004.夏目昂輝
「灘本くんって、全然関西弁で話さないのな。」
仮入部初日の練習後、部室で着替えながら話しかけてきたのは、同じクラスの夏目 昂輝だった。
自分から質問しておきながら、蒼佑が答える前にまた急に話題が変わった。
「灘本くんは一般受験だったんだろ?あんなに上手いのに何でスポーツ推薦じゃなかったの?」
「えっ、あぁ...。」
昂輝とはまだクラスでも話したことがなかったのに、急に話しかけてきたうえに話題まで変わったから蒼佑としても少し言い淀んでしまった。
「清附のスポーツ推薦枠って、基本は東京近郊の生徒が対象らしいよ。寮があるわけでもないからじゃないかな?」
「そうなんだ!知らなかったわ〜!」
清附のスポーツ推薦枠を調べればすぐに分かるようなことだが、本当に知らなかったようで思いの外リアクションが大きかった。
「まぁ、そもそも俺はそんなに戦績残してないからな...。(お前とは違って...。)」
お前と違って...。
そう言いかけたが、蒼佑は心の中にとどめていた。
実は蒼佑は昂輝のことを知っていた。
それは面識があるという意味ではなく、一方的に知っていたのだ。
夏目昂輝は全国選抜ジュニアと全日本ジュニアに出場し、いずれも準優勝している。
同世代でガッツリ硬式テニスをやっていれば、全国区の超有名選手だから名前だけでも知っている。
特に全日本ジュニアは会場が大阪だったので蒼佑も見学に訪れていたのだが、昂輝のプレーは華があって同世代ながらも憧れるプレースタイルだったのを覚えている。
蒼佑も全国出場を目指していたが、一歩手前の関西大会で破れてしまい、それは叶わなかった。
関西大会に出場するのも各府県の上位に食い込まなければならず、周囲から見れば十分強いと思われるが、やはり全国区の昂輝とは大きな差があることは確かだ。
そして、姉の紅羽もジュニア時代は全国区選手だった...。
全国トップクラスともなれば学校の方から推薦の話が来るから、蒼佑と違っていちいち推薦枠の条件なんて調べもしなかったのだろう。
「関西大会は出てるんだろ?」
昂輝は聞いてきた。
「出たよ。」
「じゃあ、ひょっとして春場って知ってる?春場 陽星ってヤツ。」
その名前を聞いて蒼佑は一瞬身構えた。
話の流れ的におそらく出てくるだろうなとは思っていた。
だが、想定はしていても、いざその名前を聞くとなんとも言えない気持ちになる。
「あぁ。知ってるよ。陽星と同じクラブだったからね。」
「えっ!マジで!?灘本くんって西アカだったのっ!!」
西門ジュニアテニスアカデミー、略して西アカ。
かつて世界ランカーに帯同していたサイモンコーチが日本に帰化して設立したジュニアテニスアカデミーで、関西地区にあるので西アカと呼ばれることが多い。
これまでもプロ選手や全国区の選手を育成してきた実績があり、春場陽星は蒼佑と同学年の全国1位に君臨している選手だ。
「そう。たまたま家の近くだったってのもあって、小さい頃から通ってたんだけどね。」
「マジか〜!春場と練習してたのか!」
「関西大会じゃ、どっちも陽星にやられちゃってね...。あいつとはもうちょい上で当たりたかったよ。ドロー運最悪だったわ。」
陽星とは同門だったし、その強さを目の当たりにしていたから、トーナメントの終盤で当たりたかったのは蒼佑の本音だった。
各府県の上位選手が関西大会でしのぎを削り、上位選手が全国への切符を手に入れることができるので、陽星のような規格外の選手とは全国出場決めてから当たりたいものなのだ。
とはいえ、蒼佑の戦績はムラがあり、安定的にポイントを稼いでこなかったがゆえに関西大会でシード枠に入れず、生贄席のように2回戦で陽星と対戦するドローになってしまっていた。
「それはついてないね〜。」
昂輝が同意してくれたので少しホッとした。
陽星みたいな化物は「ドローなんて関係ない。実力で勝てばいいだろ!」って真顔で言ってくるから、昂輝も同じ種族かもしれないと警戒していたが、そうでもなかったようだ。
