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「どうしたんですか、リシン様」
珍しく歯切れの悪い様子のリシンにピエリスが問いかける。するとリシンは深く息を吐き出して、ピエリスをじっと見つめた。
「君がウォドール家にかけられた呪いに苦しめられることはもうないだろう。けれど……」
リシンが言葉を区切り、気を取り直すように手元の水を飲み干した。
「君はユーラリア家にかけられた呪いを受けることになるはずだ。君も、私が呪われ公爵と呼ばれていることは知っているだろう?」
悔しさの滲む表情でリシンはピエリスに問いかける。
ピエリスは小さく頷くと、しかし気にした様子もなくリシンを見つめ返した。
「大丈夫です、リシン様。呪いとわかっているならば対処法はあるはずです。私が一番辛かったのは、誰にも理解されずに治す術もなかったことですから」
ハッキリと淀みもなくピエリスは問題ないないと断言した。
呪いが家族にまで影響を及ぼすことは珍しくはない。その程度の知識は持っていたピエリスは、結婚を決めた時から共に呪われる覚悟があったのだ。
しかしその言葉を聞いてもリシンの表情は晴れない。代わりに、覚悟にも似た気迫がリシンからは滲んでいた。
「そう言ってくれることは嬉しい。だから、私も全てを話そう。その上で、公爵家を去りたいと思ったならば私は止めない。君を幸せにすると誓ったからな」
「一体何を……?」
リシンのただならぬ様子にピエリスは訝しんで眉根を寄せる。直後、リシンは深く息を吸いこんで口を開いた。
「ユーラリア公爵家は、王家の身代わりなんだ」
たった一言だけ告げられたリシンの言葉。それだけを聞けば多くの意味が思い浮かぶ言葉だが、話の流れとして示す答えは一つだった。
ユーラリア公爵家は王家に降りかかる呪いを引き受けている。
リシンの告げたその事実は、ピエリスにとって常識を覆すほどの威力を持っていた。
「あ、お……。王家が呪いにかからない一族というのは、嘘だったのですか」
顔を真っ青に染めてピエリスは言葉を吐き出すでもなくしばらく口を開いた後、ようやく意味のある声を漏らした。
ウォート国が森の民と渡り合えるのは、王家が呪いにかからないからだと言われいる。それはほとんど勉強ができていなかったピエリスでも知っているほど有名な話だった。
「これを知っているのはユーラリア家の者と王族、そしてキアと聖女だけだ」
「どうしてキアが? そもそも、リシン様は身代わりの一族なのですか?」
常識を崩されたピエリスは次々にリシンへ問いを投げかける。ピエリスは、自分の知る知識の何を信じればいいかもわからなくなっていた。
「それには僕が答えようか。まず、リシンは身代わりの一族ではないよ。さっきも言ったけれど、身代わりの一族は滅んで久しい。そんな一族がいたことさえ知る人はほとんどいないくらいだ」
「なら、どうやって身代わりを……」
身代わりの一族ではないのに、身代わりになっている。その意味がわからずにピエリスはキアに詰め寄った。
「魔法だよ。水の民の得意技だろう。万物の流れを読み取り、同様の流れを魔力で生み出すことで自然現象を再現する。かつて誰かが身代わりを欲して、魔法で再現したんだ。そして僕はその手伝いをした」
魔法の特徴は、再現にある。ビーデンの得意とする水人形の魔法が人の再現であるように、魔法は何かを模倣する物なのだ。
「まぁそんな難しい話は置いといてさ。結局のところリシンが思い悩んでるのは、君が公爵家と王家に降りかかる呪いを引き受けることになってしまうことなんだよ」
「公爵家と王家の呪いを、ですか」
口に出してからその重さをピエリスは実感する。辺境伯家の呪いでさえピエリスを大いに苦しめたのだ。国の盾と国の頂点が引き受けるはずの呪いは遥かに厳しい物に違いなかった。
「聖水や聖女によって呪いは基本取り払っている。だが、私は数日前に呪いで死にかけた身だ。口惜しいが、君に安全だと言い切ることはできない。それでも、君は私と共に生きていけるか?」
「また、呪いに……」
リシンの問いかけに、ピエリスは小さく声を漏らして口を閉ざした。頭を巡ったのは呪いに苦しめられていた日々だ。
痛みでまともに眠ることもできず、時には食べた物を吐き出したこともあった。同じか、それよりも苦しい生活が待っているかもしれないと思えば恐ろしい。場合によっては死ぬかもしれないのだ。
そこまで考えてピエリスはハッとした。それは、リシンも同じなのだ。
「リシン様はその呪いにずっと耐えてきたんですよね」
ピエリスがそう問いかけると、リシンは困ったように苦笑いを浮かべた。
「そうだな。けれど私にも君の身代わりのような特性があるんだ」
「頑強って言うんだけどね。簡単に言えば、魂の瓶がとても大きくて水も沢山入ってるってこと。並大抵の呪いじゃリシンは傷つかないんだ。だからこそ彼らは身代わりになったんだよ」
キアの言葉を聞いてピエリスは俯く。
同じ苦しみを背負うならば、耐える覚悟もできたのに。そう考えてピエリスは小さく笑った。
いつの間にかピエリスはリシンと共に生きる理由を探そうとしていたのだ。それが答えなのだと、ピエリスは気がついた。
「私はそれでもリシン様と生きていきます。私を幸せにすると言ってくれたリシン様の言葉を、私は信じたいから」
ピエリスはリシンの蒼の瞳を見つめて、改めて誓いを口にした。




