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「ちょっと、早く起きなさい!」
キンキンとした金切り声がピエリスの耳に響く。その声は、ピエリスの母であるルシーのものだった。
「申し訳ありません、お母様」
「本当ね。貴方なんかのために私の貴重な時間を使うんだから、地に頭を擦りつけて感謝して欲しいくらいだわ」
「ありがとうございます、お母様」
ルシーからの苛立ち混じりの視線を受けて、ピエリスは寝台から起き上がると深く頭を下げる。
その様子を見てルシーは小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「まぁ、いいわ。貴方を見るのも今日で最後ですものね。主人に、セイフォンテイン伯爵令嬢の身代わりとしてユーラリア公爵に売られたのでしょう? ふふっ、気分がいいわ」
ビーデンよりは淡い青の髪を弄りながら、ルシーはニヤリと笑ってドレスを一着取り出す。そのドレスは既によれよれになっており、流行としてもかなり前の物だった。
「貴方のドレスはこれでいいわよね? トランが使わなくなったから貴方にあげるわ。妹にちゃんと感謝するのよ? それじゃあさよなら。二度と会わないことを願ってるわね」
ルシーはドレスをピエリスに着せるでもなく寝台の横に放ると、用は済んだとばかりに振り返ることもなく部屋から出て行った。
「はぁ……」
ピエリスは深く息を吐きながら落ちたドレスを拾って広げる。皺も多く多少の汚れもついているが、幸いなことによれよれになって伸びたおかげでトランよりも少し大きいピエリスにもドレスを着ることができた。
「最後の最後もこんな扱いなのね」
ピエリスは服装を正すために鏡の前に立ちながら深く息を吐き出す。
鏡に映るのは真白の長髪と燃えるような赤い瞳の少女だ。両親が青の髪であるにもかかわらず、ピエリスの髪は白かった。
「髪の色が青ければ、もっと大切にされてたのかしら」
ルシーから嫌われる理由のわからないピエリスは、自分の髪を手でそろえながら寂しそうに呟いた。
「はっ、髪の色なんて関係ないだろ。お母様はお前がウォドール家の汚点だから嫌ってるんだ。俺と同じでな」
扉の方から聞こえた声に、ピエリスは眉を寄せながら振り返る。そこにはいつの間にか鮮やかな青髪の青年が立っていた。
「……リアトリスお兄様」
「お前に兄と呼ばれたくはないが、まぁいいだろう。お前を公爵家に送るように言われたんだ、早く用意をしろ。俺は馬車で待ってる」
リアトリスはそれだけ言うと扉をバタンっと閉めて部屋から出て行った。
「用意を手伝ってくれる人がいれば良かったんだけどね」
待たされることで苛立つであろう兄の姿を思って疲れたように息を吐き出すと、ピエリスは鞄に必要な荷物を入れ始めた。
「……うん、これで全部かな」
着替えや薬を準備し終えてピエリスは小さく頷く。鞄はさほど大きくなかったが、それでも埋まらない程度にはピエリスの私物は少なかった。しかもそのほとんどが、妹が使い古した物ばかりだ。
「そうだ、トランにも挨拶していかなきゃ」
家を出て行くにあたり、嫁ぐことが決まってから家族の中で唯一まだ話していなかった妹とピエリスは最後の言葉を交わそうと思った。
「トラン、いま大丈夫かしら?」
隣にあるトランの部屋の扉を叩いて、ピエリスは声をかける。
部屋の中から、ゴホゴホと乾いた咳をする音が響いた。
「うん、大丈夫だよお姉ちゃん」
妹からの返事を聞いてピエリスは部屋の中に入る。
トランの部屋はピエリスの部屋と同じ造りだったが、中の豪華さは段違いだった。魔力で動く冷暖房器や少しの魔力を通すことで遠隔から点けれる灯りなど、トランが快適に過ごせるように部屋は整えられていたのだ。
その快適な部屋の中で、トランはピエリスを迎えることもなくふかふかの寝台に横になっていた。