「俺も全国で春場に2連敗だけどwww」
昂輝は笑いながらそう言った。
「知っている。」
蒼佑は気遣いながらそう応えた。
全国大会決勝の2連敗なんて悔しいだろうが、蒼佑には想像できないステージだった。
蒼佑には同門クラブの陽星に勝てないまま夢が潰えた関西大会までしか分からない。
だからこそ、蒼佑は気を遣ってしまっていた。
「俺は灘本くんのテニスの方が好きだよ。」
うつ向き気味の蒼佑に向かって昂輝が急に言ってきたので驚いた。
「えっ?どういうこと?」
蒼佑はよくわからなかったので聞き返した。
「いや、春場に負けた俺が言うのもなんだけどさ。俺は春場よりも灘本くんのテニスの方が面白くて好きなんだよね。春場とやっているとしんどいだけでさ。灘本くんと打ってるとなんか楽しかった!」
「それって、単純に夏目くんが俺より強いからってことじゃないのか?」
「そうかもなwwまだ今日1日しか打ってないけど。」
昂輝は冗談っぽくそう言うと笑っていた。
「夏目くんのお眼鏡に叶うように頑張りますよ。」
蒼佑は着替え終わったウェアをバッグにしまいながら言った。
「昂輝でいいよ。俺も灘本くんじゃなくて蒼佑って呼んでいいかな?」
先に着替え終わっていた昂輝が提案してきた。
「もちろん!」
蒼佑もそれに同意した。
「それにしても、蒼佑は全然関西弁が出ないね〜。」
昂輝はまた急に最初の話題を持ち出してきた。
あっさりとくん付けもやめてしまっていた。
「そうだね。関西アピールしたくないんだよね。なんか面白いこと言ってとか言われるの嫌だし...。」
「あぁ、そういうことね。関西ってだけで笑いのハードル上がりそうだしな。」
「たまに出ちゃった時は聞き流してくれww」
昂輝は分かったというとバッグを背負って蒼佑と部室を後にした。
蒼佑が関西弁を話したくないのには別に理由もあったがこの時は話さなかった。
学校から最寄駅までは歩いて15分ぐらいあったが、二人はバスを使わなかった。
道すがら色々と話したのだが、どうやら2年生の代から清附には関東の有力選手が来なくなってきているらしい。
これからテニスに力を入れていこうとしている近隣の高校が有名コーチを招聘したうえに、関東大会出場以上の戦績の選手たちに学費無料やらの超特待枠を持ちかけてそちらにかなりの人数が流れたようだ。
「昂輝はなんでそっち行かなかったの?」
「俺、勉強できないから大学受験とかしたくないしさ。附属だったら3年で引退してもテニス続けられるし、何よりアホなのに清央卒になるからかっこいいじゃんww」
昂輝はニヤリと笑った。
それもあってか、昂輝は部活のテニスにはあまり期待せずに、まだ在籍している地元のクラブチームでの練習をメインに考えていたようだった。
だから、一般受験組の蒼佑が普通に自分と打ち合えていることに正直驚いたようだし、同時に嬉しかったと言ってくれた。
全国準優勝選手にそう言ってもらえて蒼佑は嬉しかった。
昂輝とは電車の方向が逆だったので、改札で別れた。
「じゃあな!」
「おう!じゃあな!」
引っ越したばかりで友達がいない蒼佑にとって、一方的ではあるが知っていた昂輝が話しやすいやつで良かったと思いながら家路についた。
そんな昂輝とは同じ1年生のレギュラー組として日に日に仲良くなっていた。
だから、こんな事態に陥ってまず最初に連絡したのが昂輝だった。
《すまん。風邪引いてしまったみたいだから、先輩とかにも伝えておいてくれるかな?担任には自分から伝えておくから。》
蒼佑がメッセージを送ると、
《OK》《お大事に》
というスタンプが返ってきた。
さすがに今目の前で起きていることを知り合って日の浅い友達に伝えることなんて出来ない。
スーパーで買ってきた卵から赤ん坊が生まれたから学校休むね!なんて伝えたら頭おかしい奴だと思われることは確実だ。
とにかく、いまこの状況をどうにかしなければならなかった。