父様に報告していたんですか!」
「仕方ないでしょう! 身代わりなんて知らないもの! 普通に考えてあの子が呪いにかかってるはずもないじゃない!」
リアトリスの責めるような視線に、ルシーは耐えかねたように吠えた。
「つまりはそういうことだ。昨日不思議に思って調べたところ、呪診師に払うはずだった金をルシーが横領した証拠を手に入れた。その金はどうやら宝石や……トランの診断書偽造に使われていたらしいな」
「……今、何と?」
リアトリスは驚きに目を見開いてトランを見つめた。トランは病弱で何もできないからと大切に育てられてきたのだ。それが嘘だったというならば。
「俺は本当に苦しむ妹を見放して、仮病の妹を大切にしていたのか?」
ぐにゃりと今までの価値観が歪むのをリアトリスは感じた。




