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「……え?」
突然のことにピエリスの思考が真っ白になる。婚約が破棄されたばかりで縁談などと言われても、ピエリスにはその言葉の意味を理解できるほどの心の余裕さえなかった。
「ユーラリア公爵が、今から三日の内に結婚できる令嬢を探している。子を産めさえすれば他に条件はないと聞いた。お前にとってまたとない好機だろう」
ユーラリア公爵と聞き、ピエリスは先ほどまでフィサリスが話していた内容を思い出す。
フィサリスが新たに婚約する相手がセイフォンテイン伯爵令嬢であること。そして、そのセイフォンテイン伯爵令嬢がユーラリア公爵との婚約を破棄したという話だ。
加えてフィサリスは婚約破棄を切り出す前に、こうも話していた。ユーラリア公爵はまるで獣のように理性を失い、セイフォンテイン伯爵令嬢を襲おうとしたのだと。
そんなユーラリア公爵との縁談を進める父の意図がピエリスには理解できなかった。
「好機と言いますが、お父様はユーラリア公爵をご存知なのですか?」
「もちろんだ。公爵殿が家督を継ぐ前に戦場を共にしたことがあるが、彼は人格者だった。きっと良い結婚生活を送れるはずだ」
父の真意を探ろうとピエリスが問いかければ、返ってきたのはユーラリア公爵に対するビーデンの好意的な印象だった。
その表情と言葉から悪意はないのだろうとピエリスは安堵して胸を撫で下ろす。
「では、今のユーラリア公爵の噂は知らないのですね?」
「あぁ、あの噂か。婚約者を襲おうとして婚約破棄をされたと。思うに、公爵殿は呪われているのだろう。公爵殿は我が国の英雄であるのだから、森の民達に恨まれていても不思議はないからな」
ビーデンは窓から外を眺めて小さく息を吐き出した。その視線の先、窓の外に見えるのは広大に広がる樹海だ。
ピエリス達が住むウォドール辺境伯領は、その名の通り国の境界に位置している。その境界を越えた先に住むのが、森の民達だ。
「我々が魔力を魔術に使うように、彼ら森の民は魔力を呪術に使う。直接戦闘では我々が有利な分、彼らは遠くから私達を呪って弱らせるのだ。おそらく公爵殿も、何かしらの呪いで錯乱でもしたのだろうな」
「そのように錯乱した方に、私が嫁ぐべきだと?」
問いかけながらも、否定して欲しいとピエリスは願った。呪いについてをピエリスは詳しく知らなかったが、何が原因であれ誰かを襲おうとした人と結婚するのは恐ろしいとしか思えなかったのだ。
しかしビーデンは首を厳かに縦に振った。
「そうだ。呪いならば対処法はいくらでもある。公爵殿ならば家格も人柄も良い。お前にはこれ以上を望めない相手だ」
「そんな……」
ピエリスは言葉を失って俯いた。ビーデンの中では娘とユーラリア公爵との結婚が決定事項となっているのだと、これまでの問答でピエリスは察したのだ。
「前から思っていたが、お前はこの家から出て行くべきだ。ルシーにはお前に結婚用のドレスを用意するように伝えておいた。出立は明日だ。わかったな?」
「……はい、お父様」
ビーデンの有無を言わさぬ気迫にピエリスはただ頷いて、父が部屋から去る後ろ姿を見送った。
「私は、邪魔者なのですね」
誰にも聞こえないように小さく呟いて、ピエリスは崩れ落ちる。じわりと涙が溢れ出し、ピエリスは小さく嗚咽を漏らした。
仮病令嬢と呼ばれ、社交界に出ることもなく勉学や魔術の才能も見せない自分が疎まれるのも仕方ないとピエリスも頭では理解している。それでも、実の父から家を追い出されるように嫁がされることがピエリスは悲しかった。
「うっ……いっそ、この痛みで死んでしまえたら楽だったのに」
いつもと同じように何の前触れもなく襲ってきた頭痛に呻きながら、ピエリスは苛立ち紛れに寝台を叩く。
「これさえなければ、私は!」
勉強や魔術が上手くいかないのも、全ては原因不明の体調不良のせいだった。
何かを学ぶにも魔術を使うにも集中力が不可欠なのにもかかわらず、常に痛みや気分の悪さに苛まされるピエリスは集中力を保つことができなかったのだ。
「もう、いや」
祈るように手を合わせながら寝台に横になってピエリスは目を閉じる。そうして苦痛を和らげながら、ピエリスは眠りに落ちていった。