2-6
「……そうか。ならば私も約束を守らねばな」
リシンは一つ頷くと、キアに視線を移して咳払いをした。
「キア、もう防音の魔法は解いていい。重たい話はここまでだ。ピエリスが共に生きると言ってくれたのだから、私はそれでいい」
「そうかい? まぁ隠さないといけない話は終わったし、問題はないかな」
肩をすくめながらキアがふぅと短く息を吐き出すと、防音の魔法が解けて部屋の空気が変わった。
「さて、まだ料理は残っている。君がまだ満腹でなければ、食事を続けよう」
「そうですね、もう少し食べていたいです。その、凄く料理が美味しいので」
食いしん坊だと思われるのではないかと、ピエリスはリシンの目を少し気にしながらも手元にケーキを寄せて一口頬張る。
ウォドール家にいた頃では食事にケーキなど出してもらえなかったピエリスは、舌の上でとろけるクリームの甘さに目を細めて微笑んだ。
「ふむ、ケーキは好きか?」
「えっ、あ、はい! 甘い物はなかなか食べる機会がなかったので」
「そうか。他に好きな物や、欲しい物はあるか? 君が望む物は私が取り寄せよう」
「いえ、そんな。そこまでしていただかなくても、私は大丈夫です」
料理人に頼んで美味しい食事を用意してもらっただけでもピエリスは十分に幸せを感じていた。
リシンには既に聖女になれるように働きかけてもらっている現状で、これ以上に何かを望むのは欲張りだとピエリスは思ったのだ。
「奥様は欲がないんだね。リシンに頼めば大体のことは叶うんだよ?」
「欲がないわけではないですよ。ただ、私は普通に生きていけたら幸せなんです」
「普通に、か」
リシンは小さく呟くと、食事の手も止めてしばらく考えこむように口を閉じた。
ピエリスもリシンを悩ませたいわけではない。何か簡単な頼み事をすればリシンも悩まずに済むだろうかと、ピエリスは自分の望みについて考えた。
「はぁ、二人して黙っちゃってさ。さっきよりも空気重いよ? もうリシンは買えるだけ服でも宝石でも買えばいいじゃない。奥様も、貰える物は貰っておけばいいんだよ。ほら、それで解決でしょ!」
「適当なことを言ってないか、キア?」
沈黙に耐えかねて一人で話を進めていたキアにリシンは鋭い視線を送る。しかし、リシンはその直後に何かに気がついたようにピエリスへ視線を移した。
「そうだ、服だ。ピエリスが持ってきた荷物には服があまりなかったと聞いたが、本当か?」
「えっと、そうですね。私の服と呼べる物があまりなかったので……」
ピエリスは恥じるように少しリシンから視線を逸らして小さく答える。
ドレスと呼べる物は初日に着ていたトランの使い古しだけで、後は部屋着のような簡素な服しかピエリスは持っていなかった。
「君の望む物は保留するとしても、私の妻として生活するなら必要最低限の服や宝石は必要だろう。後日一緒に買いに行かないか?」
「宝石も必要なのですか?」
「私の妻として社交界に出ることもあるだろうからな」
「社交界……」
その言葉にピエリスの心臓が跳ねた。
体調不良を理由にピエリスは社交界に出たことがない。社交界の作法も知らなければ、他の貴族と会話をできるほどの教養もないことをピエリスは自覚していた。
リシンに恥をかかせたくはない。そう思った時に、ピエリスは望む物を思いついた。
「わかりました。買い物には一緒に行くとして、一つお願いを思いついたのですが」
「君の願いなら、私は何でも叶える努力はしよう」
「でしたら、教育係を雇って欲しいのです。作法や教養、できれば魔術についても私は今まできちんと学んでこれなかったので」
常に痛みに苛まされていたピエリスは、集中することもできずにほぼ全ての教育を取りこぼしてきた。それを取り返す必要があるとピエリスは思ったのだ。
「なんだ、そんなことか。ならば適任がそこにいる」
「そこって、キアさんですか?」
「あぁ、そうだ。キアならば大抵のことは教えられるだろう。何より、余計な心配をする必要がなくなるからな。キアもそれで構わないか?」
リシンが視線を送ると、キアは肩をすくめながら小さく笑った。
「リシンが決めたなら雇われの僕は従うだけだよ。なんて、奥様のことは気に入ってるから全然構わないけどね」
「ありがとうございます、キアさん」
二人のやり取りを見てリシンは満足そうに頷くと、食器を置いて最後に水を飲み干した。
「ならば善は急げだ。ピエリスは食事を終えて少ししたらキアに講義をしてもらうといい。私は呪いにかかっていた間に溜まっていた仕事を片付けるとしよう」
「あれ、リシン様。仕事はないって……」
「今日はその予定だったが、早く君と買い物に行きたいのでな。その分の時間を確保するだけだ、気にするな」
「そう、なのですか。では、私もこれで食事を終わりにして勉強に励みますね」
ピエリスは自分のために時間を作ろうとしてくれるリシンのためにも教養をつけることを心に決めて、最後に残ったケーキの一欠片を口に入れた。
「あぁ、無理はしないようにな」
「はい。今度の買い物、楽しみにしてますね」
二人は笑顔でそう交わして食事を終えると、その日は各々仕事と勉強に勤しんだ。




