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「来る時は気がつきませんでしたが、あんなに綺麗な湖があったんですね」
「あぁ、あの湖か」
リシンは眉根を寄せて湖に視線を移す。普段寡黙で表情があまり変わらないリシンがはっきりと嫌そうな表情を見せるのをピエリスは初めて見た。
「あ、えっと。何か気に障るようなことを言ってしまいましたか?」
リシンが優しい人だと理解しているからこそ、そんな表情をさせてしまった理由を知らなければいけないとピエリスは思った。
「いや、君が悪いわけじゃない。あそこに見える湖はセイフォンテイン領内の翡翠湖だ。それで元婚約者を思い出してな」
「元婚約者、ですか……」
リシンは婚約破棄されたことをどう思っているのだろうか。嫌な感情を表に出してこそいるが、その種類まではピエリスには読み取れなかった。
未練はあるのだろうか。婚約を破棄されて悲しかったのだろうか。それとも怒っているのだろうか。
今もリシンの頭の中にはセイフォンテイン令嬢がいるのかもしれないと思うと、少しだけ胸が痛くなった。
「君も婚約破棄をされたのだったか。嫌なことを思い出させたな、忘れてくれ」
リシンはそっと手を伸ばしてピエリスの頬に軽く触れると、心配したように顔を覗きこんだ。
「私は、大丈夫ですよ」
まっすぐな蒼の瞳に見つめられたピエリスは、少し気まずくなって視線を湖に逸らす。
リシンが心配をしてくれているのに、嫉妬のような感情に振り回されている自分がピエリスは恥ずかしくなった。
「それなら良いが……。こうやって見れば確かに綺麗な湖だな」
ピエリスの視線を追うようにリシンも湖に視線を向けてポツリと呟く。その表情がどんなものかを見るのが怖くて、ピエリスは湖に視線を向けたまま小さく息を吐きだした。
「あんな色になるのはどうしてなんでしょうね」
「聖水が流れこんでいるから、なのかもしれないな」
揺れる馬車の中で二人は湖を見つめる。
聞きたいことは沢山あった。けれど思いつく質問は全部セイフォンテイン令嬢に関してのことで、ピエリスはそれを口に出せずに沈黙が続いた。
「……あぁ、もう流転門か」
湖の横を通り過ぎた頃、ピエリスの視界に大きな門が映ると同時にリシンが呟いた。




