005.接触
蒼佑は目の前に重大な問題を抱えていた。
昨日スーパーで買ってきた特売品の卵から、つい今しがた赤ん坊が生まれたのだ。
そう、ヒヨコではなく赤ん坊だ。
確かにLLサイズの卵ではあったが、サイズなんて関係なく人間の赤ん坊は卵から生まれない。
泣き止んだものの、その後ニコニコと笑って両手を蒼佑に伸ばしている赤ん坊とのにらめっこが続いていた。
(可愛いな。)
(さて、どうしたものか...。)
さっきから蒼佑の脳内では「可愛いな。」「さて、どうしたものか。」という言葉だけが回り続けていて、一向に行動に至っていない。
いったいどれぐらいの時間が経過したのだろうか...。
さっきまでニコニコしていた赤ん坊の表情が曇り始めていた。
(そんな顔されてもさ〜。)
(どうすんのこれ??)
そう思うやいなや、赤ん坊が再び爆音で泣き始めた!
「えっ!ちょっ!」
どうしようと思いながらも、この体でどんだけの声量だよ!とツッコんではいるが、冷静さを取り戻したわけではない。
慌てふためきながら赤ん坊の前を右往左往していた。
ゴチンっ!
両手を振り回しながら泣き喚いていた赤ん坊がバランスを崩して目の前の別の卵に頭を打ち付けた瞬間に泣き止んでしまった!
「…。」
再び蒼佑の部屋に静寂が訪れた。
(死んじゃった?)
(これって、なんか犯罪になるのか?)
(決してネグレクトではない...、決して...。)
次の瞬間、またもや大きな泣き声が静寂を切り裂いた!
「だ〜っ!!なんなんだよ〜!」
蒼佑は言葉が通じるはずもない赤ん坊に向かって怒鳴ってしまっていた。
「ビェ〜ん!」
怒鳴られた赤ん坊はより一層大きな声で泣きわめき、大粒のナミダをポロポロとこぼしていた。
(ハッ!)
(これは虐待ではない!暴言でもない!)
(俺の子供じゃないもん!)
(そもそも、スーパーの卵から生まれてきた子だし〜)
蒼佑は脳内で勝手に言い訳をしていた。
「もう埒が明かない...。」
蒼佑は腹をくくると、赤ん坊の方に手を伸ばした。
まだ直接触るのが怖かったのか、赤ん坊の下に残っている卵の殻を右手でつまみ上げて、左の手のひらにそっと乗せてみた。
バランスを崩して床に落とさないように慎重に右手で卵と赤ん坊を覆いながら、ゆっくりと顔の近くに持ってきて観察することにした。
「可愛いな。」
まじまじと観察しても感想は同じだった。
赤ん坊は強烈に可愛かった。
そう、可愛いのだ。
だが、卵から生まれてきた瞬間を蒼佑は目撃しているし、現に今もその卵の中にいる。
LLサイズの卵の中に...。
蒼佑が顔を近づけると、赤ん坊は勝手に泣き止んでいた。
再び蒼佑の方に両手を伸ばしてニコニコしている。
蒼佑は360度観察したくて卵をつまんでぐるりと見回した。
どこからどう見ても人間の可愛い赤ん坊に見える。
ただ一つ、卵に入る手のひらサイズということを除いては。
「いわゆるファンタジーの小人的な生き物ってことなのか?」
蒼佑は仮説を口にしてみたが、当然立証することなど出来ない。
そんな時、卵をつまんでいた蒼佑の手に柔らかい感触が伝わってきた。
赤ん坊が小さな両手で蒼佑の右手を触っていた。
一瞬驚いたが、悪い気はしなかった。
手に乗せたハムスターの手が触れているような感覚だが、逃げようとしているわけでもない。
蒼佑の手を握ろうとするが大きさがあまりにも違うのでしっかりと力が入っていない。
そのままグイグイ押しているが、蒼佑が何もしないことに少し怒っているようだった。
小さい両手で蒼佑の手をペチペチとたたきながら、少しづつふくれっ面に戻りかけている。
(マズいぞ!また泣き出しそうだな...。)
蒼佑はなんとかしようと思ったが、キッチンに立ちっぱなしであったことに気がついた。
なんかの拍子に落としてしまっては危ないと思い、リビングに移動した。
蒼佑のリビングはキッチンとカウンターで分かれていて、低いソファが置いてあり、いつもそこに座って食事やテレビを見ている。
ソファの前にはラグマットを敷いて、背の低いガラス製のテーブルを置いていた。
蒼佑はソファとテーブルの間にしゃがむと、赤ん坊を乗せた手をテーブルの上に持ってきた。
万が一落下しても大丈夫なように、念の為ソファにおいてあったクッションもテーブルの上に移動して蒼佑の手の下に敷いて万全の準備を整え終わった。
急に蒼佑が動き出したので、赤ん坊は状況が分からずにキョトンとした顔をしている。
「さて。ここなら柔らかいから大丈夫。とりあえず、卵の殻をどけてみよう。」
そう言うと、蒼佑は赤ん坊を右手で支えながら、左手でそっと卵の殻を取り除いた。
赤ん坊をクッションの上に直接ゴロンと転がした。
赤ん坊はウネウネしながら上半身を起こすと、再びお座りをして蒼佑をジッと見つめている。
またもや両手を蒼佑に向けてきた。
(あぁ、これは抱っこかも。)
なんとなくだが、それは確信のような感覚があった。
「抱っこ?」
蒼佑は優しく問いかけながら手を伸ばした。
そっと手のひらに乗せ、もう片方の手で優しく包み込むように。
このサイズではこれが精一杯の抱っこだった。
赤ん坊はこれまで以上の笑顔を振りまいて、包んでいる蒼佑の右手の親指辺りに抱きついてきた。
その瞬間に、色々なことが頭からすっ飛んで、ただただ愛おしいと思えてしまっていた。
「抱っこ♪抱っこ♪」
ペットに懐かれた感じで気分が良くなったのか、蒼佑は鼻歌交じりに謎の抱っこソングを口ずさんでいた。
こんな姿は友達どころか家族にも見せらたくないが、いまこの瞬間の蒼佑はそんなことも考えずに無意識で赤ん坊をあやしていた。
蒼佑が歌っている姿をじっと見ていた赤ん坊がまたもや笑顔になった。
蒼佑も釣られて笑顔になった瞬間に、赤ん坊から声がした。
「だっこ〜♪」
「えっ?」
蒼佑は無言になったが、赤ん坊は「だっこ」を楽しそうに連呼している。
(生まれてすぐに話せるのか?)
一瞬怯んだがもう驚くことも少なくなってきた。
人間は耐性ができるものだと自画自賛で関心していたが、やはり急に言葉を発したことは驚かざるを得ない。
ただ、コミュニケーションが取れるなら色々とやりようがあるかもしれない。
そう思い立つと蒼佑は赤ん坊に話しかけることにした。