2-15
「え、うそ……。リシンなの?」
先ほどまで威圧的な態度だったカルミアの様子が、リシンを見た瞬間に一変する。ピエリスはカルミアの表情に嫌悪か恐怖が浮かぶだろうと思っていたが、実際に浮かんだのは喜びの笑顔だった。
「よかったわ、元に戻ったのね!」
今にも擦り寄らんばかりに馴れ馴れしくカルミアはリシンに歩み寄った。そのままカルミアはリシンの腕に絡めるように手を伸ばす。
その手を咄嗟に阻もうとピエリスが踏み出た瞬間、リシンが口を開いた。
「何をしている?」
カルミアの手が、ピエリスが払うまでもなくリシンの凍えるような一言に止められた。
言葉を向けられたわけではないピエリスでさえ一瞬足が竦むほどに静かな怒気の宿った声音に、カルミアは足を震わせる。
「何って、また昔みたいに貴方に……」
「何故だ? 貴殿と私には既に何の関係性もない。貴殿が私に馴れ馴れしくする権利も、当然ないはずだ」
「それは」
きっぱりとリシンに拒絶され、カルミアの視線が泳いだ。信じられないといった表情に、僅かに涙が滲む。
「婚約者だったじゃない……」
「元婚約者だ。セイフォンテイン家から賠償金を請求され、その分の金も払った上で婚約は完全に破棄されている。つまり貴殿は私にとってただの伯爵令嬢にすぎない」
カルミアの表情にほだされることもなく、リシンはカルミアから一歩引いてピエリスに寄り添った。
「むしろ妻に対する無礼な振る舞い、見過ごすわけにはいかないな」
ピエリスの手を取り、毅然とした態度でリシンはカルミアを見つめた。
「私に、言ってるの……?」
カルミアは一瞬理解できないといったように、繋がれたリシンとピエリスの手に視線を移す。そして見る間にカルミアは表情を悲しみから怒りに変え、激昂したようにドンと床を踏みつけてリシンに一歩迫った。
「何よ! 私を敵に回していいと思ってるの? セイフォンテインの聖水が買えなくなってもいいわけ?」
カルミアは噛みつくように叫ぶと、不敵に微笑んだ。
セイフォンテインの聖水は脅しに使えるほどに価値があるものだと、ピエリスもキアから学んでいた。
「セイフォンテインの聖水か。この店に来るぐらいだ、ドラグセラ男爵のおかげでよく売れているようだな」
「あ、えっと……」
今まで青い顔で静観していたフィサリスは、リシンに目を向けられて呻くように声を漏らした。
「そうよ! 昨日だって沢山売り上げたわ。他の貴族じゃ手に入らないような大金よ。だから、ユーラリア公爵家に売らなくたって私たちは困らないの!」
どんどんと表情を曇らせるフィサリスの横でカルミアは勝ち誇ったように微笑んだ。
「そうか、昨日も。私が死にかけていた時には在庫はないと言われたんだがな?」
「えっ……? 死にかけてって、何?」
「知らないのか? 貴殿が私と婚約を破棄したきっかけの呪いで私は三日前死ぬはずだった。セイフォンテイン家はその時にさえ、私に聖水を売らなかったんだ」
リシンが気にした様子もなく語ると、フィサリスはとうとう俯いた。
その姿を見てカルミアは困惑したようにフィサリスに詰め寄る。
「ちょっと、どういうこと? フィス、あんたリシンを死なせるつもりだったの?」
「ち、違う! 僕はただもう少し値を上げようと……」
「事情はどうあれ、死に瀕してまで手を差し伸べてくれなかった家に頼る気はそもそもない。是非とも早く私達の前から消えてくれ。そうでなければ……」
カチャッとした音がリシンの腰から響く。それは腰に帯びた剣にリシンの手が触れた音だった。
「近衛騎士団長として、不法侵入の罪で捕縛させてもらう」
「わ、わかりました! 僕もカルミアももう帰りますのでどうか見逃してください!」
「ちょっと、フィス! 離しなさいよ!」
慌てた様子のフィサリスに連れられ、カルミアは引きずられるように店から出て行く。
「二度と会わないことを願っている」
去る二人に一言だけ述べると、リシンは心配そうな顔でピエリスに振り返った。




